「スタジオ難民」と呼ばれた日々
― 毎日違うスタジオを転々とし、機材トラブルと狂気のエンジニアと小さな事件に振り回される若造の記録 ―
1998年のロサンゼルス。
私はこの街の“生活の地獄”をなんとか生き延びていた。
家賃は高い、物価は高い、
タコスの 「Today special!!」 はまったくスペシャルじゃない。
ここまでは、前回伝えた事だ。
そして今回、LAはさらに別のレベルの試練を用意してくれていた。
“音楽の地獄”。
当時の私は、仲間たちから
「スタジオ難民(Gear Gypsy / GG)」 と半ばあだ名のように呼ばれていた。
毎日、違うスタジオを転々とし、時に地下、時に倉庫、時に“これは合法なのか?”と疑いたくなる空間ですらギターを構えた。
若い私は、その度に
「ここでなにかが掴めるかもしれない」
そんな淡い期待だけで、LAのスタジオ文化という名の戦場に身を投じていた。
◆ 小さなスタジオ文化は、濃すぎる“迷宮”だった
LAのスタジオは、とにかく個性が強い。
入口のドアを開けた瞬間に分かる。
“あ、ここは今日も平常運転でカオスだ” と。
薄暗い部屋に、謎の赤い照明。
壁の防音材は剥がれかけ、機材の配置は完全にエンジニアの趣味。
香ばしいスパイスの匂いと、汗と、よく分からないハーブの香りが混ざっている。
そのうえ、エンジニアにも“タイプ”がある。
● Aスタジオ:独裁者エンジニア
ここは入った瞬間にピンとくる。
“あ、この人は音の神だと思っているタイプだな…”。
録り始めると、勝手にリバーブを追加し、コンプをのせ、EQ を曲げ、
クリーンのアルペジオがいつの間にか“神殿の祈り”みたいな音になる。
「すみません、もっと素の音が…」
と、言おうものなら、
「This is ART.(これが芸術だ)」
と、完全に目を見開いたまま返される。
恐怖だ。
● Bスタジオ:宇宙哲学ヒッピー型
チューニングをしていると肩を叩かれる。
「Don’t fight the universe.
(音は宇宙が導くものだ)」
導かなくていいので、まずは440HzのAを鳴らさせてほしい。
● Cスタジオ:泣くエンジニア
録音を再生した瞬間、目に涙をためて言う。
「Beautiful… this tone…」
褒められてるのに、なぜか不安になる。
◆ 電圧問題という“国際問題級トラブル”
そして最大の敵が――
電圧。
日本から持ってきた機材は、アメリカの電圧と相性が悪い。
スイッチを入れると、
「ブボォォォ……」
という低音のハムノイズが地響きのように響く。
ある日、私のエフェクターが
「ジジジ…パチン!!」
と火花を散らした。
それを見たエンジニアが振り返り、
死んだ魚みたいな目で言う。
「Did you bring a time bomb?
(爆弾持ってきたのか?)」
爆弾なわけがない。
ただの電圧違いである。
でも当時の私は若かったので、
「す、すみません…」と意味のない謝罪をした。
◆ 即興セッション地獄
セッティング中、突然ドラムのオッサンが叩き始める。
そこに、どこからともなく現れたベーシストがスラップで参戦する。
気づけば、見知らぬミュージシャンたちによる
“空気を読まないセッション” が始まっている。
そして、若造の私は、
“参加しないと空気が悪い”という謎の圧に負けてギターを弾く。
その場で覚えたコード進行を、汗だくで追いかける。
追いかけても追いかけても、曲はゴールしない。
LAのセッションには終わりがない。
演奏者の誰かが飽きるまで続く。
終わったころには手も足も震え、
自分の実力の無さだけが鮮明に残る。
◆ 地雷スタジオで巻き込まれた“あの悪夢たち”
ある日のことだ。
格安で押さえた“ハリウッドの路地裏スタジオ”。
外観だけは映画のロケに使われそうなほど立派なのだが、
中へ一歩入ると──そこは完全に
「日本の昭和の公民館を無理やり異国テイストで塗り直したような、不思議物件」
だった。
この場所で、人生でも指折りの“忘れられない事件”が起こることになる。
● 鍵がかかっていない“はず”の部屋
録音中、突然ドアが開いた。
入ってきたのは、
全身レザーの謎の男。
彼は部屋を見渡し、なぜか天井を見つめ、
ひとこと。
「Wrong room.(部屋間違えた)」
それだけ言って去っていったが、
残された我々は、しばらく何も言えなかった。
● 別の日
ミックス中、天井裏から「ドスン」と音がした。
エンジニアがため息交じりに言う。
「Don’t worry. That’s just a cat… I think.
