奇跡はだいたい、保存されない
これは昔から変わらないし、たぶんこれからも変わらない。
スタジオという場所は、不思議だ。
家でいくら弾いても出ない音が、あれこれ考えても出てこないフレーズが、なぜかスタジオに入ると、ふっと出る。
狙っていない。むしろ、少し気が抜けているくらいの瞬間。
そのとき、指が勝手に動く。
鳴る。
「あ、今の……いい」
だいたい、そういうやつに限って、一回しか出ない。
「今の、もう一回いける?」
と言われる。
おじさんギタリスト、ちょっとだけ間を置いてうなずく。
「うん……たぶん……」
弾く。
……違う。
同じ場所、同じテンポ、同じコード。
音は出る。
でも、さっきの“並び”にはならない。
ほんの少しのズレなのに、別の景色になる。
ちょっと前は、ここで少し笑うようになった。
「ああ、また来て帰っていったな」って。
昔はもっと悔しがっていたし、わりと本気で自分を責めていた。
「なんで覚えてないんだ」
「なんで録ってないんだ」
「なんで今だと思わなかったんだ」
でも今は、そこまで責めなくなった。
どうせ、また出るから。
とはいえ、録っていないと地味に効いてくる。
帰り道で思い出す。
「あれ、録れたよな」
「スマホ、すぐそこにあったよな」
「なんで“あとで思い出せる”と思ったんだ?」
この“あとで思い出せる理論”、
人生で一度も成功したことがないのに、なぜか毎回信じてしまう。
でもあれは、偶然じゃない。
ちゃんと理由がある。
考えていないとき。
評価していないとき。
うまくやろうとしていないとき。
そういう瞬間に、これまでの癖とか経験とか、耳の記憶が一気に出てくる。
あれは「ひらめき」じゃなくて、
たぶん「まとめて出たやつ」だ。
だから、同じルートでは戻れない。
おじさんギタリストの指は、いろんな癖を抱えている。
好きなポジション、逃げ道みたいな運指、無意識のスライド。
昔より動かない日もあるし、ちょっと迷う日もある。
でも、その分、変な力は抜けた気がする。
無理に取りにいかない。
出たら拾う。
出なかったら、まあいいか。
三人で音を出していると、ときどき思う。
「今の、いい景色だったな」
でも、その景色はだいたい残っていない。
残っているのは、
“良かった気がする”という、かなり頼りない記憶だけ。
それでも、不思議と無駄じゃない。
消えたフレーズは、完全には消えていない。
指の距離感とか、力の抜き方とか、音の選び方とか、
どこかに少しだけ残っている。
次に弾くとき、ほんの少しだけ変わっている。
再現はできない。でも、更新はされている。
当時、入った時のスタジオで、また出る。
そして、また消える。
「今の良かったよね」と言われて、軽くうなずく。
内心はこうだ。
「……あれ、ちょっと欲しかったな」
でも、それでいい。
消えるから、また出る。
もし全部残っていたら、
たぶんつまらない。
おじさんギタリスト、最近はその“奇跡”に出会うこともだいぶ減った。
正直、前みたいにはいかない日も多い。
それでも、たまにふっと出る瞬間がある。
再現できないフレーズが出るってことは、
まだどこかがちゃんと生きているということだと思う。
次は録ろう。たぶんまた忘れる。
それでもいい。
指は、ゆっくりだけど、まだ音を探している。
奇跡は保存できない。
でも、あの感覚は、まだ残っている。
それで、十分だと思っている。 🎸
