🎸 おじさんギタリストシリーズ#63 昔できなかったことより、昔できたことのほうが厄介 編

先日、昔よく演奏していた曲を久しぶりに弾いた。

別に忘れているわけではない。

キーも分かる。
コードも分かる。
次にどんな音が来るのかも、頭の中ではちゃんと鳴っている。

昔から私は、楽譜を丸暗記して弾くタイプではなかった。

セッションで知らない曲が始まっても、
周りの音を聴いていれば、ギターでもベースでも入っていける。

これは若い頃からずっとそうだった。

だから、この日も何も心配していなかった。

何度も演奏してきた曲である。

「はいはい、これね」

くらいの気持ちでギターを持った。

実際、普通に弾ける。

ところが、しばらく弾いているうちに妙な感じがした。

なんか違う。

間違っているわけではない。

音も合っている。

でも、自分の記憶の中にある「あの感じ」と少し違う。

そこで昔の録音を聴いてみた。

「ああ、そうか」

音の入り方が違う。

切る場所も少し違う。

自分では同じように弾いているつもりなのに、昔の私はもう少し前へ出ていたり、逆に妙なところで待っていたりする。

場合によっては、

「こんなところで、こんな指使ってたのか」

というのも出てくる。

試しに昔と同じようにやってみる。

できる。

できるのだけれど、

なんだか昔より面倒くさい。

これが困る。

昔はこれを普通にやっていたはずなのだ。


昔できなかったことなら、まだいい。

初めて弾くフレーズなら、

「ああ、これはちょっと練習しないとな」

で済む。

知らない奏法なら覚えればいいし、弾きにくければどう弾くか考えればいい。

できないところから始まるのだから、こちらにも心の準備がある。

ところが昔できたことには、それがない。

何しろ証拠が残っている。

録音もある。

場合によっては映像まである。

映像を探してみた。

いた。

若い私が。

そして腹立たしいことに、普通に弾いている。

ものすごく普通の顔で。

こちらが今、

「この部分、昔どうやってたんだ?」

と確認しているところを、

昔の私は、

スッ。

と通過していく。

待て待て。

そこだ。

もう一回。

動画を戻す。

スッ。

もう一回。

スッ。

……ちょっと腹が立ってきた。

もちろん映像なので、文句も言わず何度でも弾いてくれる。

そこだけは若い私も素直である。

再生速度を落として見てみる。

なるほど。

運指も分かる。

なぜそこでそのポジションを選んだのかも、だいたい分かる。

「ああ、そうそう。こう弾いてたな」

となる。

別に特殊なことをやっているわけでもない。

現在の私も同じように弾いてみる。

弾ける。

ただ、

昔ほど身体に馴染んでいない。

指を置く場所は分かっている。

音も分かっている。

でも昔は考えもしなかったところに、ほんの少し引っかかる。

頭と耳は、

「それで合ってます」

と言っている。

身体だけが、

「これ、本当に毎回やるんですか?」

みたいな顔をしている。

会社だったら、一度三者面談を開いたほうがいい。


こういう時、若い頃なら意地になったと思う。

昔と同じように弾けるまで繰り返す。

一度できたものができないなんて許せない。

そんな感じだった。

でも今は、少し違う。

何度か弾いているうちに、

「これ、別に昔と同じ指使いじゃなくてもいいんじゃないか」

と思い始める。

今の身体なら、こっちから入ったほうが自然だ。

昔と同じ場所で音を切らなくてもいい。

ここは少し後ろに置いたほうが、今は気持ちいい。

昔は勢いのまま通り抜けていたところで、今はほんの少し待ちたくなる。

試してみる。

普通に弾ける。

ちゃんと曲になっている。

というより、不思議なことに、今の耳にはそっちのほうがしっくり来たりする。

もちろん、

「今の私のほうが素晴らしい」

なんて話ではない。

そんなに都合よく歳は取らせてくれない。

速さなら、昔のほうが楽だったものはいくらでもある。

体力もそうだ。

昔はウォーミングアップなんて、ほとんど考えなかった。

今そんなことをしたら、ギターより先に身体からクレームが来る。

ただ、昔とまったく同じ道を通らなくても、その音には行ける。

そんなことが少しずつ分かってきた。

高速道路を降りて、一般道を走っているようなものかもしれない。

時間は少しかかる。

信号にも引っかかる。

途中でコンビニにも寄る。

でも、昔は見えなかった景色があったりする。

……コンビニは余計か。


昔よく演奏していた曲というのは、やっぱり少し厄介だ。

知らない曲なら、知らないなりにその場の音を聴けばいい。

セッションで突然知らない曲が始まっても、キーやコードの流れを聴きながら入っていける。

そこには、

「昔の私はこう弾いていた」

という余計な比較対象がいない。

ところが、何度も演奏してきた曲には、それがいる。

「これは知ってる」

この一言が危ない。

曲はもちろん分かっている。

音も分かっている。

普通に弾くこともできる。

でも昔の録音を聴いたり映像を見たりすると、

「あれ。私、こここんなふうに弾いてたっけ」

というのが出てくる。

音そのものより、音の入り方だったり、切り方だったり、ちょっとした指の運びだったり。

同じ曲を弾いているのに、昔の自分の演奏が少しだけ他人の演奏に見える。

そして同じようにやってみると、

「これ、昔はもっと楽にやってなかったか?」

となる。

映像を見る。

昔の私は、特に難しいことをしている顔でもない。

普通に弾いている。

それがまた腹立たしい。

こっちは今、動画を止めて、

「ちょっと待て。今のもう一回」

とやっているのに、

昔の私は何事もなかったように次の小節へ行ってしまう。

まあ動画なので、戻せば何度でもやってくれるのだけれど。

50代になって、昔の自分に昔の弾き方を教わるとは思わなかった。

しかも先生、説明が一切ない。

ただ弾くだけである。


昔できなかったことには、

「できなかったところから始める」

という気楽さがある。

でも昔できたことには、

「できるはずです」

という、頼んでもいない保証書が付いてくる。

しかも保証期間は、とっくに切れている。

たぶん身体というのは、ずっと同じ楽器ではないんだと思う。

指も変わる。

力の入り方も変わる。

疲れ方も変わる。

そして耳の使い方も変わった。

音を置きたい場所も少し変わった。

昔なら全部弾いていたところで、今は一音置かないこともある。

昔と同じ音を知っているのに、そこまで行く道が少し変わっている。

だから昔の自分を完全に再現する必要もないのだろう。

……と、頭では分かっている。

分かってはいる。

今日も昔の映像を止めたり戻したりしながら、私は昔の自分の演奏をコピーしている。

考えてみれば、妙な話だ。

何十年もギターを弾いてきて、

今さらコピーしている相手が昔の自分なのである。

画面の中の私は、相変わらず涼しい顔で弾いている。

少し腹が立つ。

そして、ほんの少しだけ羨ましい。

でもまあ。

昔の私よ。

そんな顔して弾いていられるのも今のうちだ。

お前、あと30年弾いてみろ。

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