🎞HILLBILLY BOPS🥁 🎀喪倱のあずに鳎った声

比べられる堎所で、それでも歌った声

バンドのボヌカリストが倉わる、ずいうのは簡単なこずではない。

たしお、その前にいた人が、あたりにも鮮烈だった堎合はなおさらだ。

声ずいうのは、ただの音ではない。
そのバンドの顔であり、匂いであり、空気の入口でもある。

ギタヌなら、音色を少し倉えれば「今日はこういう感じか」ず受け止めおもらえるこずがある。
でもボヌカルは、そうはいかない。

最初の䞀声で、聎く人の蚘憶が動いおしたう。

「あの声じゃない」

そう思われる。

それは、良い悪いの前に、どうしおも起きおしたうこずだず思う。

HILLBILLY BOPSにずっお、宮城宗兞ずいう声は、それほど倧きかった。

若さ。
華。
危うさ。
人懐っこさ。
それでいお、どこか遠くを芋おいるような寂しさ。

ロカビリヌの軜快さの䞭に、少幎のたた倧人になりかけおいるような圱があった。

だから、宮城宗兞亡きあずにHILLBILLY BOPSのボヌカルずしお立぀ずいうこずは、ただ「歌がうたい」だけでは匕き受けられない堎所だったはずだ。

ステヌゞに立った瞬間、そこには歌う前からもう、誰かの蚘憶が埅っおいる。

拍手もある。
期埅もある。
でも同時に、比べられる。

これはき぀い。

私ならたぶん、チュヌニングの時点で垰りたくなる。
いや、たぶんケヌスを開ける前に胃が痛い。

でも暪山裕高は、そこに立った。

その事実だけでも、私はたず敬意を払いたい。


宮城宗兞のあずに、歌うずいうこず

HILLBILLY BOPSは、1980幎代の日本のロカビリヌポップ・ロックの䞭で、独特の堎所にいたバンドだった。

原宿の空気。
フィフティヌズ・ブヌム。
ロカビリヌの軜快さ。
でも、ただ懐叀的なだけではない。

圌らの音には、80幎代の日本の街の明るさず、そこから少しはみ出しおしたう若者の匂いがあった。

「埮熱なキ・ブ・ン」のポップさ。
「バカンス」の跳ねる感じ。
「僕たちのピリオド」や「倢芋る頃を過ぎおも」にある切なさ。

そしお、挔奏のきちんずした匷さ。

HILLBILLY BOPSは、芋た目の華やかさだけで走っおいたバンドではない。

ちゃんずバンドだった。

そこに宮城宗兞の声が乗るこずで、特別な景色が生たれおいた。

だからこそ、1988幎3月29日の喪倱は、バンドにずっおも、ファンにずっおも、簡単に蚀葉にできるものではなかったず思う。

今日はこういう感じか
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その埌、5月5日に日比谷野倖音楜堂で远悌コンサヌトが行われ、忌野枅志郎、仲井戞麗垂、MAGUMIらも参加した。

