海を渡ったSplit Enz
やっと辿り着いたEnglandで、時代が変わり始めていた
第5章の最後に、Split EnzはAustraliaのその先を見始めた、と書いた。
次に向かうのは、Englandだった。
地図で見れば、ただ移動しただけに見える。でも、1970年代半ばのNew Zealandの若いバンドにとって、これは今とは少し意味が違ったと思う。
Spotifyもない。YouTubeもない。
Londonで今何が鳴っているのかを、同じ瞬間に見ることも出来ない。
海の向こうから届いてくるレコードを聴き、雑誌を読み、写真を見ながら、そこにある音楽の世界を想像する。
Tim Finnも、Mike Chunnも、Eddie Raynerも、Englandの音楽をずっと聴いてきた。
Yes。Genesis。Roxy Music。
そして、そのずっと向こうにはBeatlesもいる。
そんな場所へ、とうとう自分たちが行く。
若い頃なら、それだけで何かが始まると思ってしまう。目的地へ着けば、人生も次のページへ進む。
私も昔は、そういうものだと思っていた。
でも実際は、目的地に着いたところから、また生活が始まる。
Split Enzも、たぶん同じだった。
まずAustraliaへ
Split EnzがAustraliaへ活動の場所を広げたのは1975年。
まだ『Mental Notes』が発売される前だった。
New Zealandではすでに熱心な支持を集め始めていたが、もっと大きな場所へ出る必要があった。
AustraliaにはNew Zealandより大きな音楽市場がある。Liveの場所も多い。レコード会社もある。海外Artistもやって来る。
Split EnzにとってAustraliaは、世界へ向かうための最初の外側だった。
とはいえ、向こうへ行けばすぐ歓迎された、という話でもない。
彼らの見た目はAustraliaでも相当変だった。
Noel Crombieの衣装。化粧。髪。妙な動き。
そして、曲まで変だ。
今でこそSplit Enzの写真を見ると「ああ、Enzだ」で済む。でも何の前情報もなく、1975年に突然あれがStageへ出てきたら、かなり面食らったと思う。
音楽を聴く前に、まず目が止まる。
そして演奏が始まったら、もっと困る。
どの棚へ入れればいいのか分からない。
それが、この頃のSplit Enzだった。
Roxy Musicの横で演奏する
Australiaでの出来事の中に、後のSplit Enzを大きく動かす出会いがある。
Roxy Music。
Split Enzは彼らのAustralia公演でSupportを務めることになる。
そしてStageの袖からSplit Enzを見ていた人がいた。
Roxy MusicのGuitarist、Phil Manzanera。
Manzanera本人が後年振り返った話によれば、Sydneyに着いてHotelのテレビをつけると、Split Enzが音楽番組『GTK』で演奏していた。
そこでまず興味を持ち、その後Hordern Pavilionで同じStageに立つことになる。
袖から実際の演奏を見る。
衣装だけではない。
曲がある。演奏も出来る。
しかも、どこにも似ていない。
Manzaneraは彼らに、「何か出来ることがあったら言ってくれ」という趣旨の言葉を残した。
こういう一言は、その場では社交辞令にも聞こえる。
でもSplit Enzは、本当にその言葉を持ってEnglandまで行くことになる。

Phil Manzaneraは、彼らに何を見たんだろう
私はこの話が好きだ。
Roxy MusicほどのBandにいる人が、まだ世界的にはほとんど知られていないNew ZealandのBandをStageの袖から見ている。
何を聴いたんだろう。
Phil Juddの妙なコードか。
Tim Finnの声か。
Eddie Raynerの鍵盤か。
Noel Crombieまで含めた、あの説明しづらい全体なのか。
たぶん全部だったのだと思う。
Manzaneraは後に、Split EnzのArrangementがすでに非常によく出来ていたことに驚いたと振り返っている。
つまり、彼が一から作り直したわけではない。
すでにSplit Enzだった。
少し変で、少し不格好で、でも中身はかなり作り込まれている。
そのBandをEnglandへ持っていくために、ManzaneraがEngland側の扉の一つを開けた。
1976年春、Englandへ
1976年の春。
Split EnzはNew Zealandを離れ、Englandへ向かった。
ずっと憧れていた場所。
ただ、着いた瞬間から仕事が次々決まったわけではない。
