🎸 おじさんギタリストシリーズ#60 海外出張中、おじさんはだいたい何かを探している 編

海外出張には、ギターを持っていかない。

通訳や翻訳の仕事で行っているのだから、当然といえば当然である。
シンガポールでも、台湾でも、香港でも、中国でも、私の荷物に入っているのはギターではなく、資料とパソコンとスマホと充電器と、なぜか毎回からまるケーブル類だ。

ギターケースはない。
アンプもない。
エフェクターもない。

その代わり、老眼鏡と変換プラグとホテルのカードキーを、人生の重要アイテムみたいに管理している。

いや、管理しているつもりでいる。

ここが問題である。

海外出張中のおじさんは、だいたい何かを探している。

パスポート。
スマホ。
搭乗券。
老眼鏡。
充電ケーブル。
変換プラグ。
ホテルのカードキー。
さっきまで手に持っていたはずのペン。
なぜか消えるレシート。
どこのポケットにも入っていない気がするイヤホン。

全部、さっき確認した。

確認したのに、また確認する。

パスポートはある。
でも、また見る。

スマホはある。
手に持っている。
なのに、一瞬「あれ、スマホどこだ?」と思う。

もうかなり危ない。

ギターのコード進行なら、昔の曲でもけっこう覚えている。
イントロが鳴れば、指が勝手に反応する曲もある。
何十年も前に覚えたフレーズなのに、身体のどこかに残っている。

なのに、搭乗口の番号は三分で不安になる。

A12だったか。
B12だったか。
いや、そもそも12だったか。

脳の使い方が、どうも偏っている。

しかも海外の空港というのは、こちらの不安を試すように広い。
「Gate」と書いてある方向へ歩いているのに、途中でなぜか免税店の香水売り場に吸い込まれそうになる。
あれは危ない。

香水の匂いに包まれた瞬間、私は一瞬、自分がどこへ向かっていたのか分からなくなる。

搭乗口なのか。
会議室なのか。
それとも、ただ老眼鏡を探しているだけなのか。

海外出張は、移動しているだけで脳内ミキサーのフェーダーが全部上がってしまう。

言葉。
時間。
時差。
空港のアナウンス。
メールの返信。
集合場所。
タクシー乗り場。
Wi-Fiのパスワード。

そこに「さっきまで持っていたペン」が加わる。

ペンごときで、なぜ人はあんなに動揺するのだろう。


シンガポールに行くことが多い。
台湾も多い。
最近は香港、中国にも行った。

もちろん観光ではない。
仕事である。

資料を確認し、相手の発言を聞き、空気を読み、言葉を渡す。
通訳というのは、ただ言葉を置き換えるだけではなくて、その場の温度を見ながら、どの強さで出すかを決める仕事でもある。

不思議なもので、仕事中はそこまで崩れない。

相手の言葉の強さ。
少し言い淀んだ時の間。
どこまで訳して、どこを少し柔らかくするか。
誰が本当に困っていて、誰が少し強がっているのか。

そういうところは、まだ耳が働いてくれる。

自分で言うのも少し照れくさいけれど、仕事中の私はそれなりにちゃんとしている。
たぶん。
少なくとも、そう見えるようにはしている。

背筋も少し伸びる。
声も落ち着かせる。
資料のページも確認する。
相手の表情も見る。

「ここは直訳すると少し強すぎるな」
「この人は断定しているようで、実は少し逃げ道を残しているな」
「この沈黙は訳さない方がいいな」

そんなことを考えている時は、まだ大丈夫なのだ。

問題は、そのあとである。

打ち合わせが終わった瞬間、ホテルのカードキーがどこのポケットにあるか分からなくなる。

さっきまで人の言葉の温度を見ていた人間が、今度は自分のカードキーの居場所も分からない。

なかなか情けない。

しかも海外のホテルのカードキーというのは、妙にすぐ消える。
ジャケットの内ポケットに入れたはずなのに、ズボンの後ろポケットから出てくる。
カバンの小さいポケットに入れたつもりが、なぜか名刺入れの横にいる。

