🎵『G・オーウェルの息子たち』 HILLBILLY BOPS

G・オーウェルの息子たち

アーティスト:HILLBILLY BOPS
作詞:和久井光司
作曲:伊豆田洋之
編曲:HILLBILLY BOPS
収録アルバム:『Rip Van Winkle』(1989)
Producer:HILLBILLY BOPS
Label:KITTY RECORDS
発売日:1989年10月25日

『Rip Van Winkle』
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『G・オーウェルの息子たち』というタイトルだけ見ると、少し身構える。

ジョージ・オーウェル。
監視される社会。
自由でいるつもりなのに、どこかで誰かの目を意識してしまう感じ。

でも、HILLBILLY BOPSはそれを重たい顔で鳴らさない。

ここがいい。

曲はちゃんと跳ねている。
ロカビリーの匂いがある。
ポップスとしての明るさもある。
そして何より、川上剛のスラップベースが前に出てくる。

あのベースがあるから、この曲は頭で考える歌になりすぎない。

タイトルには不穏さがある。
歌詞にも、見えない圧力や、時代に囲まれていく感覚が滲んでいる。

でも下では、ベースがバチンと鳴っている。

それが妙にHILLBILLY BOPSらしい。

怖いことを歌っているのに、身体は止まっていない。
息苦しさを感じているのに、リズムは前へ行く。
暗い部屋に閉じこもるのではなく、街へ飛び出していく。

この感じが、たまらない。


見られている時代を、踊れる音にする

歌詞を細かく説明しすぎるより、この曲はタイトルの強さを受け止めた方がいい気がする。

「オーウェルの息子たち」。

それは、誰かが作った仕組みの中で生きている人たちのことかもしれない。
自由なつもりでいるのに、実は見えない線の中を歩かされている人たち。

でもこの曲は、そこに負けていない。

皮肉もある。
不安もある。
どこか茶化しているような軽さもある。

その軽さが、逆に強い。

深刻なことを深刻に歌うのは、ある意味では分かりやすい。
でも、深刻なものを抱えたまま、ロカビリーのリズムで鳴らすのは難しい。

HILLBILLY BOPSは、それをやっている。

しかも、説教くさくならない。
「世の中はこうだ」と言い切らない。
ただ、バンドの音として投げてくる。

聴く側は、その跳ねるリズムに乗りながら、あとから少し引っかかる。

あれ、今の歌、意外と怖いことを言ってなかったか。

そんな感じだ。


ギタリストとして聴いていても、この曲はやっぱりベースに耳が行く。

川上剛のスラップベース。

派手に見せびらかすというより、曲の背骨として跳ねている。
音が前に出る。
リズムが立つ。
バンド全体の腰が上がる。

ロカビリーやロックンロールのベースは、ただ低音を支えるだけではない。
曲の歩き方を決める。

前へ転がるのか。
少し後ろに引っ張るのか。
軽く跳ねるのか。
地面を蹴るのか。

この曲のベースは、地面を蹴っている。

だから横山裕高の声も、その上で前に出られる。
平野哲也のギターも、余計に重くならずに済む。
小西竜太郎のドラムも、曲を沈ませずに走らせる。
そこにヒルビリーらしいポップさが残る。

『G・オーウェルの息子たち』は、タイトルだけなら文学的で少し冷たい。
でも音は、ちゃんと汗をかいている。

そこが好きだ。


Rip Van Winkle

『Rip Van Winkle』(1989)は、第二期HILLBILLY BOPSの形がよりはっきり見えるアルバムだと思う。

宮城宗典を失ったあと、横山裕高を迎えたバンドが、もう一度自分たちの音を探している。

『Rip Van Winkle』というタイトルも、どこかこの時期のHILLBILLY BOPSに合っている。

ワシントン・アーヴィングの物語に出てくるリップ・ヴァン・ウィンクルは、山の中で不思議な男たちに出会い、酒を飲み、眠り込む。
目を覚ました時には、長い年月が過ぎていて、知っていた世界はもう別のものになっている。

この「不思議な男たち」を、妖精のような存在として語られることもある。

山の奥で、現実とは少し違う時間を生きている者たち。
人を眠らせ、目覚めた時には世界を変えてしまう者たち。

そう考えると、『Rip Van Winkle』というアルバム名には、ただの昔話以上のものを感じる。

眠っていたわけではない。
でも、HILLBILLY BOPSは大きな喪失のあと、以前と同じ世界には戻れなかった。

目を覚ましたら、景色が変わっていた。
知っている声はもうそこになく、でもバンドはまだ続いていた。

その変わってしまった世界で、もう一度音を鳴らす。

『G・オーウェルの息子たち』がアルバムの1曲目に置かれていることも、そこに少し重なる。
昔話の眠りから覚めた先にあるのは、牧歌的な世界ではなく、どこか見られているような時代の空気だった。

世界が変わってしまっても、ただ呆然と立ち尽くすのではない。
不思議な妖精たちに時間を奪われたような感覚を抱えながら、それでもバンドはロカビリー/ポップスの足取りで前へ出る。

初期の明るさをそのままなぞるのではない。
でも、暗さだけに沈むわけでもない。

その間に立っている。

この曲がアルバムの1曲目に置かれていることにも、私は意味を感じる。

いきなり泣かせに来ない。
重々しい再出発にもしていない。
でも、昔のままの無邪気さでもない。

少しひねりがある。
少し影がある。
でも、音は跳ねている。

それが第二期HILLBILLY BOPSの面白さだと思う。

横山裕高の声には、前へ出る力がある。
宮城宗典の影を消すのではなく、自分の身体で歌っている。

その声を中心に、
平野哲也のギターが景色を描き、
小西竜太郎のドラムスが足元を固め、
川上剛のベースが力強く前へ運んでいく。

これがいい。

ボーカルだけが頑張っている曲ではない。
バンド全体が、もう一度現在形になろうとしている音がする。


若い頃なら、この曲をただ「かっこいい」で聴いていたかもしれない。

跳ねるベース。
勢いのある歌。
少しひねったタイトル。
ヒルビリーらしいポップな疾走感。

それで十分だった。

でも年を取ると、少し違うところが気になってくる。

明るく鳴っている音の後ろにある、言い切れない不安。
笑っているようで、どこか張りつめている感じ。
軽やかなリズムの中にある、踏ん張り。

そういうものに耳が行く。

仕事でも、生活でも、年齢でも、見えないものに囲まれている感じはある。
誰かに見られているというより、自分で自分を縛ってしまうこともある。

それでも朝は来る。
弦は錆びる。
チューニングはズレる。
そして湿布の香りだけは、なぜか年々ロックより強くなる。

まあ、そういう日もある。

でも、この曲を聴くと、少し身体が前に戻る。

考えすぎる前に、ベースが鳴る。
足が動く。
曲が始まる。

『G・オーウェルの息子たち』は、不安を消してくれる曲ではない。

でも、不安を抱えたままでも跳ねていいのだと教えてくれる。

HILLBILLY BOPSらしいロカビリー/ポップスの明るさ。
軽やかなギター、弾むドラムス、力強くうねるスラップベース。
そして、横山裕高の前へ出る声。

その全部が重なって、この曲はただの社会風刺ではなく、ちゃんとバンドの歌になっている。

見られている時代でも。
囲まれているような気がする日でも。

バチン、とベースが鳴る。

その瞬間だけは、少しだけ自由な気がする。

『Rip Van Winkle』(1989)

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