音楽とは、まったく関係のない話を書いてみたい。
いや、最初にそう言っておかないと、また結局ギターの話になる気がする。
自分でもわかっている。
何を書いても、最後は音に寄っていく。
料理の話をしても音。
翻訳の話をしても音。
出張の話をしても、たぶん音。
困ったものである。
でも今回は、本当に仕事の話だ。
台北・桃園空港から香港へ。
そして香港からシンガポールへ。
台北・桃園 TPE 10:50発。
香港 HKG 13:00着。
香港 HKG 15:05発。
シンガポール SIN 19:05着。
文字にすると、なんだかきれいに並んでいる。
でも実際の移動というものは、そんなに整っていない。
搭乗口を探す。
時計を見る。
パスポートを確認する。
荷物を持ち直す。
メールを読む。
返信する。
また時計を見る。
そしてなぜか、さっき確認したはずの搭乗口をもう一度確認する。
おじさんの空港移動は、確認作業の多重録音である。
この日は仕事で、香港とシンガポールで打合せと通訳業務があった。
ちょうど良い便があった。
香港で約三時間ほどのトランジット時間が取れる。
ただ、今回は空港内でぼんやり過ごすだけではなかった。
香港にいったん入境して、到着ロビーの一般エリアで人と会う形になった。
トランジットというより、短い滞在。
滞在というより、少しだけ香港に挨拶をしに行くような時間だった。
香港の空港というのは、いつも少し不思議な気持ちになる。
移動する人たちの流れが速い。
案内表示も多い。
いろいろな言葉が耳に入ってくる。
英語。
広東語。
中国語の標準語らしき響き。
日本語らしきもの。
どこの言葉かわからないけれど、急いでいる声。
空港は、言葉の交差点みたいな場所だと思う。
通訳の仕事をしていると、空港にいるだけで少し神経が起きる。
まだ仕事の場ではないのに、耳だけ先に仕事を始める。
あの声は困っているのか。
あの人は急いでいるのか。
あの言い方は怒っているのか、それともただ早口なだけなのか。
そんなことを、勝手に聞いてしまう。
ギターを持っていないのに、耳だけチューニングしている感じがある。
香港では、知人と会った。
一般エリアの到着ロビーで会うというのも、どこか少し面白かった。
ちゃんとした会議室ではない。
カフェでもない。
空港の中の、人が通り過ぎていく場所。
でも、そういう場所の方が、かえって話が柔らかくなることがある。
その人とは、以前から少しつながりがあった。
そして話しているうちに、こんなことを言われた。
「そういえば、あなたがギタリストだって聞いていますよ」
一瞬、固まった。
仕事で来ている。
通訳の仕事である。
資料もある。
確認事項もある。
こちらとしては、かなり仕事の顔をしているつもりだった。
そこへ急に、ギタリストの自分が呼ばれる。
しかも、その話はアメリカ滞在時の共通の友人から聞いたという。
こういう時、人は少し照れる。
「いや、まあ、一応……」
みたいな、非常に歯切れの悪い返事になる。
一応とは何だ。
何十年も弾いているのに、一応も何もない。
でも、真正面から「はい、私はギタリストです」と言うのも、なんだか少し恥ずかしい。
ステージでは音を出せるのに、日常で自分のことを説明するのは妙に難しい。
ギターの音なら出せる。
でも「自分は何者か」と聞かれると、急に音が詰まる。
変な話である。
その知人とは、少し音楽の話になった。
仕事の合間の、ほんの短い時間だった。
深い音楽談義というほどではない。
でも、共通の友人を通して、アメリカにいた頃の自分と、今ここにいる自分が少しつながったような気がした。
香港の到着ロビーで、昔のアメリカの記憶が顔を出す。
距離感がおかしい。
台北から香港へ来て、これからシンガポールへ向かう途中で、アメリカ時代の話をしている。
地図の上ではかなり遠い。
でも、人の記憶の中では、意外と近いところに置かれている。
そういう瞬間がある。
音楽というのは、直接鳴っていなくても、人の中に残っているのだと思う。
私はその時、ギターを持っていなかった。
音も出していなかった。
ただ仕事の移動中に、空港で人と会っていただけだ。
それなのに、誰かの口から「ギタリスト」という言葉が出る。
不思議だった。
嬉しかった。
そして、少しだけ背筋が伸びた。
変なことはできないな、と思った。
