🎸 おじさんギタリストシリーズ㉕ in 1999 Los Angeles 春〜夏

「スタジオの怪談と、通訳の現場でギターが鳴った日」
―― 若造がLAで“二つの顔”を同時に生きた季節 ――

■ 1999年晩春

1998年に渡米して、気づけば11ヶ月が過ぎていた。
実は、ロサンゼルスに来たときは、ただの短期滞在のつもりだった。
街の匂いとスタジオの空気をちょっと味わって、日本に帰るはずだったのに──気がつけば生きるために選んだ仕事、翻訳・通訳業務を扱う会社の社長に腕をつかまれていた。

「お前、英語と日本語の“呼吸”が分かってるよな。研修生で残らないか?」

その一言で流れが変わった。
観光ビザじゃ働けないけど、会社がJ-1の研修ビザを用意してくれることになり、
気づけば “一年更新で二年近くいられる” 長期滞在が現実になっていた。

ギターと辞書を抱えて、半分ミュージシャン、半分通訳。気づけば、この街に腰を据えていた。

思い返せば…
最初の数ヶ月は“生活の地獄”。
その次の数ヶ月は“音楽の地獄”。

そして1999年の春――
ようやく私は、街の空気をゆっくり吸えるようになっていた。

LAの空は乾き始め、
海風は生暖かく、
カーラジオからは Red Hot Chili Peppers が流れていた。

ギターラインの透明な湿度を聴くだけで、
胸の奥がズッと熱くなる。

「やっと、ここで音を鳴らす準備ができたかもしれない」

そんな実感が、生き物のように胸に宿っていた。

しかし――
このあと訪れる季節は、
想像以上に“奇妙”で“美しい?”ものになった。


◆ 「LAのギタリストが最も恐れる“スタジオの怪談”編」

そのスタジオの噂は、
私が知らない間に業界で有名になっていた。

“Midnight Echo Studio(ミッドナイト・エコースタジオ : 仮称)” 。
ハリウッドから少し外れた古い建物にある、
レンガ造りの大部屋が特徴の場所だ。

機材は古い。
空調も壊れがち。
値段も安い。

それでも“なぜかギタリストがひどく嫌がる”スタジオだった。

ある日、LAのベーシスト仲間が言った。

「You know that studio is haunted, right?(あそこ、出るんだよ)」

若造の私は笑い飛ばした。

しかし、彼は真顔だった。


● 深夜1時のレコーディング

仕事を終え、現地のとあるシンガーの前録りでそのスタジオに呼ばれ、深夜からの録音が始まった。

スタッフは2人。
エンジニアのマイク(50代)と、見習いの青年フレッド(20歳)。

部屋に入った瞬間、空気が妙に重い。
石膏の匂いと埃の混じった“古い映画館”みたいな匂いがした。

録音が始まり、私はアンプの前で弾き始めた。

ところが、
アンプの後ろから“微かなコーラスのような音”が聞こえる。

耳を澄ませても、やっぱり聞こえる。

「これ、ハムノイズか?」と思っていると、
エンジニアのマイクが不意に言った。

M「You hear that?(聞こえるだろ?)」

私「Yeah… what is that?(ああ…あれ何?」

M「Don’t worry. She likes guitar.
(心配すんな。彼女はギターが好きなんだ)」

“彼女”?
アンプの後ろに“誰”が?

