クレジット
アーティスト: Tori Amos
発表: 1994年(シングルは1994年1月)
作詞: Tori Amos
作曲: Tori Amos
収録アルバム: 『Under the Pink』(1994年)
Producer: Tori Amos / Eric Rosse
Label: EastWest(英国)/ Atlantic Records(米国)
明るい曲だと思っていた、優しい顔をした裏切り
音楽というのは、ときどき厄介だ。
耳に気持ちよく入ってくる曲ほど、歌詞をきちんと読んだときに驚かされることがある。
Tori Amosの『Cornflake Girl』も、私にとってはそんな一曲だ。
跳ねるようなピアノ、軽快なリズム、少し癖のある彼女の歌い方。
1994年という時代を思い出すと、
あの頃のオルタナティヴ・ロックの中でも、
ずいぶん独特な場所にいた曲だったと思う。
ギターが前に出てくるわけでもない。大きな音で押し切るわけでもない。
それなのに、妙に耳に残る。
何より、タイトルが『Cornflake Girl』だ。
コーンフレークの女の子。
なんだか可愛らしい。朝食のテーブルにでも似合いそうな名前である。
ところが、この曲が生まれた背景を知ると、そんな呑気なことを言っていられなくなる。
彼女が歌っていたのは、女性同士の裏切りだった。
しかも、単なる友情のもつれではない。
もっと深く、もっと痛みを伴う話だった。
アリス・ウォーカーの小説が開けてしまった扉
この曲を理解するうえで避けて通れないのが、
アメリカの作家アリス・ウォーカーが1992年に発表した小説
『Possessing the Secret of Joy』だ。
ウォーカーは『The Color Purple(カラーパープル)』でも知られる作家である。
『Possessing the Secret of Joy』が扱っているのは、
女性器切除(FGM)という、女性の身体と尊厳に深く関わる問題だった。
そしてTori Amosが衝撃を受けたのは、その行為に女性自身が関わり、
次の世代の少女たちに受け継がせてしまうという現実だった。
1994年2月3日付の『The New York Times』で、
彼女はこの小説を読んだことによって、
自分が女性を理想化していたと気づいた、と語っている。
それまで彼女は、残酷な行為をするのは男性だという思い込みを持っていた。
しかし、女性が女性を傷つけることもある。
女性だからといって、必ずしも別の女性の味方になるわけではない。
その認識が、彼女の中で何かを変えてしまったのだろう。
彼女は同じインタビューで、裏切りという主題を、個人的な関係から社会全体に及ぶ問題まで広げて作品にしたと説明している。
これは大事なところだと思う。
『Cornflake Girl』は、女性器切除という問題を単純に説明するための歌ではない。
その問題を知ったことで、彼女がそれまで信じていた人間関係の見方そのものが揺らいでしまった。
私には、そこから生まれた歌のように聴こえる。
2020年の『BOMB』誌のインタビューでも、彼女はこの曲がウォーカーの小説との対話から生まれたことを改めて語っている。
多くの人は、口ずさんでいる曲の背景に女性器切除という問題があるとは思っていないだろう、と。
確かにそうだ。
あの軽快なピアノを聴いて、そこまで想像できる人は多くないと思う。
私も、曲の背景を知らなければ、まったく別の風景を思い浮かべていたはずだ。
コーンフレークとレーズンの女の子たち
この曲には、二種類の女性が登場する。
Cornflake GirlsとRaisin Girls。
彼女自身の説明では、Cornflake Girlsは視野が狭く、
Raisin Girlsは心が開かれている女性たちを指している。
つまり、食べ物の名前そのものに重要な意味があるというより、
人間のあり方を分けるための比喩なのだろう。
冒頭の歌詞を読んでみる。
Never was a cornflake girl
私は最初から、コーンフレーク・ガールなんかじゃなかった
Thought that was a good solution
そういう生き方が、いい答えだとは思えなかった
Hanging with the raisin girls
私はレーズン・ガールたちと一緒にいた
ここで彼女は、自分がどちら側にいたのかを示している。
ただ、この曲を聴いていると、善い女性と悪い女性を単純に分けようとしているようには感じられない。
むしろ、自分が信じていた側から誰かが離れていくことへの戸惑いがある。
