Eddie Raynerが鍵盤の前に座った
Split Endsが、Split Enzになるまで
バンドには、ときどき「この人が入った瞬間から、前には戻れなくなった」という人がいる。
Split Enzにとって、Eddie Raynerはその一人だったと思う。
Phil JuddとTim Finnが曲を作った。
Mike Chunnがそこにいた。
少しずつ仲間が集まり、Split Endsというバンドになった。
でも、私たちが後になって「Split Enzの音」として覚える、あの少し妙で、知的で、ときどき不安になるほど美しい音は、まだ完成していない。
そこへ鍵盤の前に座ったのが、
Eddie Raynerだった。

Philが、いなくなった
前章の最後で、Split Endsはテレビ番組『New Faces』の決勝まで進んだ。
普通なら、ここから勢いに乗っていくところだ。
ところが、このバンドは早くもそうならない。
1973年12月。
Barry Coburnとマネージメント契約を結んだ、その頃。
Phil Juddがバンドを離れる。
当時の『Rip It Up』に残された年表でも、1973年12月の出来事として、Coburnとの契約とPhilの離脱が並んで記録されている。
第2章で書いたように、Philにとって「曲を書くこと」と「それを人前で演奏し続けること」は、どうも同じものではなかった。
この先もPhilは戻ってくる。
そして、また離れる。
だから、この1973年の離脱を「Timとの決裂」みたいな分かりやすい話にはしたくない。
Split Enzの歴史を調べていると、Philという人はそんなに簡単ではない。
人間関係。
ステージへの苦手意識。
ツアーという生活。
創作することと、それを仕事として繰り返すこと。
いろいろなものが絡んでいる。
ただ、この時点で一つだけ確かなのは、
Split Endsは、Phil Juddのいないバンドになった。
結成から、まだ一年ほどしか経っていない。
早い。
このバンド、本当に最初から落ち着かない。

Timを、鍵盤の後ろから出したい
1974年1月、Rob Gilliesが加入する。
そして翌2月。
Eddie Raynerが加入する。
ただしEddieは、突然どこからか現れたわけではない。
Split Ends側は、以前から彼を知っていた。
ここで面白いのが、Eddie本人とMike Chunn、それぞれの記憶だ。
Mikeによれば、Timをキーボードから離し、フロントに立たせようという話になったとき、思い浮かんだのがEddieだった。
Mikeは以前、EddieがOrbでYesの「Roundabout」を演奏しているのを見て、
「こいつは上手い」
と思ったという。
これ、ギタリストとしてはよく分かる。
バンドに誰か必要になったとき、履歴書なんて思い出さない。
「あのとき、あそこで弾いていたあいつ」
が出てくる。
一度耳に残った演奏というのは、案外消えない。

