🎵『HOW』 ZIGGY(1987)

    曲名: HOW
    アーティスト: ZIGGY
    発表: 1987年10月5日
    作詞: 森重樹一
    作曲: 戸城憲夫
    収録アルバム: 『ZIGGY ~IN WITH THE TIMES~』(1987年)
    Producer: 佐藤宣彦
    Label: JAPAN RECORD(徳間ジャパン)

    『ZIGGY ~IN WITH THE TIMES~』
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    『GLORIA』より前にいた、もう一つのZIGGY

    昔のバンド仲間と音楽の話をすると、ZIGGYの名前が必ず出てくる。

    たいていは『GLORIA』や『I'M GETTIN' BLUE』の話になる。

    あの頃のバンドマンなら、少なくとも一度くらいは演奏したことがあるのではないだろうか。

    私も、ZIGGYの曲にはずいぶん親しんできた。

    高校時代のバンドで演奏したZIGGYの曲は、『GLORIA』だけだった。

    しかも、当時の私の担当はギターではなくベース。

    『GLORIA』にはベースソロもあるのだけれど、基本的にはリズムを支える役に徹していた。

    派手に前へ出るよりも、ドラムと一緒に曲の土台を作る。

    そんなことを考えながら弾いていた記憶がある。

    一方で、一人でギターを弾くときには、ZIGGYの曲はよく弾いていた。

    もっとも、当時の私が好んでいたのは、もう少しメロウなロックだった。

    『TOKYO CITY NIGHT』も、アコースティックギターでしっとりとした曲調にアレンジして弾くのが大好きだった。

    高校を卒業してからも、『午前0時のMERRY-GO-ROUND』や『訪れる夜だけに』など、自然とメロウなナンバーを選ぶことが多かった。

    とはいえ、ZIGGYの派手で勢いのあるロックンロールが嫌いだったわけではない。

    むしろ、あのグラムロックの華やかさをまとった、少し危なっかしいほどの勢いには、ずいぶん惹かれていた。

    森重樹一の突き抜けるような声に、松尾宗仁のギター。

    そこへ戸城憲夫のベースと大山正篤のドラムが絡んでくる。

    あの四人が一斉に走り出したときの感じは、やっぱり格好よかった。

    ただ、私が一人でギターを抱えると、どうも少し違う方向へ行ってしまうらしい。笑

    『HOW』も、そんな曲の一つだった。

    1987年のファーストアルバム『ZIGGY ~IN WITH THE TIMES~』に収録された曲である。

    原曲は決してメロウな曲ではない。

    むしろ、当時のZIGGYらしい、華やかで荒々しいロックンロールだ。

    ギターは勢いよく鳴り、リズムは前へ前へと進んでいく。

    森重の声にも、どこか投げやりなようでいて、簡単には折れそうにない強さがある。

    その原曲の勢いも、私は好きだった。

    でも、アコースティックギター一本で弾いてみると、不思議と違うものが聴こえてくる。

    少しテンポを落として、コードを鳴らしたあとの余韻を残す。

    勢いに隠れていた言葉が、急に近くなる。

    『TOKYO CITY NIGHT』と同じように、『HOW』も少しメロウな曲調にして弾くのが好きだった。

    もちろん、それは私が勝手にやっていたアレンジで、原曲の魅力とはまた別の話だ。

    ただ、あの派手な音の中にある、どこかやりきれない気持ちが、そう弾かせていたのかもしれない。

    後に『GLORIA』で広く知られることになるZIGGYだが、この曲を聴くと、華やかなロックンロールの奥に、ずいぶん違う表情が見えてくる。

    酒。

    行き場のない気持ち。

    もう戻ってこない誰か。

    そして、自分でも変えられない生き方。

    派手な服を着て、大きな音で演奏しているからといって、心の中まで明るいとは限らない。

    そんな当たり前のことを、若い頃の私は、まだよく分かっていなかった気がする。


    1987年、まだ何者でもなかった四人

    ZIGGYは1984年、森重樹一を中心に結成された。

    1987年のメジャーデビュー時のメンバーは、森重樹一、戸城憲夫、松尾宗仁、大山正篤の四人。

    森重の声。

    戸城のベース。

    松尾のギター。

    大山のドラム。

    それぞれの個性が強く、しかも、ただ勢いだけで演奏しているバンドではなかった。

    後にドラマの主題歌となった『GLORIA』が大きくヒットするのは1989年のこと。

    『HOW』が発表された1987年には、まだそこまでの成功は訪れていない。

    当時の日本では、ロックバンドがテレビや雑誌を通じて広く知られるようになり、若い人たちがギターを持ってバンドを組むことも、ずいぶん身近になっていた。

    そんな時代に、ZIGGYは洋楽のロックンロールを自分たちなりに鳴らしていた。

    派手な見た目に目を奪われがちだけれど、演奏を聴くと、それぞれの楽器がきちんと仕事をしている。

    特に戸城憲夫のベースは、単に低音で曲を支えるだけではない。

    曲を前へ進めながら、時にはメロディーのように動く。

    ギターが弾くべき場所と、ベースに任せた方がいい場所。

    その境目が、なかなか面白い。

    そして『HOW』は、その戸城が作曲した曲だ。

    森重が書いた言葉を、戸城のメロディーが運んでいく。

    この二人の組み合わせだからこそ生まれた、独特の寂しさがあるように思う。


    どこへ行くのか、もう変われないのか

    曲の冒頭から、森重は誰かに問いかける。

    OH, TELL ME BABY
    なあ、教えてくれよ
    WHERE YOU WANNA GO
    君は、どこへ行きたいんだ?
    CAN'T YOU CHANGE YOUR WAY ANYMORE?
    もう、生き方を変えることはできないのか?

