🎵 SPLIT ENZ史 第5章

『Mental Notes』 ようやくレコードの中に現れたSplit Enz

アルバムには、ときどき不思議な一枚がある。

一曲一曲を聴けば、まだ荒い。
後の作品ほど洗練されてもいない。
音だって、今聴けば時代を感じる。

それなのに、
「この人たちは、ここで初めて自分たちになったんだな」
と思える一枚。

Split Enzにとっての『Mental Notes』は、私にはそんなアルバムに聞こえる。

Tim Finnがいる。
Phil Juddがいる。
Mike Chunnがいる。
Eddie Raynerがいる。
Noel Crombieがいる。
Emlyn Crowtherがいる。
Wally Wilkinsonがいる。

第1章から少しずつ集まってきた人たちが、ようやく一枚のレコードの中に同時に存在する。

Sacred Heart Collegeで出会ったTimとMike。
AucklandでTimと出会ったPhil。
鍵盤の前に座ったEddie。
スプーンと衣装を持って現れたNoel。

何度も形を変えてきたバンドが、1975年、
『Mental Notes』という一枚を作った。

ここから先はもう、
「ちょっと変わったNew Zealandの若者たち」
では済まなくなる。

Split Enz, Auckland Town Hall, 1975

1975年、ようやくアルバムを作る

Split Enzは1975年5月から6月にかけて、SydneyのFestival Studiosでファーストアルバム『Mental Notes』を録音した。

ProducerはDave Russell。

AustraliaではMushroom Records、New ZealandではWhite Cloud RecordsからPyeを通じて発売される。

発売時期については資料によって少し幅があるが、1975年7月末から8月にかけて、AustraliaとNew Zealandで世に出たと考えていい。

バンド結成から考えれば、ここまで意外と長い。

1972年にSplit Endsが生まれている。
「For You」も録音した。
『New Faces』にも出た。
Philが一度いなくなった。
Eddieが入った。
Noelが加わった。
名前もSplit EndsからSplit Enzになった。

それでも、まだアルバムはなかった。

今なら自宅でも、アルバム一枚分くらい録れてしまう。

パソコンを立ち上げて、
インターフェースにつないで、
夜中にギターを録る。

便利になった。

便利になりすぎて、私はたまにファイル名だけ増えて曲が完成しない。

昔より機材は良くなったのに、完成する速度まで速くなるわけではないらしい。

1975年の彼らには、そんな環境はない。

スタジオへ入る。
限られた時間で録る。

そして、自分たちが数年間ステージで作ってきたものを、レコードの溝の中へ押し込む。

それが『Mental Notes』だった。

MENTAL NOTES 1975

やっと入ったスタジオも、楽園ではなかった

ただ、待ちに待ったファーストアルバムの録音が、ずっと幸せな時間だったわけでもない。

Mike Chunnは後年、『Mental Notes』のセッションについてかなり率直に話している。

Mike自身は、スタジオという閉じた場所を気に入っていたという。

外の世界から少し切り離されて、その中だけで自分たちの音を作る。

当時すでに彼は、自分の中に起き始めていた恐怖や不安とも付き合っていた。
それでもスタジオの中は、ある意味では居心地のいい場所だったらしい。

一方でTimは、かなり緊張していた。

Split Enzを始めてから約三年。
ようやくアルバムを作れる。

その時間を待ち続けたぶん、
「この一枚をちゃんと作らなければ」
という思いも大きかったのだと思う。

ProducerのDave Russellとは意思の疎通ができたとMikeは振り返っている。

ただ、Sydneyのengineerとはうまくいかなかった。

Mikeによれば、そのengineerは彼らの音楽にあまり好意的ではなく、Split Enz側も録音された音の一部には満足していなかった。

やっとアルバムを作れる。

でも、
やっと作れるからこそ、うまくいかないことが気になる。

これは少し分かる。

待っていた仕事ほど、始まった途端に楽しくなるとは限らない。

むしろ、
「ここまで来たんだから失敗できない」
という気持ちの方が大きくなることがある。

最初のアルバムには、そういう張りつめた空気も少し残っている気がする。


Phil Juddの頭の中

『Mental Notes』を聴いていると、どうしてもPhil Juddという人の存在が大きく聞こえる。

少し暗い。
少し不安。
ときどき妙に可笑しい。

美しいところへ行きそうになったと思ったら、急に足元の床が傾く。

普通なら気持ちよく解決するところで、変な場所へコードが動く。

歌詞にも、どこか閉じた部屋のような感じがある。

私は若い頃、こういうものを単純に「変わった音楽」として聴いていた。

今は少し違う。

Philの曲には、外へ向かって大声で何かを訴えるというより、頭の中で考え続けてしまった人の音がある。

考えすぎて、出口が分からなくなる。

でも、その途中で妙に美しいものを拾ってしまう。

そんな感じがする。

「Walking Down A Road」。
「Under The Wheel」。
「Stranger Than Fiction」。
「Titus」。
そして「Mental Notes」。

