🎵『ガラスの街』JUN SKY WALKER(S) (1988)
JUN SKY WALKER(S)
(収録アルバム:ひとつ抱きしめて/1988年11月10日)
作詞:宮田和弥
作曲:森純太
■ 透明な街をゆく若者たちの歌
「ガラスの街」は、80年代後期のバンド・ブームの中で、ジュンスカが放った内省的かつ鋭い一曲だ。タイトルの“ガラス”という言葉が持つ「透明」「割れやすさ」「向こう側が透けて見える」イメージを巧みに使い、都市に生きる若者の目線で「誰かに見られている」「見えてしまっている」感覚を歌い上げている。歌い出しの
“争いはいつも 失うばかりで 悲しみはいつも 俺を強くする”
からして、日常のざらつき、失うことによる痛み、そこから立ち上がろうとする意志が伝わってくる。
アルバム『ひとつ抱きしめて』が、ジュンスカ自身の青春という物語を映す鏡として機能していたなら、この曲はその中でも「街」という舞台で個人の孤独と直面する瞬間を切り取っている。そして、宮田和弥と森純太のコンビが創り出すメロディと言葉が、軽快なバンド・サウンドの中に淡い翳りを宿している。
■ サウンドの構造/音楽的魅力
この曲では、ギター・リフが街のアスファルトを走る車のヘッドライトのようにキラリと光り、リズム隊はその上を軽やかだが確かな足取りで進んでいく。森純太のギター(Gibsonレスポールカスタム)は、ギラギラした派手さではなく、むしろ“見られている”“透かされている”という感覚に応じた細やかな鳴りを持っており、背景にガラス張りの街並みが広がるような音像を構築している。
これに対して、宮田和弥の歌声は時に突き刺すような緊張感を帯びながらも、人間らしい揺らぎを失っていない。そのギャップが「街に包まれながらも揺れる個」の存在を際立たせる。バンド・ブーム期にありがちな“勢いだけ”ではなく、内側に情景を描く能力がこの曲にはある。
■ 見られながら、見ている
歌詞には「自分のことは何も知らなくて」「想い出が全て灰に変わるから」「淋しがり屋が多分正しくて ウソ付きだらけの又、この街で」などのフレーズが登場。
これらは、街という「他者/群れ/視線」が密集する環境において、個が抱える孤独と不安を示している。「誰かを見ている」「いつも誰かに見られているように」という歌詞には、都市的な監視の感覚、あるいは承認欲求の陰を暗示しており、ジュンスカの“青春ロック”の中に一筋の冷静さが光る。
同時に「悲しみはいつも俺を強くする」「争いはいつも失うばかりで」という冒頭の問いかけが、挫折や葛藤を単なる痛みとしてではなく、自らを変える契機として捉えていることを示しており、ポップ・ロックとしての安心感の裏側に、「立ち上がる力」を秘めた歌となっている。
■ ジュンスカのキャリア上での位置づけ
『ひとつ抱きしめて』(1988年11月10日)に収録されているこのナンバーは、インディーズ上がりでメジャーへ進出したバンドが、その勢いとともに“内省”というフェーズにも入っていたことを示す一曲だ。
多くの聴き手にとって、ジュンスカは“まっすぐで熱い”青春賛歌を歌うバンドとして記憶されているだろう。しかし「ガラスの街」は、その熱さだけでは語りきれない“見えない傷”“見えない視線”をも描いており、バンドにとっての新たな深みを感じさせる。
この曲がアルバム中盤に配置されていることも、演出として効いている。前半でエネルギーを放射したあと、聴き手を一度静かな街の闇へと誘い、その後また動き出すという流れの中で、「ガラスの街」は“揺らぎ”を与える役割を担っている。
■ 総評
「ガラスの街」は、ジュンスカというバンドの中でも、やや影のある光を帯びた名曲だ。ポップでキャッチーな“鼓舞歌”や“青春賛歌”とは一線を画し、透明で割れやすい都市の中を歩く若者の揺れと、それでも「歩き続ける」決意を、ときに静かに、ときに力強く歌っている。
この曲を聴くたびに、街灯に照らされた歩道や、ガラス窓に映る自分の姿、そしてそこに重なった他者の影を、ふと意識してしまう。それは「見られる/見ている」関係の中で揺れる青春のリアルだ。そして、ジュンスカが持っていたバンド・サウンドの“熱さ”と“陰り”が、この曲の中で融合しているからこそ、今日聴き返しても胸に残るものがある。
収録情報:
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アルバム:ひとつ抱きしめて(TOY’S FACTORY/VAP, 1988年11月10日)
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作詞:宮田和弥
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作曲:森純太
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メンバー(1988年):宮田和弥(Vo)、森純太(G)、寺岡呼人(B)、小林雅之(Dr)

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