私は笑えず、指も震えた。


● そして2テイク目

私がアルペジオを鳴らした瞬間、
マイクスタンドがスッ……と勝手に動いた。

見習いの青年フレッドが青ざめて言った。

F「Dude… she’s here again…(来たよ…また)」

エンジニアのマイクはコーヒーを飲みながらボソッと言った。

M「Just keep playing. She reacts to certain chords.
(弾き続けろ。特定のコードに反応するんだ)」

私は本気で帰りたかった。

3テイク目。
Gadd9を弾いた瞬間、
アンプの背後で“誰かの足音のような響き”がした。

マイクが笑いながら言った。

M「See? Told you.(言ったろ)」

こうして私のLA初の“怪談スタジオ体験”は半ば強制的に幕を開けた。

ただ、不思議なことがひとつあった。

その夜の録音が――
驚くほど、良かった。

彼女が弾かせたのか?
それとも、恐怖で集中が極限まで研ぎ澄まされたのか。

結果だけは、やたら良かった。


◆ 「通訳の仕事とギターが交差した日編」

1999年の夏前、私はいつも通り“通訳の仕事”をしていた。
日本から来るアーティスト、機材メーカー、CM撮影現場など、
仕事は小さいが、確かに生活を支えていた。

その日も、日本のあるシンガーのレコーディングで通訳を頼まれた。

通訳としての自分と、ギタリストとしての自分。
この二つは普段、交わらない。

だが――
その日は違った。


● 英語理解が追いつかないことも

プロデューサーがシンガーに言った。

「Can you sing it more like you’re breathing the story?
(物語を“息で語る”みたいに歌える?)」

私は“意訳”か“直訳”か迷った。
しかし時間はない。

私:「物語を抱きしめるみたいに、息を乗せて歌ってほしいそうです」

プロデューサーが笑顔で頷いた。

通訳としては正解か分からない。
でも伝わった。

その一瞬、私はどこかで
“言葉も音楽も、同じ生き物なんだな”
と感じていた。


● そして突然ギターが必要になる

シンガーが言った。

シ「伴奏、ちょっと変えたいんだけど…ピアノに合わせられる、ギター弾ける人いない?」

プロデューサーが私を見た。

P「He plays.(彼、弾けるよ)」

私「いやちょっと待っ……」

もう遅かった。


● 通訳 → ギタリストへスイッチ

私はマイクの前に座り、ギターを渡された。

通訳の緊張とは違う種類の震えが指を走る。

しかし、
シンガーの声に合わせてコードを置いた瞬間、
不思議と空気が“合った”。

プロデューサーが言った。

P「That’s it. Don’t move.
 (そのままいけ。何も変えるな。)」

録音は10分で終わった。
シンガーが笑いながら言った。

シ「あなた、今日は何役?笑」

私は答えた。

私「半分通訳、半分ギタリスト、半分ビビりです。苦笑」

彼女は爆笑した。

その瞬間、
“LAで生きる”ということが腹の底で少しだけ理解できた。


◆ 「1999年のLAの音に追いつきたかった若造」

1999年のLAには、
街そのものに“音のトレンド”が流れていた。

  • Red Hot Chili Peppers – Californication(空気系クリーントーン革命)

  • Santana – Supernatural(ギターと歌の“共鳴”が世界を席巻)

  • Incubus(浮遊感のある変則コード)

  • Limp Bizkit(攻撃的なリフが若者の主張そのもの)

  • Ricky Martin, Jennifer Lopez らのラテン・ムーブメント(都会の熱)

  • Foo Fighters, Sugar Ray, Citizen King…

カーラジオが鳴らす音楽に、
若造の私は毎日焦っていた。

「時代の音が、自分の手の中にない」

けれど焦りのなかに、
確かに“耳が開いていく感覚”があった。

移動中の渋滞で聴くジョン・フルシャンテのクリーン。
深夜の帰り道で聞くSantanaの泣きのサスティン。
ハリウッドの若者たちが叫ぶ Limp Bizkit。

全てが耳の膜を薄くしていった。

LAという街は、
“無意識に音を吸わせてくる”。


◆ “怪談の夜”も “通訳の日”も すべてが音になる

幽霊のいるスタジオ。
通訳としての緊張。
1999年の音の潮流。
夏前の乾いた風。
そして若造の焦り。

その全部が、
私の“音の深さ”になっていった。

何者でもなかった若造が、
少しだけ“LAの空気の粒”を弾けるようになった季節。

1999年春から夏――
あの奇妙で美しい数ヶ月は、
今でも胸の奥で、歳と共に、薄れてゆく記憶の中に紛れて残っている。

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