曲名を並べただけでも、明るい午後のドライブにはあまり向いていない。

それでも、耳を離せない。

この人たちは、ここで初めて自分たちになったんだな
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「Stranger Than Fiction」

この曲には、初期Split Enzのいろいろなものが入っている。

Philの少しねじれた感覚。
Timの声。
Eddieの鍵盤。
バンド全体の芝居がかった動き。

曲が真っ直ぐ歩かない。

少し進んでは横を見る。
また歩いて、急に立ち止まる。

ギターを弾く側からすると、こういう曲は案外難しい。

難しいコードが出てくるから、というだけではない。

どこへ重心を置けばいいのか、普通のロックより少し分かりにくい。

前へ押せばいいわけでもない。
後ろへ引けばいいわけでもない。

曲そのものが、少しふらついている。

でも、そのふらつきを真っ直ぐに直してしまったら、たぶんSplit Enzではなくなる。

若い頃は、演奏というものは揃っているほどいいと思っていた。

今は、揃えない方がいい場所も少し分かる。

人間関係と似ている。

全部合わせようとすると、かえって息苦しくなることがある。


Eddieの鍵盤が、部屋を作る

『Mental Notes』を聴いていると、第3章で書いたEddie Raynerの意味がかなりはっきりしてくる。

Philが変なコードを持ってくる。
Timがそこへメロディーを置く。
その後ろで、Eddieが空気を作る。

私はEddieの鍵盤を、壁紙みたいなものだと思うことがある。

目立つ柄ではないところでも、それが違えば部屋全体の感じが変わる。

一音だけ。
短いフレーズだけ。
コードの隙間に入る音だけ。

それなのに、景色が少し冷たくなる。

あるいは、急に奥行きが出る。

Split Enzの曲には、「弾いている音」だけではなく、その音と音の間に妙な空気がある。

そこにEddieがいる。

Philの曲だけなら、もっと尖っていたかもしれない。

Timのメロディーだけなら、もっと親しみやすかったかもしれない。

Eddieがその間へ入ることで、どちらでもない場所が出来る。

私はその場所が好きだ。


Tim Finnの声

そして忘れてはいけないのが、Timの声だ。

Split Enzの初期作品はPhil Juddの世界が濃い。

でも、それを人の耳まで運んでいる大きな力のひとつは、Tim Finnの声だったと思う。

Philの曲は、ときどき聴く側を置いていきそうになる。

Timの声が、そこへ一本の道を作る。

少し芝居がかっている。
でも、ちゃんと歌になっている。

変なのに、メロディーが残る。

第2章で書いた、Philが持ってきたものをTimが歌へ変えていくような二人の関係が、ここではバンド全体の音になっている。

Timが前に立ち、Eddieが鍵盤へ移ったことも大きい。

Tim Finnというフロントマンが、少しずつ出来上がってきている。

Tim Finn

音の外側にも、Phil Juddがいる

『Mental Notes』は、音だけ聴いても妙なアルバムだ。

でもジャケットを見ると、さらに妙である。

あの絵を描いたのは、
Phil Juddだった。

Philは曲を書き、ギターを弾き、歌うだけではなく、このアルバムの外側にある景色まで描いていた。

前章では、Noel CrombieがSplit Enzの「見える音楽」を形にしていったことを書いた。

でも、Split Enzの視覚世界はNoel一人から出てきたものではない。

Philも絵を描く。
Noelは服を作る。
Timもステージでの見せ方を考える。

音楽と美術と芝居が、最初から妙に近い場所にあった。

だから彼らの奇抜さは、後からレコード会社が付けた宣伝用の衣装ではない。

変なコードを鳴らす。
変な服を着る。
変な絵を描く。

彼らの中では、案外それほど離れていなかったのだと思う。

『Mental Notes』のジャケットを見ると、そのことがよく分かる。

音を聴く前から、
もう少し居心地が悪い。

そして針を落とすと、
中身もちゃんと少し居心地が悪い。

そこまで含めて、
よく出来たジャケットだと思う。


New Zealandでは支持され、Australiaでは戸惑われた

1975年のSplit Enzが、当時どんなふうに見えていたのか。

そこは今の感覚だけで考えない方がいい。

今なら奇抜な衣装のバンドはいくらでもいる。

YouTubeを開けば、世界中の変な音楽が数秒で出てくる。

1975年は違う。

New Zealandは地理的にも、世界の巨大な音楽市場から遠かった。

そこで化粧をして、妙な衣装を着て、プログレッシブ・ロックとも、フォークとも、ポップとも言い切れない音楽をやっている。

しかも曲まで普通ではない。

ただし、New Zealandではすでに彼らを待っている人たちがいた。

『Mental Notes』はNew Zealandのアルバムチャートで、
8位まで上がった。

少なくとも国内では、Split Enzはもう無視できない存在になっていた。

一方、Australiaへ渡った直後の反応は少し違った。

Tim自身が1975年のAustralian TV番組『GTK』で、最初の観客の反応を、
「ぽかんとした理解不能と、少しの反感が混じったようなもの」
と振り返っている。