それは次の言葉にも表れている。
She's gone to the other side
彼女は、向こう側へ行ってしまった
Giving us a yo-heave-ho
私たちを、あっさり追い払うように
The other side。
向こう側。
この言い方が、妙に冷たい。
友人が引っ越したとか、違う仕事を始めたとか、そんな話ではない。
昨日まで同じ場所にいたと思っていた人が、いつの間にか自分とは違う側に立っている。
しかも、その人は自分が何を裏切ったのか、気づいていないのかもしれない。
人間関係には、そういう瞬間がある。
大喧嘩をしたわけでもない。
はっきり別れを告げられたわけでもない。
ただ、ある日を境に、その人の言葉が以前とは違って聞こえる。
50代になった今なら、少し分かる気がする。
誰かが向こう側へ行ったのか。
それとも、こちらが変わってしまったのか。
その区別さえ、案外難しい。
「そんなことが起きるはずがない」
この曲で私が特に気になるのは、繰り返される短い言葉だ。
This is not really happening
こんなこと、本当に起きているはずがない
そして、それに応えるように歌われる。
You bet your life it is
いいえ、間違いなく起きているのよ
英語の You bet your life は、文字どおりには「命を賭けてもいい」という強い確信を表す言い方だ。
ここでは、信じたくない現実を否定する声と、
それを容赦なく突きつける声がぶつかっているように聞こえる。
前者は、まだ信じたくない。
後者は、もう目を逸らせない。
この二つの声が、同じ人間の心の中にあっても不思議ではない。
Tori Amosが小説を読んで感じた衝撃と重ねるなら、
ここには、自分の思い込みが壊されていく瞬間があるのかもしれない。
私たちは、ときどき現実そのものよりも、現実によって自分の信念が崩れることを恐れる。
信頼していた人が、思っていたような人ではなかった。
正しいと信じていた習慣が、誰かを傷つけていた。
優しさだと思っていたものが、別の人には暴力だった。
そういう事実を認めるのは、簡単ではない。
この曲の不思議なところは、そんな重たい感情を、悲しげなバラードにしなかったことだ。
彼女は、あえて身体が動いてしまうようなリズムの中で歌っている。
だから余計に怖い。
現実は、いつも悲しい音楽を伴ってやって来るわけではないのだから。
ピアノが怒っている
ギタリストとしてこの曲を聴くと、どうしてもピアノの音の置き方が気になる。
Tori Amosのピアノは、ただ歌を支える伴奏ではない。
歌に話しかけたり、言葉を遮ったり、ときには歌より先に感情を吐き出しているように聴こえる。
この曲では特に、低いところで動くリズムと、上の音域で跳ねるフレーズの距離感が面白い。
軽やかなのに、落ち着かない。
明るいのに、どこか神経質だ。
そして、George Porter Jr.のベースとCarlo Nuccioのドラムが、そのピアノをしっかり前へ運んでいく。
Paulinho da Costaのパーカッションも加わり、曲全体に独特の揺れが生まれている。
ギターとマンドリンを担当しているのはSteve Caton。クレジット上ではSteve Claytonと記載されている資料もあるが、オリジナルのライナーノーツではSteve Catonと表記されている。
ギターは主役を奪わない。
ピアノが作った少し奇妙な空間に、別の色を足している。
こういうアレンジは好きだ。
音数を増やせば曲が豊かになるわけではないし、ギターを大きく鳴らせば存在感が出るわけでもない。
必要なところに音を置いて、あとは引く。
それだけで曲の景色が変わる。
そして、この曲にはもう一人、忘れてはいけない人がいる。
Merry Claytonだ。
The Rolling Stonesの『Gimme Shelter』で強烈な歌声を残した、あのMerry Claytonである。
彼女の声が入ってくると、曲の空気が少し変わる。
Tori Amosの声が個人的な疑問や怒りを抱えているように聴こえるのに対して、Merry Claytonの声には、もっと大きな場所から呼びかけてくるような力がある。
二人の声が重なることで、一人の女性の戸惑いが、もっと広い世界へ押し出されていく。
そんな印象を受ける。
Rabbitは、どこに鍵を置いたのか
後半になると、曲はさらに不思議な場所へ進んでいく。
Rabbit, where'd you put the keys girl?
ラビット、鍵をどこに置いたの?
