今、シンガポールにいる。
ここしばらく、台湾、香港、シンガポールを行ったり来たりしている。
仕事なので仕方がないのだけれど、スマホの写真を見返すと、自分でも時々、
「これはどこの空港だったっけ」
となる。
移動して、仕事をして、ホテルに戻る。
また移動する。
そんな日が続いている。
今日はシンガポール。
少し前は台湾にいた。
今回は、その台湾にいた時の話。
私はそこで、ひとつ大きな失敗をした。
いや。
失敗というほどではない。
むしろ、とても嬉しい出来事だった。
日本からギターを送ってもらったのである。
そして私は、
外に出なくなった。
台湾にいた最初の頃は、ちゃんと外へ出ていた。
仕事が終われば、ご飯を食べに行く。
少し歩く。
コンビニを覗く。
知らない道があれば、ちょっと入ってみる。
せっかく台湾にいるのだから、部屋に閉じこもっているのももったいない。
海外にいると、この「せっかくだから」が結構強い。
日本にいる時なら、
「今日は疲れたから、もういいや」
で終わるところを、
「いやいや、せっかく台湾にいるんだから」
と、もう一人の自分が背中を押してくる。
おかげで普段よりよく歩く。
知らない店にも入る。
知らないものも食べる。
なかなか健康的である。
ところが、滞在が少し長くなってくると、別の問題が出てきた。
ギターを弾きたくなった。
正確に言えば、
弾きたいというより、
触りたくなった。
これは少し違う。
別に練習したいわけではない。
新しい曲を覚えたいわけでもない。
何かを録音したいわけでもない。
ただ、ギターがない。
普段なら、家に帰ればそこにあるものがない。
弾かない日だってある。
忙しくてケースすら開けない日もある。
それでも、家にはギターがある。
視界のどこかにいる。
手を伸ばせば触れる。
その状態に慣れすぎていたらしい。
台湾で何日か過ごしているうちに、妙に落ち着かなくなってきた。
ギターがないだけなのに。
50代のおじさんが海外でホームシックならぬギターシックになっている。
自分でも面倒くさい。
そこで家族に連絡した。
「ギター、台湾に送ってくれない?」
今考えると、頼まれた方はたまったものではない。
忘れ物を送ってくれ、という話ではない。
書類でもない。
服でもない。
薬でもない。
ギターである。
ケースに入れて、梱包して、海外へ送る。
送る側からすれば、ほぼ小規模な引っ越しだ。
それでも送ってくれた。
ありがたい。
本当にありがたい。
そして、ギターが台湾に届いた。
ケースを開ける。
いつものギターが入っている。
当然である。
自分で送ってくれと頼んだのだから、知らないギターが入っていたら困る。
それでも、
「おお……」
となった。
別に何年も離れていたわけではない。
少し前まで日本で普通に触っていたギターだ。
なのに、台湾の部屋で見ると妙に嬉しい。
持ってみる。
ネックを握る。
少し弾いてみる。
「ああ、これだ」
と思う。
何か名演が始まったわけではない。
素晴らしいフレーズが降りてきたわけでもない。
新曲ができたわけでもない。
いつものギターを、いつものように弾いただけ。
でも、それだけで部屋の感じが少し変わった。
知らない土地の部屋に、
自分の居場所が一畳分だけできたような感じがした。
これは少し嬉しかった。
ちょっと恥ずかしいけれど、本当にそうだった。
そして翌日。
仕事が終わった。
それまでは、
「さて、何か食べに行こうかな」
となっていた。
ところが、その日は違った。
部屋にはギターがある。
「……まあ、今日はいいか」
外へ出なかった。
次の日。
仕事が終わった。
ギターがある。
「昨日出なかったし、今日は出ようかな」
少し考えた。
弾いた。
出なかった。
その次の日。
もう考えなくなった。
ギターを持った。
人間というのは恐ろしい。
いや、私が恐ろしい。
外へ出れば台湾である。
当たり前だ。
台湾にいるのだから。
美味しいものがある。
見たことのない店がある。
まだ歩いていない道もある。
日本では見かけないものもたくさんある。
せっかく海外にいる。
それなのに私は部屋でギターを弾いている。
ある時、弾きながらふと思った。
これ、日本にいる時とほとんど同じじゃないか。
気づいてしまった。
せっかく家族に日本から送ってもらったギターを台湾の部屋で弾きながら、
「日本と同じことしてるな」
と思っている。
だったら送ってもらわなければ、もっと台湾を満喫したのではないか。
そんな考えも一瞬よぎった。
でも、ギターを見る。
……いや。
これはこれでいい。
そう思ってしまう。
たぶん、このあたりでもう負けている。
海外に行くと、私は比較的よく動く。
昔からそうだった。
知らない街を歩くのも好きだし、現地のスーパーやコンビニを見るのも好きだ。
観光地より、普通の人が普通に生活している場所を歩いている方が面白かったりする。
日本では見慣れているものがなくて、
日本にはないものが普通に置いてある。
そういう小さな違いを見つけるのが好きなのだと思う。
でも、ギターが届いた途端、その好奇心とギターが競争を始めた。
台湾の街。
いつものギター。
普通に考えれば台湾の街が勝つはずである。
わざわざ飛行機に乗って来ているのだから。
ところが、これが意外といい勝負になる。
そして疲れている日は、ギターが圧勝する。
外へ出るには、靴を履かなければならない。
エレベーターにも乗らなければならない。
店も決めなければならない。
帰ってもこなければならない。
ギターなら数歩である。
強い。
圧倒的に強い。
50代になると、この「数歩」というアドバンテージが馬鹿にならない。
気がつけば、
海外まで来ているのに行動範囲がホテルの部屋を中心に半径数メートルになっていた。
パスポートまで使って来た人間の行動範囲とは思えない。
その後も仕事で移動している。
台湾から香港へ。
また移動して。
そして今はシンガポールにいる。
空港を歩き、飛行機に乗り、国や地域をまたいでいる。
文字にすると、ものすごく活動的に見える。
ちょっと格好いい。
海外を飛び回って仕事をする50代。
これだけ書けば、それなりである。
実態は、
ギターが届くと外へ出なくなるおじさんである。
この落差は何なのだろう。
今いるシンガポールでも、日本とは違うことがいろいろ目に入る。
街を歩いていても面白い。
食べ物も違う。
人も違う。
聞こえてくる言葉も違う。
「へえ、こっちはこうなんだ」
と思うことが結構ある。
海外生活自体は初めてではないのに、それでもまだ気づくことがある。
むしろ歳を取った今の方が、昔とは違うところを見ている気もする。
だから、シンガポールにいる間はなるべく外へ出ようと思っている。
仕事が終わって疲れていても、少しくらい歩こう。
知らない店にも入ろう。
日本との違いも見ておこう。
せっかくここまで来ているのだから。
今のところは、ちゃんとそう思っている。
ただ、台湾でひとつ分かったことがある。
私の場合、海外で行動的になるために必要なのは、
観光情報でも、
体力でも、
好奇心でもない。
手の届くところにギターを置かないことなのかもしれない。
今はシンガポール。
まだ、ちゃんと外に出ている。
ギターは……
まあ。
送ってもらわない方がいい気がしている。
