🎸 おじさんギタリストシリーズ#53 多忙な日は、チューニングだけで終わる 編

最近、ありがたいことに少し忙しい。

いや、少しではないかもしれない。
気がつくと、仕事の連絡を返している。
気がつくと、次の予定を確認している。
気がつくと、今日やるはずだったことが明日に移動している。

そして、その明日もすでに混んでいる。

noteで好きな方の記事も、毎日読めているわけではない。
読みたい記事はある。
気になっている投稿もある。
コメントを返したい気持ちもある。

でも、開こうと思った頃には、もう目が半分閉じている。

スマホを持ったまま寝落ちしそうになって、
「これは読む態勢ではなく、落下防止の訓練だな」
と思う日もある。

予定表というものは不思議だ。
空白があると安心するのに、埋まると少し怯える。

でも、仕事がもらえるというのは本当に幸せなことだと思う。
これは綺麗事ではなく、年齢を重ねるほどに実感する。

必要としてもらえる。
声をかけてもらえる。
任せてもらえる。

それはやっぱり、ありがたい。

若い頃は、忙しいとただ文句を言っていた気がする。
「時間がない」
「疲れた」
「もっとギター弾きたい」

もちろん今も思う。
思うどころか、かなり思っている。

ただ、今はその忙しさの中に、少しだけ感謝が混じるようになった。

まあ、感謝が混じったところで疲れるものは疲れるのだが。

人間、そんなに立派にはできていない。


問題はギターである。

弾きたい気持ちはある。
これは間違いなくある。

でも、いざ夜になってギターケースを見ると、身体の方が先に小さくため息をつく。

「今日、いく?」

みたいな顔をしている。

こっちは行きたい。
気持ちは行く気満々だ。

ただ、腰と肩と目が会議を始める。

腰が言う。
「今日はやめておいた方がいい」

肩が言う。
「ストラップ、今から掛けるの?」

目が言う。
「譜面は無理です」

全員、なかなか強い。

それでも、ケースを開ける。
ギターを出す。
シールドを挿す。
アンプの電源を入れる。

このあたりまでは、まだギタリストとしての自分が勝っている。

問題はその先だ。

チューニングをする。

六弦。
五弦。
四弦。
三弦。
二弦。
一弦。

一本ずつ合わせているうちに、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

「ああ、まだ大丈夫だな」

と思う。

指が完璧に動くとか、音が最高だとか、そういう話ではない。
ただ、弦の振動が身体に戻ってくるだけで、少し安心する。

ところが、そこでスマホが鳴る。

仕事の返信。
家の用事。
確認しなければならないこと。
明日の準備。

そして、ほんの少しだけ鳴らしたところで、気づく。

一曲も弾いていない。

チューニングした。
軽くコードを鳴らした。
少しフレーズを触った。

以上。

ギタリストとしてどうなのか。

いや、どうなのかと言われても、これが現実なのだ。


若い頃なら、ここから二時間でも三時間でも弾けた。

夜中でも平気だった。
多少疲れていても、ギターを持つと元気になった。

むしろギターを弾くために、他の疲れをなかったことにしていた気がする。

今は違う。

疲れはちゃんと残る。
誤魔化せない。
しかも翌日に持ち越す。

昔は一晩寝れば戻ったものが、今は二日くらい居座る。
まるで帰るタイミングを失った親戚のように、身体の中にいる。

だから、無理に弾けない日がある。

悔しいというほど大げさではない。
でも、少し寂しい。

ギターが嫌になったわけではない。
音楽から離れたいわけでもない。

むしろ逆だ。

弾けない日ほど、頭の中ではギターが鳴っている。

仕事の合間に、ふとコードの響きを思い出す。
移動中に、リズムの重心を考える。
メールを書いている途中で、なぜか昔弾いたフレーズが浮かぶ。

そして思う。

「ああ、今それ来る?」

今じゃない。
今は書類だ。
今は返信だ。
今はギターを持てない。

でも、来る。

音というものは、こちらの都合をあまり考えてくれない。

風呂場でメロディが降りてくるのと同じで、忙しい時ほど何かが浮かんだりする。
そして、だいたい忘れる。

メモを取ろうと思った時には、もういない。

あれは本当に何なのだろう。


ただ最近、少し思うことがある。

曲まで辿り着けない日にも、意味はあるのかもしれない。

チューニングだけで終わる。
一曲も弾かない。
練習らしい練習にもならない。

それでも、ギターに触れたという事実は残る。

音を出した。
弦を合わせた。
今日の自分の手で、今日のギターを鳴らした。

それだけで、完全には切れていない気がする。

若い頃は、練習というものをもっと大きく考えていた。
何時間弾いたか。
何曲コピーしたか。
どれだけ上達したか。

もちろん、それは大事だ。

でも今は、それだけでは測れない日がある。

疲れていてもケースを開けた。
五分だけでも触った。
チューニングだけでもした。

そういう小さな接点が、意外と大事なのかもしれない。

ギターとの関係も、人との関係に少し似ている。
毎日長く話せなくても、短い挨拶だけで繋がっていることがある。

「元気?」
「まあまあ」
「また今度、ゆっくり」

そんな感じだ。

ギターに向かってそんなことを思っている時点で、まあまあ危ない人ではある。

でも、ギタリストなんて大体そんなものだと思っている。


仕事がもらえることは幸せだ。

これは本当にそう思う。

忙しいと言えること。
やることがあること。
誰かに必要としてもらえること。

それは簡単に当たり前と言ってはいけないものだと思う。

ただ、その一方で、ギターに関してはしばらくこんな状況が続くのだろうとも思っている。

弾きたい。
でも時間がない。
時間ができても疲れている。
疲れていなくても、別の用事が入る。

そして結局、チューニングだけで終わる日がある。

でも、今はそれでもいいのかもしれない。

曲まで辿り着けない日があっても、
音楽から離れたわけではない。

弦を一本ずつ合わせている時間だけは、
少しだけ自分に戻っている気がする。

今日はチューニングだけ。

それでもまあ、
完全に鳴らなかったわけではない。

明日も忙しい。
たぶん明後日も忙しい。

しばらくは、こんな感じだと思う。

それでもギターは部屋にある。
ケースの中で、こちらを見ている。

いや、見てはいない。
でも、見られている気がする。

だから今日も、せめてチューニングだけはしておく。

それくらいの距離感で、
今はまだ、ちゃんと続いている。

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