あいつら、自分で移動しているのではないか。

たぶん夜中に会議している。
「明日はどこに隠れる?」みたいな話をしている。
やめてほしい。こっちは本当に困っている。

ホテルの部屋に入ってからも、安心はできない。

まずコンセントを探す。
次に変換プラグを探す。
その次に、どの機械から充電するかで悩む。

スマホ。
ノートパソコン。
モバイルバッテリー。
イヤホン。
たまに腕時計。

私は出張に来ているのか、電力供給センターの夜勤に来ているのか、分からなくなる。

しかも、本人の充電は誰もしてくれない。
スマホは数字で残量が出る。
パソコンも出る。
モバイルバッテリーもランプが光る。

おじさんの残量だけが、見えない。

見えないまま会議に出て、見えないまま移動して、見えないままホテルに戻る。
そしてベッドに座った瞬間、ようやく気づく。

「あ、今かなり減ってたんだな」

遅い。

気づくのが遅い。

台湾では、資料より先に夜市の匂いに反応してしまう。
香港では、人の流れが速くて、自分だけ少しテンポが遅れている気がする。
中国では、看板も声も情報量が多くて、頭の中のチャンネルを何度も切り替える。

そしてシンガポールでは、街が整っているぶん、こちらのポンコツぶりが妙に目立つ。

シンガポールは綺麗な街だ、とよく言われる。

実際、歩いていてもそう感じることは多い。
道は整っているし、空港も街も動線がきれいで、案内も分かりやすい。

ただ、何度か行って思うのは、あれは「最初から汚れない魔法の街」ではなく、汚れを放っておかない仕組みが強く働いている街なのだろう、ということだ。

シンガポールの国家環境庁 NEA は、公共エリアの清掃やポイ捨て対策、高層住宅からの投棄対策などを公衆衛生の問題として扱っている。さらに、ゴミが出やすい重点箇所、いわゆる cleanliness hotspots を現地のごみ数や住民からの声、継続的な現場観察などから特定している。ポイ捨て違反には罰金だけでなく、Corrective Work Order、つまり公共の場所を清掃する作業命令が出されることもある。
2026年第1四半期にも、NEAは清潔さの重点箇所で取締りを行い、150件を超える Corrective Work Orders を出している。

これを知った時、少しだけ納得した。

綺麗な街にも、裏方がいるのだ。

表に見える景色が整っている時ほど、見えないところで誰かが手を入れている。

これは音楽にも少し似ている。

派手なソロより、後ろでずっと支えている音。
誰も気づかないくらい自然に入っているコーラス。
曲全体を崩さないように、少しだけ引いているギター。

そういうものがあるから、表の景色が整う。

ただ、もちろん、シンガポールにも場所によって表情はある。
どこを歩いても絵葉書のように完璧、というわけではない。
人が集まる場所、食事の後の時間帯、少し裏に入った通路、そういう場所では生活の跡もある。

でも、その跡が長く放っておかれない。
そこに、この街の性格が出ている気がする。

街も、毎日メンテナンスされている。

ギターと同じだ。
弾いたあとにクロスで拭く。
弦を替える。
ネックを見る。
見た目には小さなことだけれど、それをやらないと少しずつ荒れていく。

街にも、そういう手入れがある。

まあ、そこまで立派なことを考えながら歩いているわけではない。

実際の私は、だいたいコンビニの場所と充電できる場所を探している。

おじさんの現実は、意外と低電圧である。


旅先で、シンガポールの音楽にも少し触れた。

と言っても、詳しい顔をして語れるほど知っているわけではない。
そこは正直に言っておきたい。

「シンガポール音楽とはこうである」なんて、私にはまだ言えない。

そういう顔をして語り始めたら、たぶん自分で自分にツッコミを入れる。

「お前、昨日までカードキー探してたやん」

その通りである。

でも、街で耳に入ってくる音や、店の中で流れていた声や、現地の人が何気なく教えてくれた曲には、日本の音楽とも、アメリカやイギリスの音楽とも少し違う湿度があった。

シンガポールの音楽シーンについて、National Arts Council は、音楽教育や演奏、創作、シンガポールのミュージシャンによって作られたり演奏されたりする音楽への関心を育てる取り組みを紹介している。
また、シンガポールの芸術全体についても、多言語・多文化の社会を反映した多様な表現があると説明されている。
さらに近年は、Singapore Tourism Board と Universal Music Singapore が、音楽を通じてシンガポールの魅力を海外に伝える複数年の連携も始めている。