Mike Chunnは後年、Englandへ行くことを強く望んでいた一方で、到着した時点ではPhil ManzaneraがProducerを務めてくれるという話以外、ほとんど何も決まっていなかったと振り返っている。
それでも行った。
待っていればNew ZealandやAustraliaからLondonが近づいてくるわけではない。
自分たちから行くしかない。
若いBandというのは、ときどき恐ろしいことをする。
今の私は航空券を取るだけでも、日程とHotelと翌日の体力を考える。
昔の疲れは一晩で帰ったが、今は二日くらい居座る。
彼らはBandごと海を渡った。
まだ、その先があるかどうかも分からないのに。
Basing Street Studios
EnglandでSplit Enzが入ったのが、LondonのBasing Street Studiosだった。
ProducerはPhil Manzanera。
ここで彼らは、第5章で触れたもう一枚の『Mental Notes』――Australasiaでは『Second Thoughts』として発売されるAlbum――を作る。
最初の『Mental Notes』をそのまま持っていくのではなく、いくつかの曲をもう一度録音した。
「Walking Down A Road」
「Titus」
「Stranger Than Fiction」
「Time For A Change」
そこへ、それ以前からあった「Lovey Dovey」や「129」を「Matinee Idyll」として収録し、「The Woman Who Loves You」「Late Last Night」、そして「Sweet Dreams」などが加わる。
同じ曲なのに、少し違う。
演奏が整理されている。
音の置き場所が見えやすくなっている。
最初の『Mental Notes』には、まだ乾いていない絵の具みたいなところがあった。
『Second Thoughts』では、その色を消さずに輪郭だけ少し見えるようにした感じがする。
Phil ManzaneraがSplit Enzを普通のBandにしてしまわなかったことは、とても大きかったと思う。
変なところは、ちゃんと変なまま残っている。
Wally Wilkinsonがいなくなる
この二枚のAlbumの間には、メンバーの変化もある。
1975年の『Mental Notes』でLead Guitarを弾いていたWally Wilkinsonは、次の『Second Thoughts』にはいない。
代わってRobert Gilliesが戻り、SaxophoneやBrassの音が入ってくる。
Split Enzはこの先も、人が入るたびに音の形を少し変えていく。
普通なら「メンバーが抜けた」というのはBandにとって欠損になる。
Split Enzの場合、不思議なことに、その空いた場所へ別の色が入ってくる。
同じ形を守るのではなく、少し形を変えて続いていく。
この性質は、この先ますます強くなる。
「Sweet Dreams」
『Second Thoughts』(UK版では『Mental Notes』)の中で、私はどうしても「Sweet Dreams」に耳が止まる。
Phil Juddが書いた曲だ。
第5章でも少し触れたけれど、私にはこの曲が、Split EnzにおけるPhil Juddの一つの集大成のように聴こえる。
初期のPhilにあった、妙なコード。
少し不安になる音の動き。
綺麗なのに、どこか落ち着かない。
でも「Sweet Dreams」では、それが以前よりずっと整理されている。
変なのに、歌になっている。
複雑なのに、耳に残る。
若い頃の「こんなことも出来る」という面白さから、「ここにはこれだけ置けばいい」という音へ少し近づいている。
ここで変なコードを置く。
ここではTimの声をハーモニーとして重ねる。
ここではEddieの鍵盤に任せる。
全部を一度に鳴らさない。
この頃のPhilは、自分の頭の中にあるものをBandへ渡す方法を、かなり知っていたのではないかと思う。
もちろん、それは私が音を聴いて感じることでしかない。
でも若い頃には「変な曲だな」で終わっていたものが、歳を取ると、その変さを成立させるためにどれだけ音を置かなかったのかまで気になってくる。
ギターも同じだ。
弾けるようになることより、弾かなくていい場所が分かるまでの方が、ずっと時間がかかる。
Phil JuddとTim Finn
PhilとTimは、似ていないから一緒に書けたのだと思う。
Philが少し変な場所へ行く。
Timはそこから歌を見つける。
TimがMelodyを前へ出す。
Philは少し横から眺める。
第2章で書いた二人の関係が、ここまで来ると一つの形になっている。
「Sweet Dreams」を聴いていると、Split Enzの奇妙さとPop Songの入口が、かなり近い場所まで来ているのが分かる。
