昔の曲ばかり聴いてしまう夜に、なぜか自分を責めてしまう話
新しい音楽を再生したのに、心が動かない日
ある日、思う。
「よし。今日は新しい音楽を聴こう。」
そう思って、
プレイリストを開き、
おすすめ欄を眺め、
話題のアーティストを再生する。
音は悪くない。
演奏もうまい。
アレンジも洗練されている。
なのに。
……刺さらない。
音はちゃんと耳に入っている。
でも、胸まで降りてこない。
この瞬間、
おじさんギタリストの中で
小さな罪悪感が芽生える。
「俺、
もう時代に追いつけてないのか?」
気づけば、いつもの曲に戻っている
数曲聴いて、
結局どうするか。
気づいたら、
再生しているのは
昔よく聴いた曲。
イントロが流れた瞬間、
身体が少し緩む。
「……あ、これだ。」
新しい刺激はない。
驚きもない。
でも、安心感がある。
それと同時に、
もう一つの感情がやってくる。
「また昔の曲かよ……」
誰に言われたわけでもないのに、
自分で自分を責め始める。
「音楽好きなら新しいものも聴け」という無言の圧
SNSを見ると、
若い人たちが新しい音楽の話をしている。
「このバンドやばい」
「最新EP最高」
「今これ聴かないと遅れてる」
それを見て、
おじさんギタリストは
なぜか肩身が狭くなる。
「音楽好きって言ってるくせに、
俺、
過去に住んでないか?」
誰にも責められていない。
でも、
勝手に自責モードに入る。
これが
新しい音楽が刺さらない日の罪悪感 だ。
若い頃は、全部が新しかった
思い返せば、
若い頃は簡単だった。
何を聴いても新鮮。
知らない音、
知らない歌詞、
知らない景色。
刺さるかどうかより、
とりあえずワクワクした。
でも今は違う。
長く音楽と付き合ってきた分、
耳も心も、
いろんな経験をしてしまった。
新しい音を聴くと、
無意識に比べてしまう。
「これは、あの頃のあれに近いな」
「この展開、知ってるな」
それは、
感性が鈍ったんじゃない。
蓄積が増えただけだ。
刺さらないのは、拒否じゃなく“満腹”かもしれない
ある時、ふと思う。
新しい音楽が刺さらない日は、
別に
「嫌い」
なわけじゃない。
ただ、
満腹 なだけじゃないか。
長年、
音楽を食べ続けてきた。
名曲も、
迷曲も、
失敗も、
感動も。
それらが身体に残っている。
満腹のときに
フルコースを出されても、
全部は味わえない。
でも、
それは贅沢な状態でもある。
昔の曲は“逃げ”じゃない
昔の曲を聴くとき、
おじさんギタリストは
思い出に浸っているようで、
実はそうでもない。
あの頃の自分を
懐かしんでいるだけではない。
今の自分を確認している のだ。
「ああ、
俺、
まだこの音が好きなんだな」
それは逃げじゃない。
原点確認だ。
ギターで言えば、
チューニングみたいなもの。
基準の音に戻して、
今のズレを確かめている。
それでも、たまに新しい音が刺さる
正直に言う。
毎回刺さらないわけじゃない。
たまに、
本当にたまに、
新しい音が
突然ぶっ刺さる。
その瞬間、
おじさんギタリストは
少し驚く。
「……まだ俺、
更新されるんだ。」
その一撃があるから、
完全には閉じない。
無理に追いかけなくていい。
でも、
完全に扉を閉めなくてもいい。
それくらいの距離感が、
今の自分にはちょうどいい。
新しい音楽を聴かない日は、悪い日じゃない
新しい音楽が刺さらない日。
それは、
感性が死んだ日じゃない。
むしろ、
感性が落ち着いている日 だ。
自分の中にある音が、
ちゃんと鳴っている証拠。
無理に刺激を求めなくても、
もう十分に音楽を
抱えている日なのだ。
まとめ:それでいい理由
おじさんギタリストは今日も思う。
「昔の曲ばかり聴く日があってもいい。」
新しい音楽が刺さらない日は、
耳が休んでいるだけ。
心が整っているだけ。
音楽は、
常に更新しなくてもいい。
好きでい続けるだけで、
もう十分だ。
そして、
また自然に
新しい音に出会えたら、
それでいい。
おじさんギタリストは、
今日もいつもの曲を流しながら、
ギターに触れる。
昔の音なのに、
今日の自分に
ちゃんと合っている。
それが何よりの答えだ。
