文章の前では、年齢も経験も通用しない。
おじさんは今日も、静かに負けて、少しだけ前に進む。
noteを開くと、ときどき
「今日は、少し読まなきゃよかったかな」
と思う夜がある。
フォロワーの方の文章が、あまりにうまい。
構成が整っていて、
言葉の置き方が自然で、
次に来る一文を、こちらが呼吸するより先に用意している。
読み終えたあと、
自分の下書きを開いて、
何も足さず、何も消さず、
そっと閉じる。
「ああ、今日は、ここじゃないな」
そう思いながらも、
アプリは消さない。
若い人の文章だったり、
同世代の、あまり主張しないのに芯が残る文章だったりする。
どちらであっても、
胸の奥に残る感触は似ている。
強い嫉妬ではない。
でも、爽やかな尊敬だけでもない。
ただ、うまい。
それだけで、
自分の立ち位置を確認させられるには十分だ。
文章に圧倒される夜というのは、
音楽で言えば、
どうしてもチューニングが決まらない感覚に近い。
音程は合っている。
理屈も分かっている。
でも、どこかが落ち着かない。
自分の出している音が、
世界の中で、ほんの少し浮いている。
誰かの演奏を聴いたあと、
楽器を手に取るのが
一瞬だけ怖くなる、あの感じ。
それに近い。
それでも、しばらくすると
またキーボードに指を置いている自分がいる。
勝てるとも思っていないし、
追いつけるとも思っていない。
そもそも、
誰かの文章を越えたい、
という気持ちは、
ずいぶん前にどこかへ置いてきた。
ただ、
何も書かずに一日を終えると、
自分の中の音程が、少しだけ狂ったまま眠ることになる。
それが、どうしても嫌なのだ。
うまい文章を書く人は、
きっと、こちらが見ている以上に
時間を使ってきた人だ。
書き直してダメ出しして、
消して、
また書いて、
誰にも見せない失敗を積み上げてきた人だ。
だから、
その完成度を前にして
簡単に黙ってしまうのも、
無理はない。
「今日は、読む側でいよう」
そうやって、
書く場所から一歩引く夜もある。
それは逃げでも、敗北でもなく、
自分の現在地を確認する時間
なのかもしれない。
それでも私は、
完全には降りきれない。
上手じゃないことも、
遠回りばかりしていることも、
自分が一番よく分かっている。
器用に近道できないことも、
要点を外してから気づく癖も、
全部込みで、今の自分だ。
それでも、
言葉にしないままでいると、
少しずつ、感覚が鈍っていく。
書くことは、
競技ではない。
順位もないし、
表彰台もない。
ただ、自分の内側を
定期的に調律しておかないと、
音がズレていく。
ギターも同じだ。
誰かの完璧な演奏を聴いたあと、
自分の音が頼りなく聞こえることは、
何度もある。
それでもケースを開けて、
弦に触れてしまう。
うまく弾けるかどうかより、
触らずに終わる一日のほうが、
自分には耐えられないからだ。
文章も、
きっと同じ場所にある。
誰かに勝つためでも、
目立つためでもない。
自分の中に生じたズレを、
そのままにしないために書いている。
今夜もまた、
うまい文章に静かに圧倒されている。
それでも、
拙い文章をひとつ残して、
私は眠る。
それでいい。
それは、
天才の場所でも、
成功者の場所でもない。
でも、
続けている人間の場所
ではある。
派手じゃないし、
分かりやすくもない。
けれど、
音を手放さず、
言葉を置き続けている。
それだけで、
ちゃんと前にいる。
今夜も私は、
音のそばで眠る。
明日、また少しズレたら、
その時に、また調律すればいい。
それができる場所に、
まだ立っているのだから。
