年末に受けた下咽頭がんの手術から、
気づけば、時間だけはちゃんと前に進んでいた。
2月1日から8日の週に、退院が決まった。
「退院」と聞くと、
区切りとか、回復とか、
そういう言葉が勝手に並びそうになるけれど、
実際の感覚は、もう少し地味で、
生活をもう一度、組み直す場所に立った、
それだけに近い。
主治医から伝えられた条件は、
どれも拍子抜けするくらい現実的だった。
歩けること。
体力が戻りつつあること。
傷や再建した部分が安定していること。
発熱や感染がないこと。
飲み込みが安全であること。
あるいは、必要な栄養を別の方法で確保できていること。
どれも、華はない。
でも、ひとつ欠けると生活が崩れる。
コードの構成音みたいな条件だった。
入院中は、
毎日、歩く距離を少しずつ伸ばした。
昨日より数メートル先まで行けるかどうか。
体がちゃんと返事をくれるかどうか。
焦って歩幅を広げて、
看護師さんに止められた日もある。
正直、自分の体なのに信用しきれなくて、
ちょっと腹も立った。
それでも、
今日より明日を信じるしかなかった。
ギターの基礎練みたいに、
退屈で、成果が見えにくくて、
でも、やらないと確実に遠ざかる作業だった。
飲み込みも同じだった。
これまで意識したことのなかった動作が、
こんなにも慎重さを求めてくるものだったのかと、
何度も思った。
水を一口飲むだけで、
体の内側に耳を澄ます。
変な言い方だけど、
自分の喉と会話しているみたいだった。
「安全にできていますよ」
そう言われたとき、
胸の奥で、
派手じゃないけど、
ちゃんとした和音が鳴った。
まだ万全じゃない。
声も、体も、
完全に元通りというわけじゃない。
それでも、
「家に帰って生活していい状態ですよ」
その言葉は、
想像していた以上に重たかった。
家に帰る、というのは、
寝る場所が変わるというより、
時間の流れを自分で引き受ける、
という感じがする。
朝起きる時間。
夜、電気を消すタイミング。
何を食べるか。
どこで息をつくか。
そういう細かい選択を、
また自分でやっていい、
という許可をもらった気がした。
ギターのことを考えると、
音が出るかどうかより、
音と向き合える状態にいることが、
今はうれしい。
無理に鳴らさなくていい。
うまくまとめなくていい。
ただ、
一本の音を、
ちゃんと聴きながら触れられる。
それだけで、
十分だと思えた。
退院はゴールじゃない。
でも、
確実に、ひとつの小節は終わった。
次の小節は、
テンポを落として、
無理のないキーで、
生活の音と一緒に、
静かに、音を紡いでいけばいい。
今はそれでいい。
