― 「二足のわらじ」と、通訳できない管理人 ―
1998年のロサンゼルスで、私の生活は静かに狂い始めていた。
私は20代半ばで、夢と若さだけを武器にして渡ってきたつもりだったが、
降り立った瞬間に気づいた。
夢だけでは、LAの家賃はビクとも動かない。
若さだけでは、LAの乾いた風は一切味方してくれない。
結局、私が街で最初に覚えた英語は
「No refund(返金不可)」
だった。
この街は、見た目の明るさの裏で、常に“現実の砂埃”を吹きつけてくる。
でも…それでも私は、この街でギターを弾きたかった。
■ 二足どころか、三足目も履きかけていた
LAに来て2週間が過ぎ、私は悟った。
ギター一本では、(生活できないから)死ぬ。
家賃は高いし、物価は高いし、
初めてのスタジオ代は見積もりより2割増し。
タコス屋台の兄ちゃんの「Today special!」が、まったくスペシャルじゃなかったことも悟った。
だから私は、生きるために“靴”を増やした。
-
夜:ギタリスト
-
昼:通訳・翻訳
-
隙間時間:日本人観光客の案内(チップ頼み)
こうして私は、二足どころか三足くらいのわらじを履いてLAを走り回ることになった。
しかし、この切り替えが本当に地獄だった。
昼の私は、安物の青山スーツをパリッと着こなし、
「契約書の第3項につきましては……」
などと知的に喋っている。
だが、その頭の片隅では、昨夜のライブで
「お前、MCの英語かわいかったぞ」
とベーシストに茶化された記憶が刺さっている。
翻訳の現場では、
細かい言い回しのニュアンスを気にしすぎて“真面目な顔”。
契約書の「瑕疵担保責任(英語にしにくい)」について説明して、
そのまま夜のライブハウスへ向かうと、バンドの連中に
「今日はノリでいこ!」
と言われても、頭がまだ“契約書仕様”なのでノリのギアが入らない。
昼は論理、夜は感性。
しかも両方中途半端。
24時間で真逆の自分を切り替え続けるうちに、
「自分は何者なんだ?」という疑問が時々胸をよぎった。
当然、バンドはすぐクビになった……。
■ LAの街の“殺人的な乾き”と“生活者だけが知る自由”
LAの空気はとにかく乾燥していて、肌が引きちぎれそうになる。
でも不思議なことに、胸の内側は逆に軽くなる。
この街には、「選べる自由」みたいなものが常に漂っていた。
もちろん、観光客向けの華やかなLAは刺激的だ。
ハリウッド大通りは人でごった返し、
昼間からギターを抱えて歌っている人がいる。
ウエストハリウッドの兄ちゃんたちは、なぜか初対面でも
「Dude!!」
と叫んでハイタッチを要求してくる。
そしてベニスビーチは、もはやカオスそのもので “人類の見本市” だった。
スケボー少年が猛スピードで駆け抜け、ヨガする人の脇を犬が走り、
サングラスの長髪男が突然、海に向かって
「Sunset is my brother!!!」
と叫ぶ。
自由すぎて、若い私は軽くビビった。
しかし、私が毎日暮らしていたのは、その裏側のLAだった。
人々が生活している“地に足のついた風景”が、もうひとつの顔を持っていた。
朝早く散歩すると、住宅街ではスプリンクラーの水音が一定のリズムで響き、乾いた空気と水の匂いが混ざり合って、胸の奥までスッと入ってくる。
あの“夏の午前のLAの匂い”は、今でも忘れられない。
通勤ラッシュ時のフリーウェイでは、どの車も巨大で、
古い日本車はまるで“迷子の子ども”のように小さく見えた。
FMラジオからはRage Against The MachineとThird Eye Blindが交互に流れ、
交通量は多いのに、なぜか人の空気はのんびりしていた。
夕方になると、住宅街の庭からバーベキューの匂いが漂い、
遠くから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
生活のリズムそのものは“ゆったり”なのに──
生きていくスピードだけは妙に“速い”街。
観光地のカオスと生活の穏やかさが同居して、
どちらも嘘じゃないのがLAだった。
■ 私の住んでいたアパート「サンセット・ハイツ(仮名)」の真実
外観だけはやたら立派なそのアパートは、
中身は完全に“熟成された昭和の木造住宅を異国風にアレンジした地雷物件”だった。
・壁の薄さは段ボール並み
・配管は常に泣いている
・夜中になると理由もなく床が鳴る
・廊下はなぜか少しだけスパイシーな匂いがする
そして、最大の難関が管理人の ジミー(仮名) だった。
■ 通訳できない管理人・ジミーの“謎の哲学”
ジミーはいつも汗だくで、声がデカく、話す内容が支離滅裂。
英語を話しているのに、英語が通じない。
ある日、キッチンの修理を頼んだときのこと。
私:「すみません、水漏れしてて──」
ジミー:「Yeeees… but the shoom-sha-baba is broken. Pipe go pshhhh, then xxx-xxx, then doom! You dig? Y’know what I’m sayin’?
(うんよぉ…でもその“shoom-sha-baba”が壊れてんだよ。パイプがpshhhhてなって、次にxxx-xxx、それからdoom!って感じさ。わかる?言いたいこと、伝わる?)」
言ってねぇ。
むしろお前が何を言ってるか知りたい。
通訳として働いていることをジミーに伝えたら、
彼は急に目を輝かせてこう言った。
ジミー:「Good! Translate my feelings to upstairs guy. He noisy. I angry. But also… sad.
(よし!あの上の階の奴に、私の気持ちを伝えてくれ。うるさくて腹が立つ。でも…ちょっと悲しくもあるんだ。)」
気持ちの翻訳なんてやってない。
そもそもお前の気持ちが一番うるさい。
■ 深夜の駐車場で行われる“人生講義”
夜中に帰宅すると、なぜかジミーが駐車場で待っていることがあった。
嫌な予感しかしない。
ジミー:「Hey music boy. Today I teach you life.(ヘイ、ミュージック・ボーイ。今日は人生ってやつを教えてやるよ。)」
いや、寝かせてくれ。
ジミー:「Life is like… refrigerator. If you open your heart too much… everything go bad. Close! Close heart sometimes!!(人生って…冷蔵庫みたいなもの。心を開けっぱなしにしすぎると、中身みたいに全部ダメになっちゃう。だからたまには、ちゃんと“心の扉を閉める”ことも必要なんだ。) 」
意味がありそうで、やっぱりない。
彼はそう言い残して去っていった。
私は夜空に向かって小さく言った。
「いや…例えに冷蔵庫を使うな」
■ それでも、あの場所が“青春そのもの”だった
毎日の仕事の切り替えに疲れ、
ジミーの哲学に脳を削られ、
アパートの壁の薄さに心が折れかけ、
時々“なんで俺はここにいるんだ”と考え込む。
でも不思議と、そのすべてが“青春の味”だった。
LAは残酷だけど、ほんの少しだけ優しい。
努力した分だけ、ほんのわずか報酬を返してくれる。
それが、妙に嬉しかった。
■ 50代のおじさんギタリストから若かった自分へ
もし1998年の私に声を届けられるなら──
こう言うだろう。
「その生活、全部あとで旨味になる。二足のわらじに疲れても、
通訳できない管理人に脳を削られても、
お前の人生の音は、あそこで深くなる。」
あのLAの日々があったから、
いまの“おじさんギタリスト”は笑ってギターを弾けている。
