天才でも、すべてを失った挫折者でもない。
拍手や喝采のない場所で、やめずに続けている人たちがいる。
成功か失敗か、勝ちか負けか。
世の中は分かりやすい物語を好むけれど、
多くの人たちの、多くの人生は、
そのどちらにも当てはまらない。
誇れるほどではないまま続けていて、
やめてはいないけれど、迷いも消えていない。
おじさんギタリストシリーズは、
そんな「語られてこなかった途中」を生きる人たちと、
前を向き続けるための記録だ。
最近、「すごいなあ」と思う前に、
つい見てしまうことが増えた。
文章でも、音でも、写真でも、
最初に目に入るのは完成度じゃない。
そこに残っている、
時間の跡みたいなものだ。
正直に言うと、
天才にはそこまで弱くない。
もちろん尊敬はする。
けれど、一瞬で遠くに行ってしまう人には、
あまり涙腺は動かない。
その代わり、
何年も同じ場所に立っている人、
同じ調子で続けている人を見ると、
なぜか急に危ない。
更新頻度が派手なわけでもない。
バズっているわけでもない。
でも、気づくとまた書いている。
また音を出している。
また何かを続けている。
そういう人のページを、
私はつい最後まで読んでしまう。
でも、「すごいですね」とか
「才能がありますね」とか、
そういう言葉を置く気にはなれない。
でも、それを打ち込んだ瞬間、
そこに込められた試行錯誤や呼吸まで、
自分の言葉で終わらせてしまうような気がしてしまう。
それは、
一曲まるごと聴いたあとに
「うまいですね」で終わらせるのが
どうにも落ち着かない感覚に、少し似ている。
本当は、
そこに至るまでの無数の「まあいいか」と、
無数の「今日はやめようかな」が、
積み上がっているはずなのに。
続けるというのは、
派手な努力じゃない。
むしろ、
人に見せないところで、
同じことを何度もやっているだけだ。
上手くならない日も、
反応がない日も、
「これ意味あるのかな」と思いながら、
それでもやめない。
その感じが、
私はどうにも弱い。
ギターも同じだ。
劇的に上手くなる瞬間より、
何年か前と比べて、
「あ、ここは前より楽だな」
と気づく瞬間のほうが、
ずっと嬉しい。
誰かに見せるためじゃなく、
自分の中でだけ分かる変化。
それが積もっている人の音は、
たいてい静かで、
妙に説得力がある。
努力を見せびらかさない人ほど、
なぜか跡が濃い。
大声で語らなくても、
そこに残っているものがある。
私はそれを見つけると、
勝手に感動して、
勝手に応援して、
勝手に元気をもらっている。
たぶん、
一番ずるい観客だ。
苦笑。
名前を出さなくてもいい。
具体例もいらない。
ただ、
「続けてきた」という事実だけで、
もう十分だと思っている。
今日もどこかで、
誰かが静かに何かを積み上げている。
それを見てしまったおじさんは、
また少しだけ、
自分も続けてみようと思うのだ。