いや、別に普段から変なことをしているつもりはない。
ないのだが、過去の自分を知っている人の話が出ると、少しだけ姿勢がよくなる。
おじさんには、そういう見えない支柱が必要なのかもしれない。
香港での時間は長くなかった。
約三時間のトランジット滞在。
入境して、人と会って、話をして、また出発へ向かう。
短い。
でも、短い時間ほど、妙に残ることがある。
ライブでもそうだ。
一曲だけのセッション。
短いリハーサル。
たまたま合わせた数分。
長い時間をかけたものとは別の残り方をする。
香港の到着ロビーでの会話も、そんな感じだった。
慌ただしい場所で、少しだけ立ち止まる。
仕事の話をしているのに、昔の音楽の話が混じる。
これからまた別の国へ移動するのに、その場だけ少し時間がゆるむ。
こういう時間は、あとで思い出す。
大きな出来事ではない。
人生を変えるような話でもない。
でも、移動の中に小さな印がつく。
「あの時、香港であんな話をしたな」
そういう記憶が、あとから自分の中で少しだけ光る。
私はまた出国へ向かった。
搭乗口へ向かう途中、少しだけぼんやりしていた。
香港の空港は広い。
人も多い。
時間も気になる。
それなのに、頭の中ではさっきの会話がまだ残っていた。
ギタリストだって聞いていますよ。
その一言が、妙に残っていた。
仕事で動いている自分。
通訳として動いている自分。
そして、どこかでずっとギターを弾いてきた自分。
どれか一つだけが本当なのではない。
全部、自分なのだと思う。
若い頃なら、もっと「自分はギタリストだ」と強く言いたかったかもしれない。
今は少し違う。
仕事もする。
翻訳もする。
通訳もする。
生活もある。
移動もある。
疲れもある。
その中に音楽とギターがある。
中心にある日もあれば、少し後ろにいる日もある。
でも、消えてはいない。
そういう感じが、今の自分には近い。
シンガポールに着いたのは夜だった。
SIN 19:05着。
到着時間だけ見ると、まだ動けそうに見える。
でも実際には、朝からの移動と香港での入境、打合せ、また移動がある。
おじさんの体力メーターは、表示より減っている。
スマホのバッテリーで言えば、まだ38パーセントあるように見えて、急に14パーセントまで落ちるタイプである。
シンガポールでも仕事があった。
打合せと通訳業務。
言葉を聞いて、意味を取り、相手に渡す。
この作業は、簡単に見える時ほど気をつけないといけない。
言葉は、正確ならそれでいいというものでもない。
もちろん正確さは必要だ。
そこを外したら仕事にならない。
でも、同じ内容でも、どのくらいの強さで伝えるかで、相手の受け取り方は変わる。
少し柔らかくする。
でも弱くしすぎない。
はっきり言う。
でも角を立てすぎない。
そういう調整がある。
ギターのバッキングと似ている。
前に出ればいいわけではない。
引けばいいわけでもない。
その場の空気の中で、ちょうどいい場所を探す。
この日は、シンガポールで中堅層の知人と会う機会があった。
立場としては、若手でもなく、上の世代でもない。
現場を知っていて、責任もあり、人との間に立つことも多い。
そういう年代の人だった。
その人のふるまいに、少し印象に残る瞬間があった。
日本ではあまり大げさには行われないような、ふとした優しさ。
何か特別なことをされたわけではない。
大げさな親切でもない。
こちらが恐縮するようなことでもない。
ただ、こちらの状態をちゃんと見てくれていた。
少し疲れていること。
移動が続いていること。
言葉の仕事で神経を使っていること。
そういうものを、言葉にしなくても少しわかってくれている感じがあった。
そのうえで、さりげなく気を配ってくれる。
たとえば、次の動線を少し楽にしてくれる。
こちらが言う前に確認してくれる。
会話の中で、こちらが無理に合わせすぎないように、少し場を整えてくれる。
そういう優しさだった。
派手ではない。
でも、効く。
ルーローハンの時にも書いた気がするが、こういうものに私は弱い。
前に出すぎない。
でも確かに支えている。
音で言えば、低いところで鳴っているギターみたいなものだ。
聴いている時には目立たない。
でも、それが消えると急に不安になる。
その人の優しさは、そういう感じだった。
海外で仕事をしていると、日本との違いを強く感じることがある。