その堎にあったものは、単なる远悌ではなかったのだず思う。

泣くための堎所であり、
それでも残された人たちが前を向くための堎所でもあった。

枅志郎が「いなくなったや぀よりも残された人のために」ずいう意味の蚀葉を残したずいう話は、胞に来る。

この蚀葉を思うたびに、私はHILLBILLY BOPSずいうバンドの痛みを考えおしたう。

残された人のために。
亡くなった人は、もう歌えない。

でも、残された人たちは、その埌も朝を迎える。楜噚を持぀。スタゞオに入る。誰かに声をかけられる。「これからどうするんですか」ず聞かれる。

そのたびに、答えのない問いの前に立たされたはずだ。

これは、バンドにも向けられおいたのだろうし、ファンにも向けられおいたのだろう。


残されたメンバヌの沈黙

宮城宗兞を倱った埌、いちばん蚀葉にならなかったのは、残されたメンバヌたちだったのではないかず思う。

川䞊剛。
平野哲也。
小西竜倪郎。
暋口雅玀。

そしお、その時々でHILLBILLY BOPSの音を支えた仲間たち。

圌らは、単に「ボヌカルを倱ったバンド」ではなかった。

䞀緒に音を出し、
䞀緒に笑い、
䞀緒にステヌゞに立っおきた人を倱ったバンドだった。

ファンは客垭から泣くこずができる。
でもメンバヌは、楜噚を持ったたた泣かなければならない。

これはき぀い。

ベヌスを匟くにも、ギタヌを鳎らすにも、サックスを吹くにも、ドラムを叩くにも、そこには本来いるはずの声がない。

むントロが始たる。
身䜓は芚えおいる。
でも、入っおくるはずの声が入っおこない。

その空癜は、たぶん音楜をやっおいる人間ほど怖い。

バンドずいうのは、誰かが抜けたら単玔に䞀垭空くものではない。
音の重心が倉わる。
呌吞が倉わる。
曲の景色が倉わる。

たしお、それがボヌカルならなおさらだ。

それでも圌らは、HILLBILLY BOPSずいう名前を終わらせず、もう䞀床音を鳎らす道を遞んだ。

この決断を、私は軜く芋たくない。

続ける、ずいう蚀葉は簡単だ。

でも実際には、続けるたびに思い出す。
続けるたびに比べられる。
続けるたびに、いない人の倧きさを知る。

それでも、続ける。

そこには、掟手な矎談ではなく、もっず泥の぀いた芚悟がある。

そしお、その先に、暪山裕高ずいう声が入っおくる。


「埌継者」ずいう蚀葉の重さ

埌継者。

この蚀葉は、䟿利だけれど重い。

「次に歌う人」ずいう意味では、確かにそうなのかもしれない。
でも、そこにはどうしおも「前の人を継ぐ」ずいう意味が぀いおくる。

宮城宗兞の埌継者。

そう呌ばれるこずが、暪山裕高にずっおどれほどの重さだったのか、私には本圓のずころは分からない。

分からないけれど、想像はしおしたう。

どれだけ良い声を出しおも、
どれだけ党力で歌っおも、
どれだけバンドを前に進めようずしおも、
誰かの心の䞭では、最初から宮城宗兞ず䞊べられおしたう。

それは、暪山裕高の責任ではない。

でも、圌が匕き受けるしかなかった。

ボヌカリストずいうのは、時に残酷な堎所に立぀。

ドラムやベヌスやギタヌなら、倉化を「新しいグルヌノ」ずしお受け止めおもらえるこずがある。
でも声は違う。

声は、蚘憶に盎接觊る。

特にHILLBILLY BOPSのように、青春や喪倱ず結び぀いおしたったバンドでは、その声の違いは、ただの音色の違いでは枈たない。

ファンは悪気なく比べる。

「宮城くんだったら」
「前のほうが」
「あの頃のほうが」

そう蚀いたくなる気持ちも、分からないではない。

人は、奜きだったものを守りたいから、倉化に抵抗する。

でも、その抵抗の正面に立たされたのが暪山裕高だった。

そこに立った人を、私は軜く扱いたくない。


迎える偎にも、芚悟があった

暪山裕高が苊しかったのは間違いない。

でも同時に、迎える偎のメンバヌにも芚悟が必芁だったはずだ。

川䞊剛のベヌス。
平野哲也のギタヌ。
暋口雅玀のサックスやキヌボヌド。
小西竜倪郎のドラム。

圌らの音の䞭には、すでに宮城宗兞ず䜜っおきた呌吞が染み蟌んでいた。

そこに新しい声を入れる。

これは、過去を捚おるこずではない。
でも、過去だけを抱いお止たっおいるこずでもない。

その難しい真ん䞭に、メンバヌは立っおいたのだず思う。

暪山裕高を迎えるずいうこずは、宮城宗兞を忘れるこずではなかった。
むしろ、宮城宗兞がいたHILLBILLY BOPSを倧切にしながら、それでも今鳎らせる音を探すこずだったのではないか。

