おじさんギタリスト ~手探りのまま続けてきた音楽~

私、今ちょっとした“音楽的サバティカル”に入っている。

家にも帰れず、
スタジオにも行けず、
歌うことも、ギターを弾くことも、今はできない。

50代でこれはまあまあ不便だ。
歯ブラシは借り物、下着は最小限。
人生で一番“身軽”なのに、
一番なにも作れない。

ちょっと情けないけど、事実だから仕方ない。


でも不思議なもので、
音が出せないと、
音楽の「音じゃない部分」が
やたら大きく聞こえてくる。

80’sのメロウロック。
90’sのオルタナティブ。
00’sの、少しアコースティック寄りな音楽。

あの頃の音楽って、
別に今より上手かったわけじゃない。
機材も、情報も、圧倒的に不便だった。

なのに、
理由のわからない説得力だけは、確かにあった。

これ、昔からずっと不思議だった。


たぶんだけど、
あの時代の音楽って
正解を探してなかったんだと思う。

このコードはアリかナシか。
この声質は市場に合うか。
この歌詞は刺さるか。

そういう話が始まる前に、もう曲はできていた。
もちろん、緻密に作られたものも混じっていたけど。

今の自分の音楽(料理)は、
レシピを見すぎて
火をつける前に疲れている気がする。

……これ、ちょっと恥ずかしい自覚。


メロウロックも、オルタナティブも、アコースティックも、
ライブハウスで弾いたり聴いていたブルースロックも、
気づけば全部、同じ手探りの線上に並んでいた。

うまくやろうとしてない人たちが、
結果的に、うまくいった。

いや正確には、
うまくいってない感じを隠さなかった

声が裏返る。
コードを押さえ損ねる。
歌詞が少しダサい。

でもそこに、
生活が漏れていた。

今、私が一番恋しいのは、
その“漏れ”。


演奏できない今、
私は音楽を
「使えない道具」として眺めている。

ハンマーを持ってるけど、
釘が一本も打てない、みたいな状態。

その代わり、
ハンマーの重さとか、
柄の木目とか、
そんなことばかり考えている。

昔は、
まったく気にも留めなかった部分。


問題提起するとしたら、たぶんこれだ。

今の音楽、
ちょっとだけ
正解に寄りすぎてない?

技術も知識も、申し分ない。
完成度も、正直すごい。

でも、
生活の匂いが
うまく消されすぎている気もする。

若い人が悪いわけじゃない。
これは完全に、
私たち世代の責任も混じっている。

「ちゃんとやれ」って、
言いすぎた。
自分にも、他人にも。

……その結果、
自分がちゃんと弾けなくなってるんだから、
あまり笑えない。


退院したら、
すぐにいい音を出そうとは思っていない。

たぶん最初は、
音も濁るし、
指も思うように動かない。

でも、それでいい。

冷蔵庫の余り物で作る
炒め物みたいな曲を、
また作れたらいいなと思っている。

焦げても、
味がブレても、
「ああ、今日生きてたな」って思えるやつ。

今はそれを、
音が出ない場所で、
こっそり仕込んでいる。

……という体で、
実はただの言い訳かもしれないけど。笑

私の偏った感じ方です。
今の自分には、
これが精一杯の音楽との付き合い方。

何もできない悔しさの代わりに、
以前に原曲に併せて弾いた曲をひとつ、上げてみた。

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