気がついたら、三週間も更新していなかった。
書きたいことがなくなったわけではない。
ギターをやめたわけでもない。
むしろ頭の中には、書きたいことも弾きたいものも相変わらずある。
ただ、時間がない。
ここ最近は本業の翻訳・通訳の仕事で、台湾、香港、シンガポールを行ったり来たりしている。
空港へ行って、仕事をして、ホテルへ戻って、また移動する。
日本に戻ったと思ったら、また荷物をまとめる。
昔ならギターケースを持って移動するだけで少し気分が上がったものだが、最近はスーツケースを見ると、まず腰の心配をする。
おじさんである。
音楽は今も続けている。
ただ、今の私にとっては翻訳・通訳が本業で、音楽はその横にあるサブワークだ。
演奏の必要があればもちろんギターを弾くし、時間を見つけて楽器にも触っている。
やめたわけではない。
むしろ、やりたい気持ちは以前とあまり変わっていない。
ただ、自分のためにゆっくり音を出す時間は、極端に減った。
ギターを抱えて、
今日は何を弾こうかな、
なんて考えながら一時間、二時間と過ごす。
そんな時間が今は少し贅沢になっている。
だからなのか。
忙しくなると、ときどき昔のことを思い出す。
それも、ギタリストになってからの話ではない。
まだギターをまともに弾けなかった頃の話だ。
1987年。
私は中学生だった。
高校へ行ったら音楽を始めようと思っていた。
ギターを弾きたい。
バンドをやりたい。
でも、どんなバンドをやりたいのか。
不思議なことに、それだけはかなり具体的に頭の中にあった。
当時、「アイドル夢工場」という7人組がいた。
活動期間はとても短かった。
その中に、渡辺恵さんと桜川佳世さんという女の子がいた。
私は二人のことが気になっていた。
……ここまで書くと、50代のおじさんによる約40年前のアイドル告白大会が始まりそうなので、少しだけ弁解しておく。
もちろん好きだった。
中学生男子である。
そこを今さら「純粋に音楽的興味だけでした」などと言い出したら、そのほうが怪しい。
ただ、それとは別に、
この二人とバンドをやってみたい、
と本気で考えていた。
特に恵ちゃんは歌が上手かった。
7人の中で誰をボーカルにするかと聞かれたら、私は迷わず彼女だった。
誰にも聞かれていないのに、勝手に決めていた。
本人にも当然聞いていない。
そして肝心の私は、まだギターを弾けない。
今考えるとなかなか立派なプロデューサー気取りの中学生である。
でも、自分がやりたい音はなんとなく分かっていた。
アコースティックを基調にした、メロウなロック。
歌う人が一番気持ちよく声を出せるキーを探して、ギターはその周りに置く。
必要ならエレキを足す。
ベースとドラムが入っても、歌を追い越さない。
派手な演奏を見せるバンドではなく、
歌と楽器が一緒になって、一つの景色を作る。
そんな音楽をやりたかった。
思い返してみると、私の音楽の原点には、アリスがいて、はちみつぱいがいて、キャロルがいた。
三者三様で、今なら同じ棚に並べること自体が少し乱暴なのかもしれない。
でも中学生の私には、そんなジャンル分けはどうでもよかった。
アリスの歌とアコースティックギター。
はちみつぱいの「塀の上で」を聴いたあとに残る、なんとも言えない景色。
そしてキャロルの、シンプルなのに格好いいロックンロール。
それぞれ違うところから、自分の中へ入ってきた。
「塀の上で」は特に好きだった。
大きな声でこちらを振り向かせるわけでもない。
派手なことをしているわけでもない。
なのに曲が終わったあと、何かが残っている。
音というより、景色に近かった。
ああいう音楽を、いつか自分でもやってみたいと思っていた。
そこへ入り込んできたのが、Crowded Houseだった。
初めて聴いたとき、
ああ、俺が好きなのは、やっぱりこういうところなんだ、
と思った。
ロックなんだけど、力いっぱいこちらへ押してこない。
メロディがあって、歌があって、その後ろでギターや鍵盤が呼吸している。
明るい曲の中にも少し影がある。
切ない曲だからといって、必要以上に泣かせようともしない。
はちみつぱいとは当然まったく違う音楽なのに、
私の中では、どこか同じ場所に引っ掛かった。
高校へ入る頃には、ヒルビリー・バップスも好きになった。
あのロカビリーの格好良さと、どこか切なさを抱えたメロディにも惹かれた。
こうして並べてみると、
ずいぶん節操がない。
でも、もっと節操がなかったのが、実際に高校で組んだバンドだった。
私が頭の中で思い描いていたのは、
アコースティックで、
メロウで、
歌を大切にして、
少し切なくて、
聴き終わったあとに景色が残るような音楽。
ところが実際に高校生になってバンドでやっていたのは、
BOØWY。
ZIGGY。
JUN SKY WALKER(S)。
全然違う。
メロウな景色はどこへ行った。
まあ、高校生である。
ギターを持ったら歪ませたい。
アンプから大きな音が出たら嬉しい。
友達とバンドを組んだら、当時みんなが知っている格好いい曲をやりたい。
頭の中にある理想と、実際に鳴らして楽しい音は、必ずしも同じではなかった。
でも不思議なもので、
アリスから始まって、
はちみつぱい、キャロルがいて、
そこへCrowded Houseが入り込み、