まあ、そうなるだろうなとも思う。

見たことのない服を着ている。
曲も妙に複雑。
動きも変。
何を見せられているのか、最初はよく分からない。

でもSplit Enzは、その「よく分からない」を消そうとはしなかった。

そこが面白い。

Phil Judd

Australiaまでは来た。でも、そこで終わらない

ここで、第1章のMike Chunnを思い出す。

Sacred Heart Collegeの寄宿学校で、Timや弟のGeoffと音楽をやっていた少年。

ステージに立ちたい。
レコードを作りたい。

その夢は、もうかなり現実になっている。

客が来る。
名前も知られるようになった。
そして、ついにアルバムも出来た。

しかも、そのアルバムを録音するために、彼らはもうTasman海を渡ってSydneyまで来ている。

普通なら、一度くらい安心してもいい。

でも、この人たちはそこで止まらない。

Australiaのその先。

視線は、さらに遠くへ向いていく。

England。

考えてみれば、Split Enzという名前そのものが少し面白い。

名前の中には、ずっとNZがある。

遠くへ行っても、
名前だけはNew Zealandを連れていく。

故郷を捨てたいわけではない。

むしろ遠くへ行く人ほど、自分がどこから来たのかを妙に意識することがある。

私には、少し分かる気がする。

Mike Chun

『Mental Notes』という名前を持つレコードは、もう一つある

ここで少し、ややこしい話をしておきたい。

Split Enzを後から追いかけ始めた人が、一度は「ん?」となる話だ。

『Mental Notes』というタイトルを持つレコードは、実は二種類ある。

一つは、1975年にAustraliaとNew Zealandで発売された、この章でずっと書いてきたデビューアルバム。

これが最初の『Mental Notes』。

ところが翌1976年、Split EnzはEnglandへ渡る。

LondonのBasing Street Studiosで、Roxy MusicのPhil ManzaneraをProducerに迎えてレコーディングを行った。

そこで作られたセカンドアルバムが、
『Second Thoughts』。

Australasiaでは『Second Thoughts』として発売された。

ところがAustralasia以外では、このアルバムにもう一度、
『Mental Notes』
というタイトルが付けられた。

……ややこしい。

私もSplit Enzを追い始めた頃、ジャケットや曲目を見ながら、

「Mental Notes、二枚あるじゃないか」

となった。

しかも、1976年版は1975年版をそのまま海外発売したものではない。

ここが大事だ。

1975年盤から、

「Walking Down A Road」
「Titus」
「Stranger Than Fiction」
「Time For A Change」

の4曲を録り直している。

そこへ、それ以前から演奏していた
「Lovey Dovey」や「129」を「Matinee Idyll」として収録し、

さらに、

「Late Last Night」
「Sweet Dreams」
「The Woman Who Loves You」

などが入る。

同じ曲がある。

でも、同じアルバムではない。

曲順も違う。
収録曲も違う。
録音された場所も違う。
Producerも違う。

そしてメンバーにも変化がある。

1975年の『Mental Notes』にいたWally Wilkinsonはすでに離れ、1976年の録音ではRob Gilliesが戻っている。

だから、
同じ『Mental Notes』という名前なのに、聴こえてくるSplit Enzも少し違う。

中古レコード屋で何も知らずに二枚見つけたら、かなり面倒である。

「こっちは何だ?」

となる。

しかも、どちらも間違いではない。

Split Enzというバンドは、
歴史まで少し変なのである。

MENTAL NOTES [UK Chrysalis Ver]

最初のアルバムの曲を、もう一度録る

私は、この二つの『Mental Notes』が、単なるタイトルのややこしさだけで終わらないところが面白いと思っている。

Split Enzは、最初のアルバムを作った翌年、その中の4曲をもう一度録音することになる。

同じ曲。

でも、場所が違う。
制作環境が違う。
メンバーの一部も違う。

そして、control roomにいる人も違う。

Phil Manzanera。

Roxy Musicのギタリストであり、Split Enzとは別の場所から彼らの音を見ることのできる人だった。

SydneyでDave Russellと作った最初の『Mental Notes』。

そこからさらに海を渡り、LondonでPhil Manzaneraという外からの耳を入れて、もう一度自分たちの曲を見ることになる。

Mike Chunnは後年、Sydneyでの録音ではengineerとの関係に不満があった一方、ManzaneraとengineerのRhett Daviesについては、とても好意的に振り返っている。