この言葉が何度も繰り返される。
Rabbitが具体的に誰を指しているのか、そして鍵が何を象徴しているのかについて、今回確認できた本人の発言では明確な説明を見つけられなかった。
だから、ここからは私なりの受け取り方になる。
鍵というのは、何かを開けるものだ。
閉ざされた部屋かもしれないし、出口かもしれない。
あるいは、自分がずっと閉じ込めていた感情なのかもしれない。
「鍵はどこへ行った?」
その問いを繰り返す声には、少し苛立ちが混じっているようにも聴こえる。
誰かに答えを求めているのに、答えが返ってこない。
曲の前半では、信じていた人が向こう側へ行ってしまった。
そして後半では、何かを開けるための鍵が見つからない。
この二つが私の中ではつながってしまう。
信頼を失ったあと、人はどうやってもう一度誰かを信じるのだろう。
その鍵は、誰が持っているのだろう。
もちろん、Tori Amosがそこまで意図していたかは分からない。
ただ、あの繰り返しを聴いていると、私はそんなことを考えてしまう。
黄金の銃を持つ男
終盤には、さらに奇妙な人物が登場する。
And the man with the golden gun
そして、黄金の銃を持った男は
Thinks he knows so much
自分は何でも分かっているつもりでいる
The man with the golden gun という表現からは、ジェームズ・ボンド作品の『The Man with the Golden Gun』を思い浮かべる人もいるだろう。
ただし、この歌詞がその作品を直接指していると断定できる本人の説明は、確認できなかった。
私には、この男が、権威や力を持ち、自分こそ正しいと信じて疑わない人物のようにも感じられる。
しかし、この曲が面白いのは、男性だけを悪者にして終わらないことだ。
そもそもの出発点が、女性による女性への裏切りだった。
つまり、誰が加害者で、誰が被害者なのかを、性別だけで簡単に決められない。
人は、自分が正しいと思い込んだときに、案外残酷になれる。
そして、自分の正しさを疑わなくなったとき、他人の痛みが見えなくなることがある。
Tori Amosが描こうとしたのは、そういう人間の怖さでもあったのかもしれない。
1994年という時代に、この曲が鳴っていたこと
1994年。
ロックの世界では、グランジやオルタナティヴ・ロックが大きな存在感を持っていた。
ギターの歪み、荒々しい演奏、内面の苦しさをそのまま吐き出すような歌。
そんな音楽が広く聴かれていた時代に、Tori Amosはピアノを中心に据え、自分の言葉で世界を描いていた。
彼女の1992年のデビューアルバム『Little Earthquakes』には、すでに個人的な傷や信仰、女性として生きることへの複雑な感情が刻まれていた。
そして1994年の『Under the Pink』では、その視線が人と人との関係、さらには社会の中にある裏切りへと広がっていく。
『Cornflake Girl』は英国でヒットし、『Under the Pink』は全英アルバムチャートで初登場1位を記録した。
これほど難しい問題を背景に持つ曲が、多くの人に口ずさまれたというのは興味深い。
しかも、曲そのものは説教臭くない。
聴き手に向かって「こう考えなさい」と言っているわけではない。
ピアノが跳ね、リズムが動き、彼女の声が少し不安定な場所を行き来する。
その音楽を楽しんでいるうちに、何か引っかかる言葉が残る。
そして、何年も経ってから、その言葉の意味を知ることがある。
音楽には、そういう時間差がある。
優しさだけでは、人は守れない
この曲の背景を知ってから、
私は『Cornflake Girl』を以前と同じようには聴けなくなった。
もちろん、ピアノの格好よさは変わらない。
リズムの気持ちよさも変わらない。
Merry Claytonの声が入ってくるところでは、相変わらず耳がそちらへ向く。
ただ、その奥にあるものが少し違って聞こえる。
誰かを信じること。
誰かの味方でいること。
そして、自分が正しいと思っていること。
若い頃は、それらをもう少し簡単に考えていた気がする。
長く生きていると、善意が必ずしも良い結果を生むわけではないことを知る。
人を守ろうとして傷つけてしまうこともある。
間違っていると分かっていても、周囲に合わせてしまうこともある。
逆に、自分が正しいと信じていたことを、あとになって恥ずかしく思うこともある。
私にも、思い当たることがないわけではない。
それでも、できれば人には優しくありたい。
ただ、その優しさが本当に相手のためになっているのか、ときどき確かめる必要はあるのだろう。
Tori Amosがこの曲を書いたとき、彼女の中にあったのは、単なる怒りだけではなかったように思う。
信じていたものが崩れた戸惑い。
それでも見なければならない現実。
そして、目を逸らさずに歌うという選択。
彼女の本当の心の内を、私がすべて知ることはできない。
けれど、あのピアノの強さを聴いていると、ただ悲しんでいるだけの人には思えない。
何かを理解しようとしている人の音に聞こえる。
朝食の名前をした、重たい歌
『Cornflake Girl』というタイトルは、やっぱり不思議だ。
コーンフレークとレーズン。
本来なら、朝の食卓に並んでいてもおかしくない言葉だ。
そんな身近なものを使って、彼女は人間の裏切りや残酷さを歌った。
しかも、こんなにも軽快な曲にしてしまった。
もしこれが重々しいピアノバラードだったら、私は最初から身構えて聴いていたかもしれない。
でも、この曲は違う。
気づけば身体がリズムを取っている。
そして歌詞を知って、少し居心地が悪くなる。
その順番が、実にTori Amosらしい気がする。
音楽を聴いていると、時々、知らないままでいた方が楽だったのではないかと思うことがある。
けれど、知ってしまったあとに聴こえる音もある。
『Cornflake Girl』は、私にとってそういう曲になった。
今日もあのピアノは、相変わらず軽やかに跳ねている。
ただ、その向こう側にいる女の子たちのことを、以前より少し長く考えてしまう。

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