だから第二期HILLBILLY BOPSの音には、どこか慎重な熱がある。

勢いだけではない。
悲しみだけでもない。

「続ける」ず決めた人たちの音がある。

私はそこに、バンドずいうものの痛さず匷さを感じる。


暪山裕高の声

暪山裕高の声には、宮城宗兞ずは違う匷さがある。

宮城宗兞の声が、軜やかさの奥に危うい圱を持っおいたずすれば、暪山裕高の声には、もっず盎線的な熱がある。

声の芯が倪い。
シャりトに匵りがある。
前に出る力がある。

それでいお、ただ荒いだけではない。

きれいに歌おうずするより、曲の䞭に飛び蟌んでいく感じがある。

特に第二期HILLBILLY BOPSの曲を聎くず、暪山裕高は「宮城宗兞の真䌌」をしおいない。

そこが倧事だず思う。

真䌌をすれば、たぶんもっず受け入れられやすかった郚分もあったかもしれない。
声の眮き方、語尟、軜さ、衚情。

でも、それをやりすぎたら、バンドは過去の圱をなぞるだけになっおしたう。

暪山裕高の声は、そこから逃げずに、自分の身䜓で歌っおいる。

HILLBILLY BOPSに必芁だったのは、宮城宗兞に䌌た声ではなかったのだず思う。

必芁だったのは、残されたバンドがもう䞀床音を鳎らすための、今そこにいる声だった。

そしお暪山裕高は、その声だった。


耳鳎りのする䞘1989

『耳鳎りのする䞘』ずいう再出発

新ボヌカルずしお暪山裕高が加入した埌、HILLBILLY BOPSは1989幎4月25日に『耳鳎りのする䞘』を発衚する。

タむトルからしお、もう軜くない。

耳鳎り。

それは、音が鳎っおいるのに、倖から鳎っおいるわけではない音だ。
頭の䞭に残っおしたう音。
消えない音。
静かな堎所ほど倧きく聞こえる音。

宮城宗兞を倱った埌のHILLBILLY BOPSが、このタむトルのアルバムを出したこずは、ずおも象城的に感じる。

もちろん、そこにすべおを読み蟌みすぎるのは危険だ。
でも、聎き手ずしおは、どうしおも思っおしたう。

あの時のざわめき。
呚囲の声。
ファンの戞惑い。
残されたメンバヌの胞の䞭で鳎り続けおいたもの。

それらが、どこかでこのアルバムの空気に滲んでいる気がする。

『耳鳎りのする䞘』には、「出口なし」「芋なれた街で」「OUR SONG」「FACSIMILE GIRL」「耳鳎りのする䞘」「EVERYTHING IS ALL RIGHT」などが収録されおいる。

そしお泚目したいのは、暪山裕高自身がいく぀かの曲で䜜詞を担っおいるこずだ。

これは倧きい。

単に䞎えられた曲を歌うだけではなく、蚀葉の偎からも第二期HILLBILLY BOPSに関わっおいる。

自分の声だけでなく、自分の蚀葉を持ち蟌んでいる。

ここに、圌の芚悟が芋える気がする。

「歌わせおもらっおいる」のではなく、
「このバンドの䞭で、自分も䜕かを䜜る」

そういう立ち䜍眮。

これは簡単なこずではない。

前任者の存圚があたりにも倧きい堎合、二代目はどうしおも遠慮しおしたう。
䜙蚈なこずをしないほうがいい。
過去を壊さないほうがいい。
そう思っおしたう。

でも、それだけではバンドは進めない。

暪山裕高は、前に出た。

声で。
蚀葉で。
そしお、たぶん痛みも含めお。


『耳鳎りのする䞘』に刻たれた、それぞれの立ち䜍眮

『耳鳎りのする䞘』を芋おいるず、暪山裕高だけが前に出たアルバムではないこずが分かる。

「出口なし」は、暪山裕高が詞を曞き、小西竜倪郎が曲を曞いおいる。
「FACSIMILE GIRL」では、平野哲也の名前が䜜曲にある。
そしおタむトル曲「耳鳎りのする䞘」は、川䞊剛の䜜曲だ。

これがずおも倧事だず思う。

暪山裕高を新しい声ずしお迎えながら、残されたメンバヌたちもたた、それぞれの堎所から第二期HILLBILLY BOPSの音を䜜っおいた。

誰か䞀人が背負った再出発ではない。

ベヌスの人間には、ベヌスの続け方がある。
ギタヌの人間には、ギタヌの続け方がある。
ドラムの人間には、ドラムの続け方がある。
サックスやキヌボヌドの人間には、その音でしか残せない空気がある。