押しつけるのではなく、
自分たちがやろうとしていることを理解してくれた。

その違いは、バンドにとって大きかったのだと思う。

一年しか経っていない。

でも、バンドにとっての一年は長い。

ステージをやる。
移動する。
失敗する。
客の反応を見る。
人も入れ替わる。

昨日まで気に入っていた演奏が、急に古く聞こえることもある。

ギターを録っていてもそうだ。

一年前の自分の演奏を聴いて、
「これでよくOK出したな」
と思うことがある。

逆もある。

昔の方が、余計なことを考えずに弾いていて良かったりする。

音楽というのは、新しくすれば必ず良くなるものでもない。

だから私は、1975年版と1976年版のどちらが「本物のMental Notes」なのか、そんなふうには考えたくない。

どちらにも、
その時のSplit Enzがいる。


そして、「Sweet Dreams」が出てくる

そして、このもう一つの『Mental Notes』、つまり『Second Thoughts』の中に、私にとって非常に大切な曲がある。

「Sweet Dreams」。

この連載では、まだこの曲を詳しく書かない。

ここで全部書いてしまうのは、少しもったいない。

ただ、私がSplit Enzの中のPhil Juddという人を考えるとき、どうしてもこの曲へ戻ってくる。

1975年の『Mental Notes』には、すでにPhilの世界が濃くある。

妙なコード。
不安。
芝居。
ユーモア。
閉じた感じ。
Eddieの鍵盤。
そして、Timの声が重なる瞬間。

でも、それらがもう少し先へ進んだ場所に、私には「Sweet Dreams」が聞こえる。

だから、
『Mental Notes』をPhil Juddの集大成とは、まだ呼びたくない。

彼のSplit Enzでの物語には、もう少し先がある。

そして、少し皮肉なことに、その先へ連れていく人の名前もPhilだった。

Phil Judd。

そして、
Phil Manzanera。

二人のPhil。

その話は、Englandまで行ってから、ゆっくり書きたい。

Phil Judd & Phil Manzanera

でも、Phil Juddはまだ終わっていない

『Mental Notes』を聴くと、Phil Juddという人の才能が一気に開いたように感じる。

だから、ここをPhilの完成形と呼びたくなる。

でも私は、そうは思っていない。

少なくとも、私が長いあいだSplit Enzを聴いてきた耳では、まだ先がある。

Phil JuddがSplit Enzの中で残したものを、一曲に凝縮して聴くなら、私にはやはり「Sweet Dreams」がある。

あの曲まで行ってから、もう一度Philの話をしたい。

Philの妙なコード。
言葉。
Eddieの鍵盤。
Philの声の後ろに重なるTimの声。

少し怖いのに、
どこか可笑しい。

そして「Sweet Dreams」という言葉を使いながら、それほど安らかな場所には聞こえない。

私には、あそこにSplit Enz時代のPhil Juddがかなり濃く残っている。

だから、まだここでは終わらせない。


『Mental Notes』は完成ではなかった

1975年。

Split Enzは、ようやく一枚のアルバムを作った。

でも、完成したわけではない。

むしろ、自分たちが何者なのかを初めてレコードに刻んだだけだったのかもしれない。

Phil Judd。
Tim Finn。
Mike Chunn。
Eddie Rayner。
Noel Crombie。
Emlyn Crowther。
Wally Wilkinson。

一人ひとりを見ると、ずいぶん違う。

音楽の好みも違う。
性格も違う。
得意なことも違う。

でも、1975年の短い時間だけ、それぞれの変なところが同じ場所へ集まった。

その記録が、
最初の『Mental Notes』だった。

私はこのアルバムを聴くと、完成されたバンドというより、まだ乾いていない絵の具を触っているような感じがする。

ところどころ混ざっている。
ところどころ濁っている。
まだ形も揺れている。

でも、その色はもう、ほかのバンドにはない。

そして彼らは、その乾いていない絵を持って、さらに遠くへ行こうとする。

Australiaまでは来た。

次に待っているのは、
England。

そこで、一度作った曲のいくつかをもう一度録音することになる。

そして、
『Mental Notes』という名前さえ、もう一度現れる。

同じ名前。
違う中身。

同じ曲もある。
でも、少し違うSplit Enz。

名前の中には、
相変わらず小さくNZが残っている。

次の章から、
Split Enzはさらに故郷から遠くなる。

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