なるほど、と思った。

街が多層的なら、音も多層的になる。
言葉がいくつも行き交う場所では、音楽の呼吸もひとつでは済まないのかもしれない。

駅やショッピングモールで聴こえてくる音。
レストランの奥で流れている声。
誰かのスマホから少し漏れているメロディ。
空港のアナウンスの後ろにある、妙に整った静けさ。

そういうものが、全部少しずつ違う。

日本の街で聴く音とは違う。
LAの乾いた感じとも違う。
香港の速度とも違う。
台湾の柔らかさとも違う。

シンガポールの音は、どこか整理されているのに、その奥にいくつもの言葉が重なっている感じがする。

うまく言えない。

うまく言えないのだけれど、そこが面白かった。

知らない街で知らない音楽に出会うと、自分の耳が少しだけよそ行きになる。

いつもの好みで判断しない。
いつもの物差しで測れない。
イントロを聴いた瞬間に「あ、これはあの系統だな」と決めつけることもできない。

ただ、少し立ち止まる。

この感じは何だろう。
この声の置き方はどこから来ているのだろう。
このリズムは、街の歩き方と関係あるのだろうか。

そんなことを考える。

考えるのだが、ここでまた私のポンコツが出る。

「この曲、誰ですか?」と聞こうとして、店員さんが忙しそうでやめる。
スマホで調べようとして、Wi-Fiがうまくつながらない。
曲名検索をしようとして、老眼鏡がない。
老眼鏡を探しているうちに、曲が終わる。

何をしているんだ、私は。

知らない音楽に出会った瞬間くらい、もう少しスマートに振る舞いたい。

「いい曲ですね。どなたの曲ですか」

さらっと聞けたらいい。

でも現実は、ポケットを順番に叩いているだけのおじさんである。

右ポケット。
左ポケット。
胸ポケット。
カバンの前。
カバンの中。
もう一回、右ポケット。

空港の保安検査でもないのに、自分で自分を検査している。

たまに、全部のポケットを確認したあとで、老眼鏡が頭の上にある。
これはもう古典芸能である。

しかも腹立たしいことに、誰も見ていない時に限って起きる。
見てくれていたら笑いにもなるのに、ひとりで静かに発見して、ひとりで静かに傷つく。

「あったわ」

その小さな独り言だけが、ホテルの部屋に落ちる。

それでも、知らない街で知らない音楽に触れるのは悪くない。

むしろ、自分がまだ知らないものに反応できることが、少し嬉しい。

若い頃は、知らない音楽に出会うとすぐに「これは何だ」と前のめりになった。
今はそこまで俊敏ではない。

まず老眼鏡を探す。
次にスマホのバッテリーを見る。
それからやっと曲名を調べる。

だいぶ遅い。

でも、その遅さも今の私なのだと思う。

ギターを持っていなくても、耳だけは勝手に働いている。

街の音。
人の声。
店内のBGM。
空港のアナウンス。
通訳の間にある沈黙。
相手が言葉を選ぶ時の小さな呼吸。

そういうものを聞いていると、結局どこかで音楽のことを考えている。

困ったものだ。

ギターは置いてきたはずなのに、ギタリストの耳だけは荷物に紛れ込んでいる。

しかも、たぶん重量オーバーにはならない。
そこだけは助かる。

海外出張中の私は、だいたい何かを探している。

パスポート。
スマホ。
老眼鏡。
充電ケーブル。
変換プラグ。
ホテルのカードキー。
搭乗口。
Wi-Fiのパスワード。
さっき買った水。
そして、少しだけ自分のペース。

仕事中はなんとか保っている。
でも終わった瞬間、いろいろ見失う。

それでも、台湾では人の声に助けられ、シンガポールでは整った街の裏側を少し想像し、香港では速い人の流れに飲まれ、中国では言葉の多さに頭を切り替える。

ギターは持っていない。
でも、音の感覚だけはどこかに残っている。

綺麗な街にも裏方がいる。
知らない音楽にも、その街の呼吸がある。
そしてポンコツなおじさんにも、一応まだ仕事中だけは働く耳がある。

ありがたいことだ。

本当にありがたい。

ただし、ホテルのカードキーだけは、もう少し分かりやすい場所にいてほしい。

あと老眼鏡。
君もだ。

ポンコツなりに確認して、
ポンコツなりに迷って、
ポンコツなりに言葉を渡している。

それでまあ、今日も何とか移動できている。

たぶん、それでいい気がする。

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