🎵『ぜんまいのきしむ音』 THEATRE BROOK (1999)

Words & Music: 佐藤タイジ(THEATRE BROOK)
From: VIRACOCHA(1999)

ぜんまいをいっぱいにまかれ 走り出すのはこのオレだ
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■ “止まれなかったあの頃の自分”へ向けた、痛烈な鏡のような曲

THEATRE BROOK (シアター・ブルック)の中でもこの曲は、ギタリストにとって妙に胸が痛くなる。
ひとつひとつの言葉が、まるで自分の“若い頃の欠片”をえぐってくるからだ。

「ぜんまいをいっぱいにまかれ 走り出すのはこのオレだ」
ライブで聴いたとき、あのイントロの乾いたギターの響きとともに、
“ああ、俺もずっと巻かれっぱなしで走ってきたな” と、変に正座したくなる瞬間があった。

佐藤タイジが歌うと、ただの自己反省ではない。
彼の声はいつも “人間の体温” を伴っている。
だからこそ、頑固だし、弱いし、臆病だし、なのに前に進むしかなかった自分の姿と、どうしても重なってしまう。


■ 機械仕掛けの“オレ”という告白

● ぜんまいをまかれた人生

「ぜんまいをいっぱいにまかれ
走り出すのはこのオレだ」

これは誰かに強制されたわけではない。
“自分で巻いた” という痛み。
ギタリストとして、バンドマンとして、仕事人として……
気付けば、勝手に自分のぜんまいを巻きすぎて、止まれなくなっていた時期がある。

機械油の味も苦く、重い。
努力の後味というのは、決して甘くはないんだ。


● “真正面しか見えていなかった”という残酷さ

「見ることのできたのは 真正面だけ」

若い頃の自分を殴られたような気持ちになる一節。
前だけしか見ていなかった時期——
実際には周りにいた仲間や、手を差し伸べてくれていた人に気付けなかった。

ギタリストという生き物は特にそうだ。
“音”ばかりに集中しているようでいて、実は自分の不安をごまかすために前へ前へ進んでいたりする。


● 霧の中で“5センチ”しか見えない

「見ることのできるのは 目の前5センチ以内」

焦り、混乱、疲労、そして孤独。
決して大げさではなく、人生のある時期は本当にこれくらいしか見えなくなる。

バンドマンにも、会社員にも、家庭の中にも、必ずこういう瞬間がある。
タイジはそこに“かっこつけずに向き合った”からこそ、曲が刺さる。


● 気付かないのか——連呼の意味

「気付かないのか 気付かないのか」

この反復は、怒りではなく“後悔の反芻”だ。
あの頃の自分、何してたんだよ。
もっと周りを見ろよ。
もっと大事なものがあっただろう。

ぜんまいはずっと軋んでいたのに、
その音さえ聞こえなかった。
聞こうともしなかった。

ギターのノイズみたいに見落としてきた小さな兆し。
それを積み重ねてしまった過去。

人生の“アラーム音”は、いつもあとになって耳に刺さる。


■ ギタリストとして聴いたときの核心

THEATRE BROOK のサウンドは決して派手ではないが、
ギターと声が持つ“正直さ”がとにかく強い

この曲でのギターは、
自分の弱さをごまかさずに鳴らすための、
“骨格だけの音” だ。

いらない飾りを全部削ぎ落として、
ぜんまいの軋む音に耳を傾けるようなトーン。

おじさんギタリストになってようやく、
この曲が描く“痛みの深さ”をちゃんと理解できる。


■ 総評:人生のぜんまいを巻き直すための曲

若い頃には気付けなかったこと。
目の前ばかりを見て、周りを見失ったこと。
壊れそうな自分の音に気付けなかったこと。

この曲は、そんな過去と“静かに向き合う勇気”をくれる。

ぜんまいのきしむ音が聞こえたら、
それは壊れる前の合図。
進む速度を変えていい。
立ち止まっていい。

THEATRE BROOK の曲には、
そんな人間らしい“許し”がある。

そしておじさんギタリストとして、
この曲は今のほうがずっと心に沁みる。

VIRACOCHA(1999)

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