何度かシリーズの記事の冒頭に書いているが、
今、シンガポールにいる。
台湾、香港、そしてシンガポール。
仕事であちこち移動していると、ホテルの部屋に入った瞬間、ここはどこの国だったかな、と一瞬考えることがある。
いや、もちろん本当に分からなくなるわけではない。
まだそこまでは来ていない。
……たぶん。
ただ、空港もホテルも、仕事先への移動も、何度も繰り返していると、だんだん似たような景色になってくる。
そんな中で、最近はホテル以外にも、少し楽しみにしている場所ができた。
仕事を通じて知り合った、中華系シンガポール人のご家族の家だ。
仕事仲間として知り合ったのだけれど、今ではご自宅に招いていただくこともある。
最初は仕事の話が中心だった。
それが、いつの間にか家族の話になり、食べ物の話になり、どうでもいい冗談を言い合うようになった。
こういう関係は、ありがたい。
海外で仕事をしていると、どれだけ親しく話していても、仕事が終わればそれっきりということもある。
でも、このご家族とは少し違う。
仕事の顔をしていなくても、普通に迎えてくれる。
ただし。
この家には、なかなか手強い人物がいる。
ご夫婦の小さな娘さんだ。
私よりずっと小さい。
当然である。
でも、会話では時々、こちらが完全に負ける。
しかも本人には、勝負しているつもりなどまったくない。
これが一番困る。
遠慮という言葉は、どこへ行ったのか
ある日、ご自宅で食事をご馳走になった。
シンガポールのチャイナタウンの一角。
外には人の行き来があり、店の看板や建物の色合いにも、この街らしい賑やかさがある。
ところが家の中へ入ると、外の賑わいとは少し違う、普通の家庭の時間が流れている。
テーブルには、いろいろな料理が並んでいた。
中華系の家庭らしい料理もあれば、シンガポールらしい味付けのものもある。
こういう食卓は好きだ。
レストランでは出会えない、その家の味がある。
そして何より、作った人が目の前にいる。
「美味しい」と言えば、嬉しそうにしてくれる。
ただ、問題がひとつある。
食べても食べても、料理が減らない。
いや、正確には減っている。
減っているはずなのに、私の皿の上だけが増えていく。
お母さんが言う。
“Eat more!”
もっと食べて!
「いやいや、もう十分いただきましたよ」
“No, no. Try this one!”
いやいや、これも食べてみて!
そして、料理が追加される。
私の「もう十分です」は、どうやらここではあまり効力を持たないらしい。
しかも、お父さんまで加わる。
「これ、食べたか?」
「はい、いただきました」
「美味しかっただろ?」
「はい、とても」
「じゃあ、もう少し食べろ」
……なぜそうなる。
美味しかったことを認めたら、おかわりが義務になる仕組みなのだろうか。
日本でも、こういう家庭はある。
親戚の家などへ行くと、もう帰ると言っているのに、お茶や果物が出てくることがある。
あれに少し似ている。
ただ、この家では、こちらの遠慮を受け取った上で、さらに料理を勧めてくる。
なかなか強い。
そんな時、娘さんが私のお皿をじっと見ていた。
そして、突然聞いてきた。
“You full already?”
もうお腹いっぱい?
「うん、もういっぱいだよ」
すると彼女は、私がまだ食べているのを見て、
“Then why you still eating?”
じゃあ、なんでまだ食べてるの?
……。
それはね。
君のお母さんとお父さんに聞いてくれないかな。
私は今、非常に難しい立場に置かれているんだよ。
しかし、彼女はそんな大人の事情など知ったことではない。
自分が不思議に思ったことを、ただ聞いているだけなのだ。
そして、その質問が一番正しい。
困ったものである。
小さな先生の授業が始まった
この娘さん、なかなか面白い。
大人たちが仕事や生活の話をしていると、突然会話に入ってくる。
そして、こちらが予想していないことを聞いてくる。
私が日本から来ていることは知っている。
英語も話す。
日本語も話す。
そんな私を、少し不思議に思っているらしい。
“You can speak Chinese?”
中国語、話せる?
「少しだけね」
“Only a bit?”
ちょっとだけ?
「そう、ちょっとだけ」
“Why?”
なんで?
……。
なんで、と言われても。
「英語と日本語を使うことが多いからかな」
すると彼女は、少し考えてから言った。
“Then you must learn more!”
じゃあ、もっと覚えなきゃ!
