作詞・作曲:戸城憲夫
収録アルバム:『YELLOW POP』11曲目 (1992)
Label:徳間ジャパンコミュニケーションズ
■ ポップに聴こえて、実はかなり世知辛い
『YELLOW POP』は、ZIGGYがポップス/ロックのど真ん中にハンドルを切ったアルバムだ。
明るい。軽い。口ずさめる。
当時はそれだけで十分だった。
その流れの中に、この「のらねこのKUROくん」が置かれている。
一見すると、完全にコミカル枠。
ちょっとした息抜き曲。
猫だし。
でかいし。
ヘラヘラしてるし。
……なのに、何度も聴いてしまう。
おじさんギタリストとして正直に言うと、
これ、かなりZIGGYらしい。
笑える。
かわいい。
でも、最後まで聴くと、胸の奥に変な重さが残る。
洗濯機を回し終えたあと、
ポケットから濡れたレシートが出てきた時みたいな感じ。
このバランス感覚は、
やっぱり戸城”おいちゃん”憲夫の歌だな、と思う。
■ KUROくんは、のらねこだけど人間すぎる
中央五丁目の有名なくろねこ。
でっかいボディ。アメ車並み。
飯のためならヘラヘラもする。
この時点でもう、
スーツ着て頭下げてた頃の自分がチラついて、少し嫌だ。
「孤独でヤクザなのらねこ」
「誰の助けも受けねぇ」
口ではそう言いながら、
実際には人に近づき、愛想を振りまき、
ちゃんと“仕事”として生き延びている。
これも立派な おいらの仕事
若い頃は、ここで笑っていた。
今は、笑えない。
いや、笑うけど、そのあと黙る。
ちなみに私は、
「好きでやってるんだから文句言うな」と
自分に言い聞かせていたタイプです。
……ちょっと恥ずかしい。
■ 「あの暖かいコタツ」は反則だと思う
この曲の本当の芯は、ここだ。
ときどき思いだすんだ…
あの暖かいコタツを…
もう、ずるい。
かつて人間に世話になっていた過去。
ちょっとした手違いで家を出て、
三回目の冬が来ようとしている。
強がって生きてきたはずなのに、
どうしても思い出してしまう“ぬくもり”。
猫の話なのに、
人間の話すぎる。
人生のどこかで
「戻れない場所」を一つでも持ってしまった人には、
かなり効く。
ZIGGYは昔から、
不良ぶったまま、ちゃんと優しい。
強がったまま、ちゃんと弱い。
この曲も、その流れの中にある。
■ ストレイ・キャッツの影、でも別物
タイトルやモチーフから、
Stray Cats の「Stray Cat Strut」を思い出す人もいると思う。
意識したかどうかは、正直わからない。
公式にも語られていない。
でも、ロックンロールで“野良”を描くのは王道だ。
ZIGGYがやったのは、
クールなアウトローじゃない。
もっと日本的で、生活臭のする野良。
ゴミ袋の匂いとか、
冬のアスファルトの冷たさとか、
そういうやつ。
そこが、いかにもZIGGYだ。
■ おじさんギタリストとして、この曲を見ると
サウンドは軽快。
アルバムの流れを邪魔しない。
でも、歌詞を追うと、
しっかり人生の話をしている。
派手なギターソロはない。
技で押し切る曲でもない。
歌と物語が前に出る曲。
おじさんギタリストになると、
こういう曲を
「アルバム後半に入ってる、気づいた人だけが拾う名曲」
として、静かに大事にするようになる。
■ まとめないけど、これだけは
若い頃は、
「面白い曲だな」で終わった。
今は、
あのコタツのくだりで、
無意識に音量を下げている。
そんな曲が、
『YELLOW POP』の11曲目に、
何事もなかった顔で入っている。
……やっぱりZIGGYは、侮れない。