    問いかけている相手は、恋人なのか。

    仲間なのか。

    それとも、自分自身なのか。

    歌詞には、はっきりと書かれていない。

    私は、この曖昧さが好きだ。

    誰かに向かって話しているようで、実は自分に言い聞かせている。

    そんな言葉は、日常にもある。

    「これからどうするんだ?」

    そう聞かれて、すぐに答えられるときばかりではない。

    自分でも、どこへ行きたいのか分からないことがある。

    それでも時間だけは進んでいく。

    この曲の英語詞では、相手に道を変えられないのかと問い、やがて「私たち」の行き先を尋ねる。

    ここが気になる。

    最初は相手のことだったはずなのに、いつの間にか自分もその迷いの中に入っている。

    一人だけの問題ではなくなっているのだ。

    私は、そこに少し切実なものを感じる。

    相手に変わってほしい。

    でも、本当は自分も変わらなければいけない。

    そんな気持ちが混ざっているように聞こえる。


    飲んだくれのブルース、という照れ隠し

    英語詞の問いかけが終わると、森重は日本語で歌い始める。

    そこで急に、曲の温度が変わる。

    たかが飲んだくれのブルースさ
    笑ってくれよ BABY!
    まとわりつくコイツから逃げ出せずにいるのさ
    すり切れるまでころがるだけ

    自分の苦しさを大げさには語らない。

    飲んだくれのブルースにすぎないのだから、笑ってくれ。

    そんなふうに、少し投げやりな言葉で片づけようとする。

    でも、本当に笑って済ませられるのだろうか。

    続く歌詞では、まとわりつく何かから逃げ出せないことが語られる。

    その「何か」が、具体的に何なのかは分からない。

    酒なのか。

    過去なのか。

    後悔なのか。

    あるいは、自分自身の性格や生き方なのか。

    私は、無理に一つに決めなくてもいいと思う。

    人には、分かっていてもやめられないことがある。

    もう十分だと思いながら、同じ場所に戻ってしまうこともある。

    若い頃なら、そんな自分を変えればいいのだと思っていた。

    でも、年齢を重ねると、人間はそれほど簡単ではないと分かってくる。

    だからといって、何でも仕方がないと諦めていいわけでもない。

    その間で、ずっと揺れている。

    『HOW』の主人公も、そんなところに立っているように聞こえる。

    強がっている。

    でも、決して余裕があるわけではない。

    「笑ってくれ」という言葉が、むしろ笑えない気持ちを隠しているようで、少し胸に残る。

    12月の空に、もういない誰か

    そして、この曲で私が最も立ち止まってしまうのが、12月の空を歌うところだ。

    そこには、誰かが亡くなったことが書かれている。

    あいつが逝っちまった
    12月の空に CRYIN'
    きっと今ごろ肩をすくめ笑ってるだろうけど
    すり切れるまで ころがるだけ

    けれど、その人物の名前は出てこない。

    どんな関係だったのかも、説明されない。

    ただ、もういない。

    それだけが分かる。

    しかも主人公は、その人が今ごろ肩をすくめて笑っているだろうと想像している。

    この描写が、何ともいい。

    亡くなった人を立派な言葉で飾っていない。

    生前の、その人らしい仕草を思い出している。

    肩をすくめる。