高校ではヒルビリー・バップスが好きになって、
その横でBOØWYやZIGGYやジュンスカを大きな音で弾いていた。
一見バラバラだったそれらが、
何十年もかけて少しずつ混ざっていった。
そして今になって振り返ると、
私はずっと、
上手いとか速いとかだけではなく、
歌があって、
少し影があって、
聴き終わったあとに何かが残る音楽を探していたのかもしれない。
もちろん中学生や高校生の頃に、そんな立派なことを考えていたわけではない。
もっと単純だった。
こういうの、いいな。
こんな音、やりたいな。
結局、それだけだった。
桜川佳世さんについては、東京の音楽高校へ通っているという話を知った。
京都から一人で東京へ来ているらしい。
だったら、その学校を探して、自分もそこへ行けばいい。
中学生の私はそう考えた。
今ならスマートフォンで数十秒だろう。
「東京 音楽高校」
検索。
終わりである。
1987年はそうはいかない。
私なりに調べて、ここではないかと思った学校の文化祭にも行った。
でも、彼女はいなかった。
学校が違ったのだと思う。
今になって調べてみると、当時の東京には音楽を専門的に学べる高校が、私が思っていたよりずっとたくさんあった。
それを知ったとき、
そうか。
どこかにはいたんだな。
と思った。
東京のどこかの学校で、普通に授業を受けて、音楽を勉強していたのだろう。
そして別の場所では、まだギターも弾けない中学生が、
見つけたらバンドに誘おう、
なんて考えていた。
今思えば、ずいぶん淡い話である。
渡辺恵さんについても同じだった。
当時読んでいた『ORE』に、愛知県の高校へ進んだという話が載っていた。
被服科と食物科のある高校だったと記憶している。
中学では陸上をやっていて、県大会で5位。
たしか100メートルだった。
そんな細かいことを、なぜ約40年も覚えているのか。
昨日泊まったホテルの部屋番号はもう忘れているのに。
人間の記憶というのは、まったく役に立つようにはできていない。
結局、二人とは出会わなかった。
当然、バンドも組まなかった。
どんな音になったのかも分からない。
もしかしたら三か月で解散していたかもしれない。
音楽性の違い。
これはバンド解散理由として非常に便利な言葉である。
まだ一曲も作っていないのに、そこまで想像していたら世話はない。
でも時々思う。
一度くらい、一緒に音を出してみたかったな、と。
恵ちゃんが歌いやすいキーに合わせてコードを考える。
カヨちゃんが歌うなら、また違うアレンジを考える。
自分は少し後ろにいる。
それでよかった。
むしろ、それがやりたかった。
そして、ここまで書いて気づいた。
まだギターも弾けなかった中学生の私は、
もう今の私と同じことを考えていたのかもしれない。
自分のギターを聴かせたい、ではない。
歌をよくしたい。
曲をよくしたい。
そのために自分の音を置きたい。
それから何十年も経って、
私は本当にギタリストになった。
いろいろな人の後ろで弾いた。
歌う人に合わせてキーを変えた。
弾いたほうがいい場所と、弾かないほうがいい場所を考えた。
若い頃は音を足すことばかり考えていたのに、
歳を取るほど、弾かないことを覚えた。
今では、いい伴奏ができた日は、自分が派手なソロを弾けた日より嬉しかったりする。
そう考えると、
アリスを聴いて、
はちみつぱいを聴いて、
キャロルを聴いて、
そこへCrowded Houseが入ってきて、
ヒルビリー・バップスにも惹かれて、
その一方でBOØWYやZIGGYやジュンスカを大きな音で弾いて、
短い期間だけテレビに出ていた女の子たちの歌を聴いて、
高校へ行ったらこんなバンドをやろう、
と勝手に考えていた時間は、
案外、全部つながっている。
人生は変なところで伏線を張る。
しかも回収するまで四十年近くかかる。
長すぎる。
そして現在。
台湾。
香港。
シンガポール。
また台湾。
本業の予定表を見ながら、
次にいつゆっくりギターを弾けるのだろう、
と思っている。
昔は時間があって、技術がなかった。
今は少しは弾けるようになったのに、時間がない。
人生というのは、なかなかうまくできている。
いや、
うまくできていない。
それでも、音楽をやっていないわけではない。
翻訳・通訳が本業になった今も、音楽は私の生活の横にちゃんといる。
演奏の機会があればギターを持つ。
短い時間でもギターには触る。
ホテルで曲を聴く。
移動中に頭の中でアレンジを考える。
Crowded Houseを聴けば、今でもあのメロウな感覚に耳が向く。
「塀の上で」を聴けば、
ああ、こういう音が好きだったんだよな、
と思う。
そして、ときどき1987年に戻る。
まだ何者でもなかった中学生が、
自分ではギターも弾けないくせに、
ボーカルだけは勝手に決めていた頃へ。
あの幻のバンドは、一度も音を出さなかった。
ライブもしていない。
当然、解散もしていない。
だから私の中では、
今でもまだ活動休止中ということにしておこうと思う。
現在、活動休止39年目。
少々長い。
その間にギタリストだけ、
ずいぶんおじさんになった。
そして今日も、
もう少しだけギターを弾きたいと思っている。
忙しいので、
たぶんチューニングくらいで終わるけれど。
それでもまあ、
音楽はまだ続いている。