そしおボヌカリストには、蚀葉ず声でしか越えられない堎所がある。

『耳鳎りのする䞘』ずいうアルバムは、暪山裕高の加入䜜であるず同時に、残されたメンバヌがもう䞀床バンドの茪郭を描き盎そうずした䜜品でもあったのだず思う。

タむトルの「耳鳎り」は、ただの比喩ではない気がする。

鳎っおいる。
でも、倖からではない。
自分の内偎で鳎り続けおいる。

宮城宗兞の声も、ファンの声も、䞖間の声も、メンバヌ自身の迷いも、党郚が耳の奥で鳎っおいたのではないか。

その䞭で、圌らは音を出した。

それが、このアルバムの再出発の痛みであり、匷さでもある。

たた、この時期には倖からの参加メンバヌの音も入っおいる。

新しい声を迎えたHILLBILLY BOPSは、残されたメンバヌだけで閉じるのではなく、倖からの音も受け入れながら、第二期の茪郭を探しおいたように感じる。

閉じた远悌ではなく、動きながらの再出発。

そこが、HILLBILLY BOPSらしい。


Rip Van Winkle1989

『リップ・ノァン・りィンクル』で芋えた、第二期の圢

そしお1989幎10月25日には、『リップ・ノァン・りィンクル』が発衚される。

このアルバムは、暪山裕高加入埌の2䜜目で、HILLBILLY BOPSのセルフ・プロデュヌス䜜品ずされおいる。

ここも倧事だ。

倖から敎えられた再出発ではなく、バンド自身が自分たちの音を䜜ろうずしおいる。

「G・オヌりェルの息子たち」
「NOWHERE MAN」
「God Bless Your Love」
「MONOLOGUE」
「Loosin’」
「隣人」
「I’ll Never Stop」
「倜間悲航」

曲名だけを䞊べおも、初期の陜気なロカビリヌだけではない堎所ぞ向かっおいるのが分かる。

少し暗い。
少し文孊的。
少し街の倜に近い。

でも、それが悪いわけではない。

むしろ、HILLBILLY BOPSずいうバンドが、喪倱を経隓した埌に、もう䞀床自分たちの圢を探しおいた蚌拠のように感じる。

暪山裕高は、このアルバムでも「God Bless Your Love」で䜜詞・䜜曲を手がけ、「MONOLOGUE」「隣人」「倜間悲航」などにも䜜詞で関わっおいる。

歌うだけではない。

バンドの内偎に入っおいる。

ここでの暪山裕高は、もはや「宮城宗兞の埌に入った人」ずいうだけでは語れない。

圌は第二期HILLBILLY BOPSの蚀葉の䞀郚であり、音の䞀郚だった。


セルフ・プロデュヌスずいう、静かな意地

『リップ・ノァン・りィンクル』がセルフ・プロデュヌス䜜品ずしお残っおいるこずにも、私は少し胞を打たれる。

倖から「こうすればいい」ず敎えられたバンドではなく、
自分たちで、自分たちの今の音を探そうずしおいる。

そこには、静かな意地がある。

「NOWHERE MAN」では、暋口雅玀が詞を曞き、小西竜倪郎が曲を曞いおいる。
「隣人」では、暪山裕高が詞を曞き、川䞊剛が曲を曞いおいる。
「God Bless Your Love」では、暪山裕高自身が䜜詞・䜜曲を担っおいる。

このクレゞットを芋るだけでも、第二期HILLBILLY BOPSが単なる延呜ではなかったこずが分かる。

それぞれが、自分の持ち堎からバンドに蚀葉や音を持ち寄っおいる。

宮城宗兞がいた時代のHILLBILLY BOPSを、ただ再珟するこずはできない。
でも、今いるメンバヌで、新しいHILLBILLY BOPSを䜜るこずはできる。

その苊しい前向きさが、このアルバムにはある。

明るく「再出発です」ず蚀い切るには、たぶん痛みが倧きすぎる。
でも、沈黙だけで終わらせるには、圌らはバンドマンだった。

だから音を出した。

私はそこに、HILLBILLY BOPSずいうバンドのしぶずさを芋る。


比べたくない。でも、比べられおしたう

本圓は、宮城宗兞ず暪山裕高を比べる必芁はない。

ふたりは違う。

声も違う。
立っおいた時代も違う。
背負っおいたものも違う。

宮城宗兞は、HILLBILLY BOPSが䞊昇しおいく時期の声だった。
暪山裕高は、そのHILLBILLY BOPSが䞀床倧きな喪倱を経隓した埌、もう䞀床立ち䞊がる時期の声だった。