もちろん、国でひとまとめにするのは危ない。
香港だからこう。
シンガポールだからこう。
日本だからこう。
そんな簡単な話ではない。
人は一人ずつ違う。
場所も、立場も、状況も違う。
ただ、それでも、ふとした瞬間に「ああ、この感じは日本ではあまり見ないな」と思うことがある。
距離の取り方。
気遣いの出し方。
確認の仕方。
相手を助ける時の自然さ。
日本にも優しさはある。
それは間違いない。
でも、日本では優しさが遠慮の中に隠れすぎることがある。
「迷惑にならないように」という気持ちが強くて、逆に手が出せないこともある。
一方で、その時のシンガポールの知人は、必要な分だけ自然に手を出してくれた。
押しつけがましくない。
でも、見て見ぬふりもしない。
その距離感が、妙に心に残った。
私は、そういうことに弱くなった。
若い頃なら、もっと仕事の成果とか、打合せの内容とか、移動の効率とか、そういうものばかり見ていた気がする。
もちろん、それは今でも大事だ。
仕事なのだから、ちゃんとやる。
通訳なら、正確に受け渡す。
翻訳なら、言葉を磨く。
打合せなら、目的を外さない。
そこは外せない。
でも、年齢を重ねると、それ以外のものも残るようになる。
誰かがこちらを少し待ってくれたこと。
さりげなく席を選んでくれたこと。
言葉の強さを調整してくれたこと。
こちらが疲れているのを、見なかったふりではなく、ちゃんと見たうえで普通に接してくれたこと。
そういうものが、あとから残る。
大きな親切ではない。
だからこそ、残る。
ドラマの名場面みたいなものではなく、日常の中でスッと置かれた一音。
そういう優しさは、あとで効いてくる。
まるで、曲の途中で一瞬だけ鳴るコードみたいだ。
その時は通り過ぎる。
でも、なぜか曲全体の印象を変えている。
この出張は、音楽とは関係がなかった。
台北から香港へ。
香港からシンガポールへ。
仕事。
打合せ。
通訳。
移動。
確認。
また移動。
どこにもライブはない。
どこにもステージはない。
ギターソロもない。
でも、あとから思い出すと、やっぱり音に似ている。
香港の到着ロビーで聞いた、共通の友人の話。
「ギタリストだって聞いていますよ」という一言。
シンガポールで触れた、さりげない優しさ。
押しつけないけれど、ちゃんと見ていてくれる感じ。
それらは全部、音楽とは関係ない。
でも、人との距離感は、音の距離感に似ている。
近すぎると、少し苦しい。
遠すぎると、届かない。
強すぎると、相手を押してしまう。
弱すぎると、消えてしまう。
ちょうどいい場所を探す。
私は、仕事でもそれをやっているのだと思う。
そして、ギターでも同じことをやっている。
たぶん昔より、そういうことに敏感になった。
若い頃は、もっと前に出たい音ばかり探していた。
今は、誰かの邪魔をしない音にも惹かれる。
人の優しさも同じだ。
大きく助けてくれる優しさもありがたい。
でも、こちらが自分で立っていられるように、少しだけ支えてくれる優しさもある。
その方が、あとから深く残ることがある。
香港とシンガポールで、そんなことを思った。
出張は疲れる。
移動も疲れる。
空港で何度もパスポートを確認する自分にも少し疲れる。
しかも、確認したあとに、また確認する。
あれは何なのだろう。
でも、その疲れの中で、人との小さなやり取りが残る。
ほんの短い会話。
さりげない気遣い。
昔の自分を知っている誰かの話。
今の自分を少し見てくれている人の態度。
そういうものが、帰ってからじわっと効いてくる。
ギターを弾いたわけではない。
でも、どこかで自分の音に戻ってくる。
音楽とは全く関係のない話を書くつもりだった。
でも、やっぱり少しだけ音の話になってしまった。
まあ、仕方がない。
おじさんギタリストというのは、そういう面倒な生き物なのだと思う。
仕事で移動していても、空港で人と会っていても、誰かの優しさに触れていても、どこかで音のことを考えている。
そしてたぶん、そういう時間があとからギターに混ざる。
香港の到着ロビー。
シンガポールの小さな優しさ。
台北から続いた移動の疲れ。
全部、直接の音ではない。
でも、今の私の中では、どこかで鳴っている。
それでいい気がする。
結局、今回も音楽の話があちこちにちりばめられていました……。
まあ、それも私らしいということで。笑🎸