    笑う。

    たったそれだけで、相手がどんな人だったのか、少し見える気がする。

    私は、人を思い出すとき、案外こういう細かなことが残るものだと思う。

    何を成し遂げたかより、笑い方だったり。

    何気なく口にしていた言葉だったり。

    一緒にいたときの、どうでもいい会話だったり。

    そういうものが、時間が経ってから急に戻ってくる。

    なお、この歌詞の「あいつ」が実際に誰を指しているのかについては、森重本人が明言した確かな資料を確認できなかった。

    だから、実在の友人や特定のミュージシャンの死を歌ったものだとは断定できない。

    ただ、歌詞の中にある喪失感は、確かに聞こえてくる。

    悲しいと大声で叫ぶわけではない。

    涙を流している姿を長々と説明するわけでもない。

    12月の空と、もういない誰かの笑い方。

    それだけで、十分なのだと思う。


    松尾宗仁のギターが、言葉の後ろに残すもの

    『HOW』をギタリストとして聴くと、曲の進み方が面白い。

    最初から最後まで、同じ勢いで押し切る曲ではない。

    語りかけるような部分があり、そこからロックンロールの勢いが前へ出てくる。

    その変化の中で、ギターの役割も変わって聞こえる。

    松尾宗仁のギターは、森重の声と張り合うためだけに鳴っているわけではない。

    歌の後ろに回るところと、バンド全体を押し出すところ。

    その切り替えがいい。

    音が厚くなっても、歌が埋もれない。

    これは、簡単そうで案外難しい。

    ギターを弾いていると、つい自分の音を前に出したくなる。

    特にロックンロールなら、なおさらだ。

    でも、歌詞に重い言葉があるとき、ギターまで同じように主張すると、かえって何も聞こえなくなることがある。

    そこをどうするか。

    私は、アレンジを考えるとき、今でもよく迷う。

    音を足すのか。

    引くのか。

    それとも、ほんの少し後ろへ置くのか。

    『HOW』を聴くと、あの四人がそれぞれの場所で曲を支えていたことを感じる。

    戸城のベースが曲を動かし、大山のドラムがその足元を固める。

    松尾のギターが勢いと隙間を作り、森重の声がその上に乗る。

    どれか一つだけを取り出しても、あの感じにはならない。

    バンドというのは、そういうものだと思う。


    森重樹一の声にある、強さと弱さ

    森重樹一の歌声には、独特の強さがある。

    少し掠れた声。

    言葉を投げつけるような歌い方。

    それでいて、メロディーになると、ふっと柔らかくなる瞬間がある。

    『HOW』では、その両方が聞こえる。

    英語詞の問いかけには、相手を引き止めたいような切迫感がある。

    日本語詞では、少し自分を笑っているようにも聞こえる。

    そして、もういない誰かのことを歌うとき、強い声の奥に、別の表情が見える。

    私は、森重のこういうところが好きだ。

    ただ声が大きいとか、高い音が出るとか、そういう話ではない。

    同じ声の中に、強がりと弱さが一緒にある。

    それが、歌を人間らしくしている。

    森重は後年のインタビューで、自分の歌を中心に据えて曲を作る考え方と、戸城のように楽器のアンサンブルから歌を考える作り方との違いを語っている。

    『HOW』は戸城が作曲し、森重が作詞した曲だ。

    その二つの感覚が、ぶつかるのではなく、一曲の中に収まっている。

