🎵『チャイニーズ・クイーン』柳ジョージ&レイニーウッド

主役はレイニーウッド。そして最後に、あの声が来る

曲名:チャイニーズ・クイーン
アーティスト:柳ジョージ&レイニーウッド
年代:1979年
作詞:東海林良
作曲:上綱克彦
編曲:レイニーウッド
収録アルバム:『Y.O.K.O.H.A.M.A.』(1979年)
Label:Bourbon Records

『Y.O.K.O.H.A.M.A.』は1979年作品。「チャイニーズ・クイーン」はB面4曲目に収録されている。公式ディスコグラフィーおよび音源資料でも、作詞・東海林良、作曲・上綱克彦、編曲・レイニーウッドと確認できる。

『Y.O.K.O.H.A.M.A.』
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柳ジョージ&レイニーウッドの曲なのに、柳ジョージがなかなか歌わない。

これ、今考えても面白い。

「チャイニーズ・クイーン」は、ほとんどをレイニーウッドのメンバーが歌っている。

柳ジョージの、あの少し擦れた声を待っていると、

来ない。

まだ来ない。

レイニーウッドが歌っている。

そして曲が進み、最後のヴァースになって、ようやく柳ジョージが入ってくる。

これが妙に格好いい。

「柳ジョージ&レイニーウッド」という名前から、どうしても私たちは柳ジョージを中心に聴いてしまう。

あの声は強い。

一声出ただけで景色を持っていってしまう。

でも、この曲ではレイニーウッドが前へ出る。

それがいい。

むしろこの一曲を聴くと、

「ああ、この人たちはバックバンドじゃなかったんだ」

という当たり前のことを、あらためて思い知らされる。

曲を書き、演奏し、コーラスをつけ、そして歌う。

ちゃんとひとつのバンドだった。


柳ジョージがいない時間が、こんなに楽しい

「チャイニーズ・クイーン」は暗いブルースではない。

かなり楽しい。

少し怪しい。

少し猥雑。

そして、夜である。

昼間に健康的な顔をして聴くより、ネオンがつき始めてからの方が似合う。

レイニーウッドの演奏も軽快だ。

リズムが前へ進む。

ベースが身体を動かす。

ギターと鍵盤が、その周りを行ったり来たりする。

そこへメンバーの歌が乗る。

柳ジョージの声がないことで、逆にバンドの別の顔が見える。

普段、強烈なフロントマンがいるバンドほど、こういう曲は面白い。

学校で先生が職員室へ行った途端、急に教室が賑やかになる感じ……と言ったら怒られるか。

でも、ちょっとそんな感じがする。

レイニーウッドが伸び伸びしている。


ミスター・グッドバーの「ダイアン」

そして、この歌詞。

ここで私は止まった。

ミスターグッドバーの
ダイアンのようにさ

若い頃なら、

ダイアン?