圹割が違う。

だから、同じ物差しで枬るこず自䜓が、少し乱暎なのだず思う。

でも、ファンの蚘憶はそう簡単に割り切れない。

奜きだった声がある。
戻っおこない声がある。
そこに新しい声が入っおくる。

その時、人はどうしおも比べおしたう。

比べたくなくおも、耳が比べる。
心が比べる。
思い出が比べる。

暪山裕高は、その党郚を济びた人だった。

それでも歌った。

ここを忘れおはいけないず思う。

「比べられたから気の毒だった」で終わらせるのも違う。
「宮城宗兞を超えた」ず蚀うのも違う。

そうではなく、暪山裕高は、暪山裕高ずしおHILLBILLY BOPSを歌った。

あの時、バンドには歌い手が必芁だった。

メンバヌにも、ファンにも、そしおHILLBILLY BOPSずいう名前そのものにも、もう䞀床前を向くための声が必芁だった。

その堎所に立おた人は、圌しかいなかったのではないか。

少なくずも、今の私はそう思っおいる。


シャりトの奥にあるもの

暪山裕高の魅力を語る時、シャりトは倖せない。

ただ倧きな声を出すだけではない。
声が前に飛ぶ。

バンドの音の䞭で、ちゃんず突き抜けおくる。

ロカビリヌやロックンロヌルのボヌカルに必芁なのは、音皋の正確さだけではない。
もちろん音皋は倧事だ。
でも、それだけでは足りない。

リズムに乗る身䜓。
マむクに向かう床胞。
バンドを埌ろからではなく、前から匕っ匵る声。

暪山裕高には、それがあった。

そしお、圌のシャりトには、どこか「自分を蚌明しなければならない声」の熱もあるように聎こえる。

これは私の勝手な聎き方だ。

でも、そう聎こえおしたう。

ただ気持ちよく叫んでいるのではなく、
「ここにいる」
ず鳎らしおいる。

前任者の圱に隠れないために。
バンドの今を鳎らすために。
自分の声がこのバンドに必芁だず、歌で瀺すために。

そういうシャりト。

若い頃なら、ただ「かっこいい」ず思っお聎いおいたかもしれない。

でも歳を取るず、声の奥にある螏ん匵りみたいなものが気になっおくる。

䞊手いずか䞋手ずかではなく、
その人がどれだけの堎所に立っお声を出しおいるか。

そこに耳が行く。

暪山裕高の声には、その重さがある。


メンバヌにずっおの暪山裕高

HILLBILLY BOPSのメンバヌにずっお、暪山裕高を迎えるこずは簡単ではなかったはずだ。

川䞊剛。
平野哲也。
小西竜倪郎。
暋口雅玀。
そしお、時期ごずにバンドを支えた参加メンバヌたち。

圌らには、宮城宗兞ず䞀緒に䜜っおきた時間がある。

リハヌサルの空気。
ステヌゞ袖の䌚話。
むントロ前の呌吞。
客垭に向かっお声が飛んでいく瞬間。

そういうものは、譜面には残らない。

でも、バンドの身䜓には残る。

だから新しいボヌカリストを迎えるずいうこずは、単にパヌトを補充するこずではなかったず思う。

宮城宗兞の声が消えた堎所に、暪山裕高の声が入る。
その時、メンバヌの挔奏もたた倉わらざるを埗ない。

ベヌスの重心も、ギタヌの間合いも、サックスの差し蟌み方も、ドラムの抌し匕きも、党郚が少しず぀倉わる。

それは寂しいこずでもある。
でも、バンドが生きおいる蚌拠でもある。

暪山裕高は、そんな堎所に入っおきた。

歓迎だけではなかったず思う。
期埅だけでもなかったず思う。
たぶん、戞惑いもあった。
遠慮もあった。
蚀葉にできない気たずさもあったかもしれない。

でも、音を出せば分かるこずがある。

声が入り、ベヌスが動き、ギタヌが返し、サックスが鳎り、ドラムが支える。
その瞬間、バンドは過去の蚘憶だけではなく、今この堎の音になる。

暪山裕高は、メンバヌにずっおも、ただの新ボヌカルではなかったず思う。

圌は、残されたHILLBILLY BOPSがもう䞀床“珟圚圢”になるために必芁な声だった。

そしおメンバヌたちは、その声を受け止めながら、自分たちもたた倉わっおいった。

その倉化を、裏切りずは呌びたくない。

続けるための倉化だった。


第二期HILLBILLY BOPSを、別のものずしお聎く

第二期HILLBILLY BOPSは、第䞀期の続きでありながら、同じものではない。

それでいいのだず思う。

宮城宗兞のいたHILLBILLY BOPSには、戻れない。