( 心配するな。ただの猫だ…たぶんな。)」
“I think” が怖い。
● さらに別の日
隣の部屋で録っていたラッパーがブチ切れ、
壁を拳で殴る。
その振動で私のギターが
ビィィィーーーーン!!
と共鳴した。
エンジニアは慣れた様子で言う。
「It’s Hollywood. Happens all the time.
(ハリウッドだからな。こんなの日常茶飯事さ。) 」
日常らしい。
● また別の日
録音前、アンプのシールドが“プツッ”と切れた。
よく見ると、ネズミが齧った跡。
エンジニアはコーヒー片手に言う。
「They like Japanese cables. High quality.
(日本製は良質だから好きなんだろうな。)」
褒められているのか、被害に遭っているのか分からなかった。
● 深夜セッション
外から突然、消防車のサイレンが鳴り響いた。
窓の外に目をやると、向かいの空き地が真っ赤に照らされている。
まるで夜そのものが火をまとったみたいに。
「Fire?(火事か?)」
思わずそう聞くと、
隣で作業していたエンジニアは耳も塞がず、
淡々とキーボードを叩きながら答えた。
「No. Just Friday night.
(いや、金曜の夜はだいたいこんなもんだ。)」
どうやらハリウッドでは、火事じゃなくても夜が赤くなるらしい。
この街の週末は、音も光も、どこか常にオーバードライブ気味だ。
● ある夕方
休憩中に外へ出ると、
スタジオ前の路上でスケーターが転倒し、
彼のボードが信じられない弧を描いて
私の足元にスーッと滑ってきた。
彼は親指を立てて一言。
「Yo! Keep it, man!
(よぉ!そのまま預かっておいて)」
いや、要らない。
● 機材トラブルの最中
鼻歌まじりで配線を直していたエンジニアが、
突然照明スイッチを押し間違えた。
部屋が真っ暗になり、
私はジャガジャガと無駄に大きなコードを鳴らしてしまった。
暗闇の中で彼が言う。
「Rock ‘n’ roll accident.」
事故扱いらしい。
● 別の日の夕暮れ
スタジオの前を、
演出なのか本物なのか分からないゾンビメイクの集団が通っていった。
ハリウッドでは珍しくないらしいが、
私以外、誰も驚かないのが一番怖かった。
● そして、極めつけ
トイレのドアに貼ってあった注意書き。
「Flush twice. Studio is on a hill.
(2回流してくれ。ここは丘の上にあるから。)」
地形の問題を客に丸投げしてくるスタイルだった。
◆ 壁にぶつかった先で“音が深くなる瞬間”が訪れた
毎日違うスタジオ、違うトラブル、違う人間。
その度に小さな失敗を繰り返し、
恥をかき、焦り、また弾き続ける。
そんな混沌の中で――
ある日、唐突に気づいた。
「耳が…変わってきている」
ノイズの質が分かる。
コンプのかかる瞬間が分かる。
指板の湿度でトーンが変わるのが分かる。
あの地獄のようなスタジオ巡りが、
すべて私の“耳を深くする訓練”になっていた。
成長とは、いつも失敗の中に潜んでいる。
◆ 今、振り返って思うこと
あのLAの薄暗いスタジオの匂い、
クセの強いエンジニアたち、
火花を散らしたエフェクター、
奇妙な男が開けたドア、
天井裏の“たぶん猫”、
壁を殴るラッパー。
全部が、
今の私の音を作る材料になった。
若い日の私は、ただ迷走していたと思い込んでいた。
でも実際は、
あれこそが“音の深さ”を掘り下げるための通過儀礼だった。
いまでもギターを構えると、
あの頃の自分が薄暗い部屋の隅で、
不安と興奮を抱えて弾いていた姿がふっと浮かぶ。
迷走じゃない。
全部、必要な出来事だった。(……のかな?)
あの街は、今でも胸の奥で揺れている。