誰だろう。

くらいで、そのまま聴いていたかもしれない。

でも、調べてみると、これがかなり重要だった。

「ミスター・グッドバー」とは、1977年のアメリカ映画『Looking for Mr. Goodbar』。

主演はダイアン・キートン。

正確には、ダイアンは役名ではなく演じているダイアン・キートンのことだ。

彼女が演じるテレサ・ダンは、昼間は聴覚障害のある子どもたちを教える教師。

真面目に仕事をしている。

ところが夜になると、シングルズ・バーへ出かけ、昼とはまったく違う生活へ入っていく。

1977年当時のTIME誌も、テレサを「昼は教師、夜はシングルズ・バーへ出かける女性」と評している。

つまり東海林良は、映画が公開されて間もない1979年の歌詞に、この人物像を持ち込んでいる。

これを知ると、その後の言葉がつながる。

昼間の顔と、

夜の顔。

同じ女なのに、同じ女ではない。

「チャイニーズ・クイーン」の女性も、そんな二つの時間を生きている。

これは当時聴いていた人には、今よりずっと鮮明な引用だったのかもしれない。

1979年。

映画も音楽もファッションも、海を越えて入ってくる。

それを日本のバンドが拾って、自分たちの歌の中へ放り込む。

この雑食性が、なんとも70年代後半らしい。


昼の女と、夜の女

歌詞では、その二面性がかなり直接的に描かれる。

昼は堅い仕事をしている。

でも、日が暮れると違う顔になる。

そして、

蛇のように踊れよ
今夜だけはクイーンさ

と歌う。

ここが、この曲のタイトルにつながってくる。

「Queen」は本当の身分ではない。

今夜だけ。

朝になれば終わる。

だから、ちょっと切ない。

夜の街には、そういう時間がある。

昼間は会社員かもしれない。

店員かもしれない。

教師かもしれない。

家族の前では、別の顔をしているかもしれない。

でも夜の数時間だけ、

誰でもない自分になる。

今ならSNSのプロフィールをいくつも持って、人によって違う顔を見せることも珍しくない。

でも1979年には、もっと物理的だった。

昼の街と夜の街。

仕事着と夜の服。

会社と酒場。

同じ人間なのに、場所が変わると違う自分になる。

それを「偽物」と呼ぶ必要もないと思う。

どちらも、その人なのだろう。

歳を取ると、そのくらいのことは分かってくる。

私だって仕事をしている顔と、ギターを持っている時の顔は、たぶん少し違う。

家で湿布を貼っている時の顔に至っては、できれば誰にも見せたくない。

人間には、いろいろな時間がある。


「いい加減な男は忘れろ」が妙に優しい

面白いのは、この曲が女性をただ妖艶な存在として眺めているだけではないことだ。

歌の中では、

いい加減な男なんか忘れてしまえ、

という方向へ進む。

これが私は好きだ。

説教ではない。

救ってやる、でもない。

もっと軽い。

そんな男はもういいじゃないか。

今夜くらい踊れよ。

そんな距離に聞こえる。

傷ついた人に、

「元気を出せ」

と言われても、元気なんて出ない。

「忘れろ」

と言われても、忘れられない。

でも、

今夜だけ踊ろうぜ。

くらいなら、少し付き合えるかもしれない。

レイニーウッドの軽快な演奏が、その言葉を重くしない。

人生相談ではなく、音楽になっている。

そこがいい。


そして最後に、柳ジョージが来る

この曲のいちばん好きな仕掛けは、やっぱりここだ。

レイニーウッドが歌ってきた曲に、

最後になって柳ジョージの声が入ってくる。

待ってました、と言いたくなる。

でも、柳ジョージは全部を奪わない。

曲の最初から最後まで「あの声」で支配するのではなく、

最後に現れる。

だから効く。

ギターでも同じことがある。

ずっと弾いているソロより、

ずっと待っていたギターが最後に一音入る方が、強いことがある。

音楽は、鳴っている時間だけでできているわけではない。

鳴らなかった時間があるから、鳴った瞬間が大きくなる。

「チャイニーズ・クイーン」の柳ジョージは、まさにそれだ。

ここまでレイニーウッドが作ってきた夜の景色へ、

最後にあの声が入る。

すると一気に、

柳ジョージ&レイニーウッドになる。

この瞬間がたまらない。


だから武道館でも残った

この曲は『Y.O.K.O.H.A.M.A.』だけで終わらなかった。

1979年のライヴ音源にも残っている。

さらに、柳ジョージ&レイニーウッドが解散を迎えることになる1981年12月19日の日本武道館公演でも演奏された。

完全版のセットリストでは、「雨に泣いてる」の次、「微笑の法則」の前に「チャイニーズ・クイーン」が置かれている。配信音源でも同日のライブ・トラックが確認できる。

そして面白いのは、その後だ。

2008年の再結成ライヴを観たファンの記録には、

この曲を「柳ジョージがボーカルをやってない曲」「レイニーウッドが歌っている曲」として覚えていたことが書かれている。

実際、その再結成期の別公演でも、柳ジョージがステージを離れ、レイニーウッドだけで「チャイニーズ・クイーン」を演奏したという記録が残っている。

これ、すごくいい話だと思う。

「柳ジョージの曲だから演奏する」のではない。

レイニーウッド自身の曲として、生き残っていた。

作曲したのも上綱克彦。

歌うのもレイニーウッド。

そこには、

俺たちにも、俺たちの歌がある。

そんな匂いがする。

もちろん本人たちがそう言ったわけではない。

でも、バンドをやっている人間としては、ちょっと嬉しくなる。


『Y.O.K.O.H.A.M.A.』の中で聴くと、さらに面白い

しかもオリジナルLPのB面後半は、

「チャイニーズ・クイーン」

「本牧綺談」

「FENCEの向うのアメリカ」

と続く。徳間ジャパン公式の曲順でも確認できる。

この並びがいい。

夜の女がいる。

本牧の街がある。

そして最後には、フェンスの向こうのアメリカがある。

外国の文化が入り込んだ横浜の夜を歩いて、

最後には自分たちが育った街と、その向こうに見えたアメリカへたどり着く。

そんな聴き方もできる。

「チャイニーズ・クイーン」に映画『ミスター・グッドバー』が出てくるのも、その流れの中では不思議ではない。

アメリカ映画。

ブルース。

R&B。

中華街。

本牧。

米軍施設。

いろいろな文化が一枚のレコードの中で混ざっている。

でも出来上がった音は、

アメリカでも中国でもない。

柳ジョージ&レイニーウッドの横浜だ。

ここが『Y.O.K.O.H.A.M.A.』というアルバムの面白さなのだと思う。


今夜だけは、クイーン

若い頃、この曲を聴いていたら、

ちょっと怪しい女の歌。

それくらいに受け取っていたかもしれない。

今は少し違う。

昼と夜。

仕事と自分。

人に見せる顔と、誰にも見せない顔。

人間には、いくつもの自分がある。

その全部をひとつにまとめなくてもいいのかもしれない。

昼間は真面目に働けばいい。

夜になったら、少しくらい違う自分になってもいい。

もちろん私はもう、蛇のように踊ったら翌朝たぶん腰が動かない。

そこは年齢と相談である。

それでも、

「今夜だけはクイーンさ」

という言葉には、今聴くと妙な優しさがある。

ずっと女王でいろ、ではない。

今夜だけでいい。

嫌な男のことも。

昼間の仕事も。

少しくらい忘れてしまえ。

そして、その夜をレイニーウッドが歌う。

最後になって、柳ジョージの声が入ってくる。

この順番だからいい。

フロントマンが少し後ろへ下がったことで、普段はその後ろにいるメンバーの顔が見える。

そして最後にあの声が聞こえた瞬間、

「ああ、やっぱりこのバンドだ」

と思う。

主役を交代しながら、それでも同じバンドの音がする。

『チャイニーズ・クイーン』。

柳ジョージ&レイニーウッドという名前の、

「&」の向こう側がよく見える曲だ。

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