若い頃:どこで弾いても「音が良ければ正義」だった
若い頃、
ギターを弾く場所なんて
正直どこでもよかった。
自宅の部屋。
友人の家。
スタジオの片隅。
最悪、アンプがなくてもOK。
とにかく
音が良ければすべて許される。
音が太い。
歪みが気持ちいい。
サスティンが伸びる。
それだけで、
人生もギターも
だいたい上手くいっている気がしていた。
床がフローリングだろうが、
椅子がガタつこうが、
隣の部屋から怒られようが、
「音が良いんだから問題ないだろ」
今思えば、
問題だらけである。
30代:自宅練習で“ノイズ”が人格を揺さぶる
30代に入ると、
演奏場所はほぼ自宅になる。
夜。
家族がいる。
隣の部屋でテレビがついている。
ここで、
音質よりも
急に気になり始めるものがある。
ノイズ。
シールドを繋いだ瞬間の
「ジー」。
触っていないのに鳴る
「サー」。
エフェクターを踏んだときの
「ボフッ」。
若い頃なら
「ロックだから」
で済ませていた音に、
猛烈にイライラする。
しかも自宅。
誰にも聴かれていないのに、
一人でノイズと戦っている。
この頃から
おじさんギタリストは
無音状態に異常な安心感
を覚え始める。
40代:姿勢と椅子が演奏の質を左右する
40代になると、
演奏の主戦場は
完全に「椅子」に移る。
立って弾く?
いや、無理。
床に座る?
立ち上がるときに事故る。
結果、
「ちょうどいい椅子探し」が始まる。
高さ。
背もたれ。
クッション。
音より先に、
腰が判断基準 になる。
姿勢が悪いと、
30分で集中力が切れる。
良い姿勢だと、
音も丁寧になる。
この頃から
ギターの音より
「自分の身体の鳴り」
を気にし始める。
若い頃の自分が見たら
「何やってんの?」
と言うだろう。
だが、
今の自分は真剣だ。
50代:最大の敵は“片付け”と“移動”
50代。
ここで
こだわりポイントは
完全に別の次元へ行く。
音?
いい。
ノイズ?
減らした。
姿勢?
工夫した。
問題はこれだ。
弾いた後。
・ケースに戻すのが面倒
・シールドを巻くのが億劫
・アンプを元の場所に戻したくない
「また明日でいいか」
が増えてくる。
さらに、
人の家で弾くとき。
友人宅。
親戚の家。
ちょっとした集まり。
ここで気になるのは、
音ではない。
荷物。
「これ、全部持って行く必要ある?」
「軽いやつで済ませられない?」
「帰り、階段ある?」
音の太さより
ケースの軽さ。
機材の個性より
肩への優しさ。
それでも、音はちゃんと残っている
不思議なことがある。
こだわりがズレたのに、
音は薄くなっていない。
むしろ、
無駄なことをしなくなった分、
音が整理されている。
必要な音だけを出す。
余計な力を使わない。
無理な姿勢を取らない。
結果、
長く弾ける。
疲れない。
音が安定する。
おじさんギタリストは思う。
「こだわりがズレたんじゃない。
生き延びる方向に進化しただけだ。」
今の演奏場は「生活の中」
今、
おじさんギタリストの演奏場は
ステージでも
スタジオでもない。
生活の中。
夜の部屋。
昼下がりのリビング。
誰かの家の片隅。
そこで
静かに音を出す。
派手じゃない。
でも、続く。
音楽は、
ここまで来ると
競技じゃない。
生活習慣 だ。
まとめ:こだわりはズレて、ちゃんと前に進んだ
若い頃:音質
30代:ノイズ
40代:姿勢
50代:片付けと移動
全部、
演奏を続けるための
自然な変化だ。
おじさんギタリストは今日も思う。
「良い音を出すより、
また明日も弾けるほうが大事。」
それは、
負けでも妥協でもない。
長くギターと一緒に生きるための、
立派な進化なのだ。
そして今日も、
椅子に座り、
軽めのケースを横に置き、
静かに弦を鳴らす。
それが今の、
いちばんちょうどいい。