    私は、そこにも初期ZIGGYの面白さを感じる。


    あの頃のZIGGYを、今の耳で聴く

    1987年というと、もうずいぶん昔の話になる。

    あの頃のロックバンドには、勢いがあった。

    見た目も派手だったし、音も大きかった。

    若い私たちは、そういうものに憧れたり、反発したりしながら、自分の好きな音楽を探していた。

    ZIGGYも、そんな時代の中にいた。

    でも、今あらためて『HOW』を聴くと、派手な服や髪型よりも、歌詞の中の弱さが気になる。

    どこへ行けばいいのか分からない。

    生き方を変えられない。

    もう会えない人がいる。

    それでも、まだ転がっていく。

    若い頃は、最後のところを格好いいロックンロールの言葉として聴いていた気がする。

    今は、少し違う。

    転がり続けることは、いつも格好いいわけではない。

    疲れることもある。

    傷つくこともある。

    同じ失敗を繰り返すことだってある。

    それでも、止まれないときがある。

    私は、そういう人間の姿が、この曲には残っているように思う。

    森重樹一も、ZIGGYという名前とともに長い時間を歩いてきた。

    メンバーが変わり、活動の形が変わっても、歌い続けている。

    ただし、後年の森重自身の人生を、そのまま1987年の『HOW』の歌詞に重ねて説明するつもりはない。

    曲を書いた当時に何を考えていたのかは、本人にしか分からない部分もある。

    でも、長く歌い続けてきた人の声で、昔の曲を聴くと、こちらの受け取り方も変わる。

    それは、聴いている私たちも同じように年齢を重ねているからなのだろう。


    すり切れるまで、ころがるだけ

    『HOW』には、答えがない。

    どこへ行くのか。

    生き方を変えられるのか。

    問いかけは何度も繰り返されるけれど、最後まで明確な答えは出てこない。

    私は、それでいい気がする。

    人間は、いつも自分の行き先を分かっているわけではない。

    正しいと思った道を選んでも、途中で迷うことがある。

    もうやめようと思いながら、続けてしまうこともある。

    私自身、若い頃に思い描いていたギタリストの姿と、今の自分が同じかと言われれば、たぶん違う。

    身体も変わった。

    演奏に対する考え方も変わった。

    でも、ギターはまだ弾いている。

    昔より慎重になったところもあれば、相変わらず無茶をしてしまうところもある。

    まあ、あまり進歩していないのかもしれない。笑

    それでも、今だから分かる音がある。

    今だから、弾かずに残しておける場所もある。

    『HOW』を聴いていると、そんなことを考える。

    1987年の森重樹一の声。

    戸城憲夫のメロディー。

    松尾宗仁のギター。

    大山正篤のドラム。

    細かな事情を書くつもりはないけれど、この四人が再び揃って演奏する姿を見ることは、もうないのかもしれない。

    そう思うと、少し寂しい。

    だからこそ、あの四人が残した音を、今の自分の耳で聴いている。

    12月の空に、もういない誰かを思い出しながら。

    答えの出ない問いかけが、また始まる。

    少し掠れた声で。

    画像
    『ZIGGY ~IN WITH THE TIMES~』(1987)


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