この先、その入口をもっと大きく開ける人が現れる。
Neil Finn。
でも、まだ少し先だ。
この時はまだ、TimとPhilの時代が続いている。
やっとEnglandへ来たのに
Englandへ来れば、すべて始まる。
Split Enzのメンバーが本当にそう思っていたかどうかは分からない。
でもMike Chunnの後年の言葉を読むと、彼らがEnglandへ行くことをかなり強く望んでいたことは分かる。
ようやく辿り着いたLondon。
Phil Manzanera。
Chrysalis Records。
Studio。
Record。
条件だけ並べれば、夢が叶っていく途中に見える。
ところが、着いた年が1976年だった。
Mikeは後年、1976年にEnglandへ行ったのはあまり良いタイミングではなかったかもしれない、と振り返っている。
Sex Pistols。
The Clash。
The Damned。
Punk(パンク・ロック)が、すぐそこまで来ていた。
世界の方が、先に変わった
これは少し残酷な話だ。
Split Enzは何年もかけて、自分たちの音を作ってきた。
複雑な曲。Mellotron。Piano。妙なコード。
芝居がかったStage。
Noelの衣装。
Phil Juddの世界。
ようやくそれが形になった。
そして、その音楽が生まれてきたEnglandへ到着する。
ところがLondonでは、音楽の空気そのものが変わり始めていた。
Punk(パンク・ロック)と呼ばれるジャンルの新しいBandが現れ、
演奏の上手さや複雑さとは別のところに価値を置く音が
急速に目立ち始めていた。
Split Enzが何年もかけて自分たちの世界を作っている間に、
世界の方が次の扉を開けてしまった。
音楽をやっていると、こういうことがある。
やっと上手くなった頃に、その弾き方が古くなる。
やっと機材を買った頃に、みんな別の音を出している。
昔は必死にRackを組んだ。※
※ Rack(ラック):プリアンプ、エフェクター、ディレイ、リバーブ、パワーアンプなどの機材をラックケースに何段も組み込み、自分専用の音作りのシステムを作ること。80〜90年代のギタリストにはお馴染みで、機材が増えるほど当然重くなる。持ち運びまで含めて、なかなかの修行だった。
今なら、そのかなりの部分がパソコンの中に入っている。
ちょっと腹立たしい。
でも、そういうものだ。
時代はこちらの準備を待ってくれない。
それでも、Split EnzはSplit Enzだった
ここで彼らが全部を捨てて、Punkの真似を始めたわけではない。
それがいい。
Noelの衣装もある。化粧もある。
Eddieの鍵盤もある。
Philの妙な曲もある。
Timの歌もある。
自分たちが何者なのか分からなくなって、急に他人になることはなかった。
ただ、少しずつ変化は始まる。
「変な格好をしたBand」。
それで覚えてもらえる。
でも、ずっとそれを求められる。
本人たちは、もっと音楽を聴いてほしくなる。
Tim自身、
若い頃はStageへの恐怖を衣装や“look”の後ろに隠していた、
と後年話している。
最初は武器だったものが、いつの間にか檻になる。
これは音楽に限らず、長く何かを続けていると少し分かる気がする。
Drumの椅子が、一つ空いた
Englandへ渡ったSplit Enzの中で、最初に大きく動いたのはDrumだった。
Emlyn Crowther。
『Mental Notes』と『Second Thoughts』で、
初期Split Enzの少し複雑で落ち着かないリズムを支えてきた人だ。
ただ、1976年になると、
Bandの中ではEmlynとの今後について話が出るようになっていた。
Mike Chunnが後年語ったところでは、
その判断は突然決まったものではなく、
三か月ほど前から話題になっていたという。
Split Enzの音も変わり始めていた。
もっとシンプルなところで、Bandの音に合うDrummerを探したい。
一方のEmlynにも、
思うようにLiveが出来ない状況への苛立ちがあったようだ。
そして1976年10月、EmlynはSplit Enzを離れることになる。
新しいDrummerを探すため、
Bandは『Melody Maker』に募集広告を出した。
Mikeの記憶では、電話は40〜50件ほど。
その中から十数人をAuditionした。
でも、なかなか決まらない。
そして最後にやって来た男がいた。
Malcolm Green。
古びた車でやって来た。
Mikeの回想を読んでいると、その登場にはあまりStarらしいところがない。
派手な経歴をぶら下げて現れたわけでもない。
ただ、Drumを叩かせてみると良かった。
それで決まった。
こういう話を読むと、Bandというものは面白いと思う。