はい。
ごもっともです。
すると今度は、中国語で何か話しかけてくる。
私が少し考えていると、横でお母さんが笑っている。
娘さんは得意そうな顔だ。
私が答えられないのを見て、今度は英語で説明してくれる。
そして、もう一度中国語で聞いてくる。
確認テストである。
しかも、こちらが答えるまで待っている。
先生。
授業の進行が少し早くないでしょうか。
シンガポールでは、英語と中国語を日常的に使い分ける家庭もある。
この家でも、会話の途中で言葉が切り替わることがある。
大人同士で話していたかと思えば、娘さんには別の言葉で声をかける。
娘さんも、それに普通に答える。
本人にとっては、特別なことではないのだろう。
私も長いこと英語と日本語の間を行ったり来たりしてきた。
それでも、こうして家庭の中で言葉が自然に切り替わる様子を見るのは面白い。
そして、その中に私が入ると、突然、出来の悪い転校生になる。
50代になって、シンガポールで小さな先生に指導されるとは思わなかった。
しかも、この先生。
間違えると笑う。
いや、馬鹿にしているわけではない。
単純に面白いのだろう。
私も笑う。
お母さんも笑う。
気がつけば、みんな笑っている。
こういう時間は、なかなかいい。
ただし、宿題だけは出さないでほしい。
「ありがとう」は何回まで?
食事が終わって、少しゆっくりしていた。
私は相変わらず、
「ありがとうございます」
を繰り返していた。
食事をご馳走になって、飲み物をいただいて、いろいろ気を遣ってもらっている。
だから、そのたびにお礼を言う。
すると娘さんが、また不思議そうな顔をした。
“Why you keep saying thank you?”
なんで何回もありがとうって言うの?
「みんなが親切にしてくれるからだよ」
すると彼女は、あっさり言った。
“But you're our friend!”
でも、友達じゃん!
……。
ああ、そうか。
そういうことか。
私はまだ、どこかでお客さんのつもりでいたのかもしれない。
仕事で知り合った人の家に招かれている。
だから、失礼のないように。
迷惑をかけないように。
何かしてもらったら、きちんとお礼を言う。
それは悪いことではない。
日本で身につけてきた、ごく普通の習慣だ。
でも彼女からすると、少し不思議だったのだろう。
友達なんだから、そんなに何度もお礼を言わなくてもいいじゃない。
たぶん、そんな感じだ。
もちろん、これはシンガポールの人がみんなそうだという話ではない。
この家の、この娘さんの話だ。
ただ、その言葉を聞いて、少し肩の力が抜けた。
そういえば、最初に招かれた頃と比べると、家族の様子も少し変わった。
最初は何かと気を遣ってくれた。
今でも親切なのだけれど、最近は私がいても普通に家のことをしている。
お母さんは台所へ行く。
お父さんは別の用事を始める。
娘さんは、自分の話したいことを話す。
私はその中に、なんとなく座っている。
誰も特別に構ってくれない時間がある。
でも、不思議と居心地が悪くない。
むしろ、その方が少し嬉しい。
客として大切にされることも嬉しいけれど、客として扱われなくなることにも、別の嬉しさがあるらしい。
そんなことを考えていたら、娘さんがまた話しかけてきた。
先生の授業は、まだ終わっていなかった。
そして、50代のおじさんは叱られる
娘さんが私を見上げて言った。
“Why you so tall?”
なんでそんなに背が高いの?
私は背が高い方なので、小さな子どもからすれば、かなり大きく見えるのだろう。
「ご飯をいっぱい食べたからかな」
などと、適当なことを言ってみた。
すると彼女は、少し考えてから聞いてきた。
“If I eat more, I can be tall like you?”
もっと食べたら、私もあなたみたいに大きくなれる?
「そうかもしれないね」
すると彼女は、すぐにお母さんの方を向いて何か話し始めた。
どうやら、もっと食べれば大きくなるという私の適当な説明が、彼女の中で採用されてしまったらしい。
まずい。
余計なことを言った。
そして、再びこちらを向いて、
“But you cannot eat too much, okay?”
でも、あなたは食べすぎちゃダメだよ。いい?
