🎸 おじさんギタリストシリーズ#52 かけがえのない日々 編

Morohira Music&Magic」のYouTubeチャンネルで、諸平さんの曲に、
私のnoteの記事を載せて動画としてアップしていただいた。
曲は『かけがえのない日々』。
YouTube上でもそのタイトルで公開されている。

最初に知った時、正直、嬉しいより先に少しドキッとした。

ついこの間、北千住でお会いしたばかりなのだが…

いや、嬉しい。
それはもちろん嬉しい。

でもその前に、

「え、読まれてる?」
「変なこと書いてないよな……」
「調子に乗ったこと書いてなかったか?」

みたいな、妙な汗が出た。

自分でnoteに書いておきながら、読まれると焦る。
何を言っているのか自分でもよくわからないけど、たぶん文章を書いている人は、少しだけわかってくれると思う。

ステージに立っている時より、読まれていると知った時の方が妙に緊張することがある。
ギターなら、間違えても音はその場で消えていく。
でも文章は残る。

しかも、あとから自分で読み返して、

「ここ、ちょっと熱すぎないか」
「この一文、俺、何を背負ったつもりだったんだ」

となる。

深夜に書いた文章ほど危ない。
冷蔵庫の奥に忘れていたタッパーを朝に開けるような怖さがある。


諸平さんの曲に、自分の記事が重なる。

これは、思っていた以上に不思議な体験だった。

音楽に文章が乗る。
文章に音楽が寄り添う。

普通に考えれば、私の記事の方が後から乗せてもらっているだけなのだけど、見ていると、なんだか自分の言葉まで少し違って見えてくる。

普段、自分が書いているnoteは、だいたい生活の延長にある。

ギターの話をしているつもりでも、実際には身体の話だったり、年齢の話だったり、記憶の話だったりする。
最近は特にそうだ。

若い頃みたいに、音だけで突っ走れる感じではない。
気持ちは突っ走りたいのに、身体が後ろから裾を引っ張ってくる。

「ちょっと待て」
「今日はそこまで行くな」
「明日に残せ」

そう言われている感じがする。

それでも、スタジオに入る。
ギターを持つ。
音を出す。

昔みたいに、すぐに“あの感じ”にはならない。
指も、耳も、身体も、少しずつ読み込みに時間がかかる。

パソコンの古い外付けハードディスクみたいに、最初だけ妙にカリカリ言っている。
でも待っていると、ちゃんと中にデータは残っている。

消えてはいない。
ただ、開くのに時間がかかるだけだ。

そういう今の私にとって、『かけがえのない日々』というタイトルは、少し刺さり方が違った。

若い頃なら、もっと大きな意味で受け取っていたかもしれない。
夢とか、友情とか、青春とか、そういう広い言葉で。

でも今は、もう少し細かい。

昔、一緒に音を出したこと。
誰かの曲を聴いて、胸の奥が少し動いたこと。
スタジオの帰り道に、妙に黙ってしまったこと。
何気ない会話の中に、ずっと残る言葉があったこと。

そういう小さなものが、あとになって自分を支えている。

当時は気づいていなかった。
その時はただの日常だった。

でも、あとから振り返ると、
「あれがあったから、今も弾いているのかもしれない」
と思う瞬間がある。

諸平さんと出会えたことも、私にとっては本当にそういう出来事の一つだ。

大げさに言えば、今までの軌跡そのものが、そこへ繋がっていたような気もする。
いや、そこまで言うと少し盛りすぎかもしれない。

でも、そう思いたくなるくらいには、大事な出会いだった。


最近は、音楽以外のことでも忙しい日々が続いている。

仕事のこと。
家のこと。
人とのやり取り。
やらなければいけない細かい用事。

一つ一つは大したことがないように見えても、積み重なると地味に効いてくる。

若い頃は、忙しくても夜中にギターを持てば、そこで一度リセットできた。
今は、ギターを持つ前に少し座り込む時間がいる。

「よし、弾こう」

と思うまでに、なぜかワンクッション必要になる。
そのワンクッションが年々厚くなっている気がする。

クッションというより、もはや座布団二枚くらいある。

でも、それでも音楽は戻ってくる。

忙しい日々の中で、ふっと曲を聴いた時に、気持ちが元の場所に戻ることがある。
自分が何者なのか、少し思い出す。

私はやっぱり、ギターを弾く人間なのだと思う。

ものすごく上手いとか、特別な何かを成し遂げたとか、そういう話ではない。
ただ、ギターを抱えると、少しだけ自分の輪郭が戻る。

音の置き場所を探しているうちに、気持ちの置き場所も見えてくる。

このコードは前に出すのか。
ここは少し引くのか。
リズムの重心をどこに置くのか。

そんなことを考えているうちに、日常で散らかったものが少しだけ整っていく。

もちろん、全部が解決するわけではない。
ギターを弾いたからといって、請求書が消えるわけでもないし、予定が減るわけでもない。

むしろ弾いたあとに、

「あ、あれ返信してない」

と思い出すこともある。

現実はなかなかしぶとい。

でも、それでいいのかもしれない。

音楽は現実逃避ではなくて、現実に戻るための手すりみたいなものなのだと思う。
少なくとも今の私にとっては、そういう存在になっている。


『かけがえのない日々』という言葉を見た時、少し考えた。

かけがえのない日々というのは、特別な日だけを指すわけではないのだと思う。

大きなステージ。
忘れられないライブ。
誰かとの劇的な出会い。

そういうものも、もちろん大切だ。

でも実際には、もっと地味な日々の方が残っている。

練習後に飲んだ缶コーヒー。
スタジオの床に落ちていたピック。
アンプの前で首をかしげた時間。
帰り道に、何となく無口になった車内。

そういう、誰にも説明しにくい場面が、年を取ってから急に顔を出す。

そして、

「ああ、あれもちゃんと自分の中に残っていたんだな」

と思う。

諸平さんの曲に、自分の記事を重ねていただいたことで、私は自分の過去まで少し照らされたような気がした。

正直、照れくさい。
かなり照れくさい。

でも、嬉しい。

自分が書いてきたものが、誰かの音楽と並んで流れる。
そんなことがあるなんて、昔の自分に言っても信じないと思う。

たぶん若い頃の私は、

「いやいや、俺はギター弾く側だから」

とか言って、変な顔をする。

でも今なら少しわかる。

弾くことも、書くことも、たぶん同じ場所から出ている。
うまく言えないけれど、どちらも“残したい”のだと思う。

音として。
言葉として。
その時の自分の呼吸として。

完璧ではない。
格好よくもない。
少しズレている。

でも、そのズレごと残したい。

今はそう思っている。

諸平さんと出会えたこと。
その音楽に触れられたこと。
自分のnoteを読んでいただいていたこと。
そして、その曲の中に自分の記事を置いていただいたこと。

それらは、私にとって本当にかけがえのない日々の一部になった。

これまで過ごしてきた時間が、無駄ではなかったと思わせてくれる。
そして、これから過ごしていく時間に対しても、少しだけ自信をくれる。

大きな自信ではない。

胸を張って歩くようなものでもない。

どちらかというと、忘れ物を確認しながら玄関を出るくらいの自信だ。

財布ある。
鍵ある。
スマホある。
ギターは……まあ、心の中にある。

そんな感じでいい。

今日も忙しい。
明日もたぶん忙しい。

それでも、どこかでまた音に戻る。
言葉に戻る。
そして、少しだけ自分に戻る。

かけがえのない日々は、たぶんそうやって続いていく。

派手ではないけれど。
ちゃんと、鳴っている。

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