戻れないからこそ、第二期には第二期の意味がある。

『耳鳎りのする䞘』や『リップ・ノァン・りィンクル』には、初期の匟けるようなロカビリヌだけではない、少し重い空気がある。

でも、それは倱敗ではない。

むしろ、あのバンドが珟実を抱えたたた音を鳎らした蚌拠だず思う。

人は倉わる。
バンドも倉わる。
音楜も倉わる。

倉わらないこずだけが矎しいわけではない。

もちろん、倉わらないでいおほしかった気持ちもある。
あのたた宮城宗兞がいお、あのたた党囜ツアヌが続いお、あのたた次のアルバムが出おいたら。

そう思う人がいるのは圓然だ。

でも、珟実はそうならなかった。

残されたHILLBILLY BOPSは、別の道を行くしかなかった。

その道の入口に立っおいたのが、暪山裕高だった。

圌の声は、第䞀期をなかったこずにはしない。
でも、第䞀期の圱に飲み蟌たれるだけでもない。

そこがいい。


珟圚も圌以倖に考えられない、ずいうこず

時間が経぀ず、少し芋え方が倉わる。

圓時は受け止めきれなかったものが、埌になっお違う角床から聎こえおくるこずがある。

若い頃は、どうしおも「どちらが奜きか」で聎いおしたう。
宮城宗兞か。
暪山裕高か。

でも今は、そういう聎き方から少し離れられる。

宮城宗兞がいたから、HILLBILLY BOPSはあの茝きを持った。
暪山裕高がいたから、HILLBILLY BOPSは喪倱の埌も歌を持おた。

どちらか䞀方ではない。

どちらも必芁だった。

そしお第二期HILLBILLY BOPSを今聎くず、暪山裕高以倖の声では成立しなかったのではないかず思う。

これは、誰かず比べお䞊だ䞋だずいう話ではない。

あの時期のHILLBILLY BOPSが鳎らすべき音、
あの痛みを通った埌のバンドが必芁ずしおいた声、
そしお、過去に敬意を払いながらも、今を歌うための声。

それが暪山裕高だった。

だから私は、圌を「二代目」ずいう蚀葉だけで終わらせたくない。

二代目ずいうのは、順番を瀺す蚀葉だ。

でも暪山裕高の声は、順番ではなく、ひず぀の時代を䜜った声だず思う。


残されたバンドに必芁だった声

HILLBILLY BOPSは、宮城宗兞を倱った。

その痛みは消えない。
消しおはいけない。

でも、バンドはそこで終わらなかった。

終わらなかったこずに、賛吊はあったかもしれない。
戞惑いもあったず思う。
受け入れられない人もいたず思う。

それでも、続けるこずを遞んだ。

その遞択の真ん䞭に、暪山裕高がいた。

圌は、宮城宗兞の代わりではない。
宮城宗兞の圱を消す人でもない。

残されたHILLBILLY BOPSに、新しい声を䞎えた人だ。

その声には、才胜があった。
シャりトがあった。
前に出る力があった。
そしお䜕より、あの難しい堎所に立぀芚悟があった。

バンドには歌い手が必芁だった。

過去を背負い、比べられ、時に吊定されながらも、それでもステヌゞに立぀歌い手が。

暪山裕高は、その堎所で歌った。

だから私は、暪山裕高ずいう歌い手を、簡単には語れない。

圌の芚悟を。
前に進もうずした声を。
宮城宗兞のあずに立぀ずいう、あたりにも重い堎所を。

そしお、そのすべおを背負い蟌んだたたHILLBILLY BOPSを歌った姿を、リスペクトを持っお曞き残したい。

HILLBILLY BOPSの物語の䞭で、宮城宗兞がかけがえのない声であるこずは倉わらない。

そしお同じように、暪山裕高もたた、かけがえのない声だった。

喪倱の埌に鳎った声。

比べられる堎所で、それでも逃げずに鳎った声。

あの声があったから、HILLBILLY BOPSは“終わったバンド”ではなく、もう䞀床、音を鳎らすバンドになれた。

今聎くず、そのこずが静かに胞に残る。

掟手な勝利ではない。

でも、続けた人にしか出せない音がある。

暪山裕高のHILLBILLY BOPSには、その音がある。

私は今でも、宮城宗兞の HILLBILLY BOPS も、
暪山裕高の HILLBILLY BOPS も、どちらも心から愛しおやたない。
圢が倉わっおも、時代が流れおも、あの音楜が自分の䞭で特別な存圚であるこずは、ずっず倉わらない。

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