……。
ちょっと待ってくれ。
さっきまで君のご両親が、私にもっと食べろと言っていたじゃないか。
しかも、私が食べすぎていることになっている。
私は被害者ではないのか。
彼女はそんな事情など知る由もなく、いたって真面目な顔をしている。
お父さんとお母さんは笑っている。
私も笑うしかない。
どうやら、この家で一番厳しいのは彼女らしい。
しかし、子どもというのは本当に面白い。
大人なら、相手がどう思うかを考えて、少し言葉を選ぶ。
特に日本では、そういう配慮を大切にすることが多い。
でも彼女は、気になったことをそのまま聞いてくる。
悪気もない。
遠慮もない。
そして時々、こちらが答えに困るくらい核心を突いてくる。
大人が何十年もかけて身につけた社交辞令が、数秒で通用しなくなる。
恐ろしい先生である。
しかも本人は、そんなことをしているつもりがまったくない。
だから余計に面白い。
日本とは少し違う、思いやりの形
この家族と過ごしていて感じるのは、気遣いの表し方が少し違うということだ。
日本では、相手に負担をかけないように、少し距離を取ることがある。
疲れていそうなら、そっとしておく。
食事を断られたら、それ以上は勧めない。
相手が遠慮しているようなら、あえて踏み込まない。
もちろん、そうでない人もいる。
でも私は、そんな気遣いに慣れている。
一方、この家族はもう少し直接的だ。
疲れていそうなら、
「座れ」
お腹が空いていそうなら、
「食べろ」
何か困っていそうなら、
「どうした?」
と聞いてくる。
私が「大丈夫」と答えても、あまり信用してくれないことがある。
「本当に?」
と、もう一度聞かれる。
時には、こちらが返事をする前に水や食べ物が出てくる。
言葉より行動が先なのだ。
これが結構ありがたい。
ただ、最初の頃は少し戸惑った。
遠慮する私と、遠慮させてくれない家族。
お互いに相手を思っているはずなのに、なぜか小さな攻防戦になる。
そして、だいたい私が負ける。
考えてみれば、日本にだって似たような家庭はある。
昔、親戚の家に行くと、帰ると言っているのに果物が出てきたりした。
「もう帰ります」
「まあ、これだけ食べていきなさい」
あれと少し似ている。
国が違っても、案外変わらないものはあるのかもしれない。
ただ、この家では、そのやり取りに英語や中国語が混ざる。
そして最後には小さな先生まで参戦する。
勝てる気がしない。
でも、少し不思議なのは、こうして遠慮を断られているうちに、こちらもだんだん遠慮しなくなることだ。
最初は「大丈夫です」と言っていたことを、最近は素直に「ありがとう」と受け取れるようになってきた。
もちろん、まだ少し遠慮する。
長年の癖というものは、そう簡単には抜けない。
でも、ここでは少しくらい甘えてもいいのかな、と思うことがある。
それが案外、嬉しかったりする。
帰り際の、もうひとつの授業
そろそろ帰ろうかという時間になった。
「今日は本当にありがとうございました」
いつものようにお礼を言う。
お母さんは、また来てねと言ってくれる。
お父さんも、気をつけて帰れと言う。
娘さんはというと、私の顔を見上げている。
そして、
“You coming again?”
また来る?
「うん、また来るよ」
“When?”
いつ?
……。
そこまで決めていなかった。
「また仕事の都合が合う時かな」
“Tomorrow can?”
明日はダメ?
「いや、明日はちょっと……」
“Cannot, ah?”
ダメなの?
先生。
それは大人の事情というものがありまして。
しかも、明日来られない理由を、英語でちゃんと説明しなければならない。
私は普段、翻訳や通訳の仕事もしている。
人の言葉を別の言葉に置き換えることには、ある程度慣れているつもりだ。
でも、小さな子どもの「なんで?」に答えるのは、時々それより難しい。
難しい言葉を使えばいいというものではない。
曖昧にごまかしても、すぐに次の質問が飛んでくる。
最後には、
「できるだけ早くまた来るよ」
という、実に大人らしい答えに落ち着いた。
彼女が納得したかどうかは分からない。
たぶん、あまりしていない。
でも、また来るという言葉には、少し嬉しそうな顔をしてくれた。
それだけで、こちらも少し嬉しくなる。
単純なものである。
ホテルへ戻る途中で
ホテルへ戻る途中、少し考えた。
今日もずいぶん笑ったな、と。
仕事で知り合った人たちと、こんなふうに食卓を囲むようになるとは思っていなかった。
海外での仕事は、慣れているつもりでも気を張ることがある。
言葉も違う。
生活の仕方も違う。
仕事の進め方だって、日本とは少し違う。
だから、ホテルに戻るとほっとすることも多い。
でも今日は、あの家を出る時に少し名残惜しかった。
別に特別なことがあったわけではない。
美味しいものを食べて、くだらない話をして、小さな先生に何度も質問されただけだ。
それだけなのに。
思えば、家族というものの形も、国や家庭によってずいぶん違う。
そして、血のつながりがなくても、誰かの家の食卓で自然に笑っていられる時間がある。
そういう時間を、私は案外大切に思っているらしい。
普段は一人でいることにも慣れている。
気楽だし、自分の時間も好きだ。
でも、こうして誰かの家で食事をして、帰り際に「また来るの?」と聞かれると、少し嬉しくなる。
50代にもなって、子どもに次の訪問予定を確認されて喜んでいる。
我ながら単純である。
さて。
次にあの家へ行く時は、もう少し中国語を覚えていこうか。
小さな先生に、少しくらい成長したところを見せたい。
ただし、ひとつ問題がある。
あの先生は、こちらが一つ覚えると、たぶん次に二つ教えてくる。
そして間違えると、容赦なく訂正してくる。
……。
まあ、それも悪くない。
シンガポールに来て、思いがけず先生が一人増えた。
授業料は今のところ無料。
ただし、食事の量は選べない。
そして宿題は、たぶん終わらない。
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