何十人も探して、履歴を見て、Auditionをして。
最後は結局、
「この人となら音を出せる」
というところへ戻ってくる。
1976年10月、MalcolmはSplit Enzに加わった。
Jack The LadとのUK Tourが続いていた時期だった。
新しいDrummerと、ほとんど時間もないまま次のStageへ向かう。
なかなか無茶である。
でもSplit Enzは、この先も何度か、こうやって人が入れ替わるたびに音を変えていく。
Emlyn Crowtherから、Malcolm Greenへ。
Drumの椅子に座る人が変わった。
そしてBandのリズムの重心も、少しずつ変わり始める。

UK Tour
1976年秋。
Split Enzは本格的にBritainを回り始める。
9月から10月にはJack The LadのSupportとして26公演。
そのTourの途中で、
Drumの椅子はEmlyn CrowtherからMalcolm Greenへ変わった。
11月から12月には、今度は自分たちがHeadlinerとなる15公演のUK Tour。
その後はHollandへ向かった。
文字で書くと、ずいぶん順調に見える。
Londonへ行く。Albumを作る。Tourをする。Europeへ行く。
夢に近づいているように見える。
でも、その移動の中で人間の方は少しずつ削られていく。
当時のMike Chunnのインタビューには、BritainでのTour以降、
Split Enzがほとんど休みなく移動と演奏を続けたことが語られている。
Stageの上では同じ曲を演奏していても、
その曲を演奏している人間は昨日と同じではない。
疲れる。
考える。
合わなくなる。
別のことをしたくなる。
そして、身体や心が「もう無理だ」と言うこともある。
年表には、そこまでは書いてくれない。
Phil Juddにとってのステージ
このTour生活は、Phil Juddにとって少しずつ重くなっていく。
曲を書くこと。
スタジオで音を作ること。
そして毎晩、人前でSplit EnzのPhil Juddとしてステージに立つこと。
それらは同じ音楽の中にあっても、Philにとって同じものではなかった。
後年Tim Finnは、
Philがライブやツアーに強い負担を感じていたことを振り返っている。
この問題は、やがてPhilをもう一度Split Enzの外へ向かわせることになる。
ただ、その話はまだ少し先だ。
Mike Chunnにも誰にも見えない問題があった
そしてMike Chunnにも、この頃すでに外からは見えない問題が起きていた。
第1章からずっと、この物語の中にいる人だ。
Bandを現実の場所へ運んできた人でもある。
Londonまで来た。
Europeを回った。
次にはAmericaも見えてくる。
少年の頃に想像していた世界へ、確実に近づいている。
それなのに、その世界を移動し続けること自体が、
Mikeには少しずつ難しくなっていた。
後に彼自身が語るAgoraphobia――広場恐怖症。
ここではまだ詳しく書かない。
MikeがなぜSplit Enzを離れることになるのか。
それは、第1章から彼を追ってきたこの連載では、一行の「脱退」で済ませたくない。
その時が来たら、ちゃんと戻ってきたい。
1976年の終わり、同じ場所には戻れなくなっていた
1976年の終わり。
Split Enzは、確実に前へ進んでいた。
Englandへ来た。
Recordを作った。
UKを回った。
Europeへも出た。
New Zealandにいた頃から考えれば、ずいぶん遠くまで来た。
Malcolm Greenという新しいDrummerも加わった。
Bandは止まっていない。
むしろ、外から見れば前へ進んでいる。
でもその一方で、1975年に『Mental Notes』を作った頃のSplit Enzは、もう同じ形ではなくなっていた。
Wally Wilkinsonがいなくなった。
Emlyn Crowtherも離れた。
そして、変わり始めていたのはメンバー表だけではない。
毎晩Stageに立つことが、少しずつ重くなっている人がいる。
世界中を移動し続けることが、少しずつ難しくなっている人もいる。
夢に近づいているはずなのに、その夢の中にいることが苦しくなる。
若い頃には、そんなことがあるとはあまり考えなかった。
好きなことを仕事に出来れば幸せだと思っていたし、行きたかった場所へ行ければ、その先も自然に続いていくものだと思っていた。
でも、続けるというのは案外それだけではない。
1976年のSplit Enzは、Englandまで辿り着いた。
ただ、そこまで一緒に来た全員が、この先も同じ場所へ行けるわけではなかった。
次に動くのは、Drumの椅子ではない。
もっと、このBandの真ん中に近いところだった。