ところがEddieは、最初は興味がなかった
ここが私は好きだ。
Eddieは後にSplit Enzの音を語るうえで欠かせない人になる。
それなのに、最初に誘われた頃は、
あまり入りたいと思っていなかった。
Eddie自身の回想によれば、Wally WilkinsonからSplit Endsがキーボード奏者を探していると聞いていた。
Timを鍵盤からフロントへ出したかったからだ。
ところが、その頃のSplit Endsはまだフォーク/アコースティック色の強いバンドだった。
Eddieには、それほど魅力的には聞こえなかったという。
そりゃそうかもしれない。
Eddieが好きだったのはYes、Genesis、Emerson, Lake & Palmerなど。
複雑な展開。
いろいろな音色。
少し大げさなくらい広がる音。
そういう音楽を耳で拾って、ピアノで探していた人だった。しかも本人によれば、楽譜をきちんと読んで覚えるというより、耳で聴いて自分で弾き方を探すタイプだった。
一方の初期Split Endsは、
アコースティックギター。
フルート。
ヴァイオリン。
タンバリン。
……まあ、Eddieがすぐ飛びつかなかったのも分からなくはない。
一年後、音が変わっていた
ところがWally Wilkinsonがエレクトリックギターで加わり、TimとPhilの曲も変化していった。
Eddieの耳に、Split Endsが違って聞こえ始める。
決定的だったのが、
『New Faces』だった。
テレビでSplit Endsを見たEddieは、TimとPhilの二人の声に惹かれた。
そして曲。
誰にも似ていなかった。
Eddie自身、その独特さを後年かなりはっきり語っている。
面白いのは、この時Eddie自身も別に困っていたわけではないことだ。
彼には自分のバンドがあり、オリジナル曲を演奏し、
すでに成功の兆しも見えていた。
それでもSplit Endsの方へ行った。
条件ではなく、
音に引っ張られた。
こういう選択は、若い頃にはある。
いや、歳を取っても、たまにある。
「そっちへ行ったら大変そうだな」
と頭では分かっている。
なのに音を聴いたら、
そっちへ行きたくなる。
音楽を長くやっていると、時々これで人生を面倒にする。
Eddieがピアノの前に座った日
Mike Chunnは、そのときのことも覚えている。
Eddieを呼んだ。
部屋にピアノがあった。
まずSplit Endsの曲を何曲か聴かせる。
そして、
「一曲、一緒にやってみないか」
ということになった。
Mikeの記憶では、その曲はおそらく「No Bother To Me」だった。
Eddieが弾く。
それを聴いたメンバーは、
「いいな」
と思った。
なんとも普通である。
運命的なオーディション。
伝説のセッション。
そんな大げさな話ではない。
部屋にピアノがあって、
座って、
一曲やった。
良かった。
だから入った。
でもバンドの歴史なんて、案外そんなものなのかもしれない。
後から見ると巨大な分岐点でも、その場にいる人間は、
「こいつ、合うな」
くらいだったりする。
Tim Finnが、前へ出る
Eddie加入の意味は、単にキーボード奏者が一人増えたことではなかった。
Tim Finnを鍵盤から解放した。
Mike Chunn自身、Eddieを入れようとした理由を、Timをキーボードから離してフロントへ出すためだったと説明している。
これが大きい。
後のTimを知っている私たちには、ステージの前に立って歌う姿が当たり前に見える。
でも、その場所を作った人がいる。
Eddieが鍵盤の前に座ったことで、
Timが前へ出られた。
そしてEddieは、空いた場所を埋めただけではない。
後のSplit Enzで彼はピアノだけでなく、Mellotron、シンセサイザー、オルガン、Clavinet、エレクトリックピアノなどを使い、バンドの音に奥行きを加えていく。
私はSplit Enzを聴くとき、Eddieの音をつい追ってしまう。
派手に聞こえるところだけではない。
歌の後ろ。
ギターと声の隙間。
コードが次へ行く直前。
「あれ、今なんか変だったな」
と思って戻すと、Eddieがいる。
若い頃は、そういう音を「難しい」と思っていた。
今は少し違う。
音の置き場所が妙に上手い。
全部弾かなくてもいい。
一音入るだけで景色が少し傾く。
そういう人だと思う。
そして、EndsからEnzへ
1974年。
もう一つ、大きな変化が起きる。
名前だ。
Split Ends
から、
Split Enz
へ。
1974年初頭。
Eddie Raynerが加入した頃、バンドはもう一つの変化を迎えていた。
最初のBuck-A-Head公演を迎えるまでに、バンド名はSplit EndsからSplit Enzへ変わっていた。
たった一文字。
いや、正確には綴りの最後を変えただけだ。
でも、
ENZ。
そこには彼らの出身地、
New Zealand――NZ
が見える。
このバンドは、この先New Zealandを出る。
Australiaへ行く。
Englandへ行く。
Americaへも行く。
世界のいろいろな場所で、理解されたり、理解されなかったりする。
それでも名前の中には、
NZ
が残る。
私はこのネーミングが好きだ。
まだ世界的に成功したわけでもない。
むしろ、これから苦労する。
そんな若いバンドが、自分たちの名前の中に小さく故郷を残している。
Split Enz。
ここでようやく、
私たちが知っている名前になった。
一ドルで、Split Enzを見る
そして1974年5月12日。
Barry CoburnとRadio Haurakiによる最初のBuck-A-Head Concertが開かれる。
入場料は1ドル。
だからBuck-A-Head。
このシリーズは、若いSplit Enzにとって大切な場所になっていく。Barry Coburn自身も後年、当初のBuck-A-HeadはSplit Enzを世に出すためのものだったと振り返っている。
そしてこの最初の公演で、
もう一人。
この連載で大々的に扱わなければならない男が姿を見せる。
Noel Crombie。
当時の『Rip It Up』の年表にも、最初のBuck-A-HeadでNoelがバンドと初めてステージに登場したことが記録されている。
ただし、
ここではまだ書かない。
Noelは「加入しました。担当はこれです」で済ませる人ではないからだ。
衣装。
髪。
舞台。
動き。
スプーン。
そして、あのSplit Enzにしか見えない世界。
音楽を聴く前から、
「なんだ、この人たちは」
と思わせる。
そのかなりの部分にNoel Crombieがいる。
だから彼には、次の章を使いたい。
まだ、Philがいない
少し不思議なのは、
Split Enzという名前が生まれたこの瞬間、Phil Juddはバンドを離れていた
ということだ。
PhilとTimが始めた音楽。
Philがいなくなり、
Eddieが入り、Noelも加わる。
そしてSplit EndsがSplit Enzになる。
普通のバンドなら、このまま次へ進むのかもしれない。
でもSplit Enzは普通ではない。
1974年6月、Phil Juddが戻ってくる。
また戻るのである。
本当に忙しい。
その頃にはGeoff ChunnとRob Gilliesが離れ、7月にはEmlyn Crowtherがドラムで加入する。Noel Crombieもやがて正式にバンドの一員となっていく。
メンバー表だけ眺めていると、出たり入ったりしていて少し頭が痛くなる。
でも、私はそこを省略したくない。
この落ち着かなさ自体が、初期Split Enzだったのだと思う。
完成してから人が集まったバンドではない。
人が入るたびに、完成形そのものが変わっていった。
Eddie Raynerが持ってきたもの
Phil Juddには、普通の場所には置かないコードがあった。
Tim Finnには、それを歌にして人の耳へ運ぶメロディーがあった。
Mike Chunnには、バンドを現実の場所へ立たせる力があった。
そしてEddie Raynerには、
その間を埋める音があった。
後年の『Mental Notes』を聴けば、もっとはっきりする。
Philの少し暗くねじれた曲。
Timの声。
その後ろで、Eddieの鍵盤が部屋そのものを作っている。
AudioCultureは『Mental Notes』について、Philの孤独感を帯びた世界を、Eddieの「一人オーケストラ」のような鍵盤とTimのメロディー感覚が膨らませた、と評している。
私はそこに、Split Enzの最初の大きな化学反応を見る。
Philだけでもない。
Timだけでもない。
Eddieだけでもない。
一人では少し変だったものが、
三人重なると、
Split Enzにしか聞こえなくなる。
バンドって、たぶんそこが面白い。
1974年。
Eddie Raynerが鍵盤の前に座った。
Tim Finnが、その前から立ち上がった。
そしてSplit Endsは、
Split Enzになった。
名前の最後には、
NZが見える。
Split Enz。
ようやく名前は出来た。
でも、見た目はまだ完成していない。
ステージの端には、すでに妙な男がいる。
スプーンまで持っている。
Noel Crombie。
次は、この人の話をしないと先へ進めない。

