「消えたデモ、通訳扱い、ギタレ、そして帰国の決断」
◆LAの“匂い”
1999年の晩夏のLAの空はからりと乾き、夕暮れには海からの湿った空気が一瞬だけ匂いを変える。どこか落ち着かない空気が漂っていた。
街のレコード店は既にNapsterの影響を受け始め、エンジニアたちは「音源の管理」に神経質になり、ミュージシャンは「盗まれる」ことに妙に敏感だった。
◆「LAのスタジオで消えたデモテープ」
○ 到着:不穏な気配
その日はラリー(プロデューサー)の自宅スタジオに呼ばれた。ラリーはいつもより早口で、少しイライラした顔をしている。
ラリー(Producer)
「Where’s the demo? I thought you brought it.」
(デモはどこだ?持ってきたんだろうな)
私
「I didn’t bring it. I thought you were handling it…」
(持ってきてないよ。あなたが手配するって聞いていたけど…)
ラリーは明らかに焦っている。そこへマイク(エンジニア)がブースから顔を出した。
マイク(Engineer)
「I swear it was on the console last night. It was right here.」
(昨夜はコンソールの上にあったんだ。ここにあった)
私
「On the console? Are you sure you didn’t missee it?」
(コンソールの上?見間違いじゃない?)
マイク
「Nope. I checked twice.」
(いや。二回確認した)
気配が「怒り」から「不穏」へと変わる。スタジオにいる誰もが息を呑んだ。
○ 捜索開始 — だが…
スタッフ総出でスタジオ中を探し回る。ラックの間、冷蔵庫、古いギグバッグ、天井裏の隙間まで。
私はある機材の背後にいたアシスタントに、ふと視線を止めた。
アシスタント(Younger)
「Hey… did anyone put it in the oven?」
(ねぇ…誰かオーブンに入れなかった?)
私
(オーブンにDATは入れないだろう…)
皆が笑いながらも肝を冷やすような視線を交わす。
そんな中、マイクが苦笑いで現れる。
マイク
「Found it. In my car. I forgot.」
(見つかった。車の中にあった。忘れてた)
ラリー(怒り交じりに)
「You took the master out of the room? You take the master out and forget? Unbelievable.」
(マスターを部屋から持ち出すか?持ち出して忘れるか?信じられん)
私
「Mike, that’s… dangerous.」
(マイク、それは…危ないよ)
マイク
「I know, I know. Sorry. Let’s just record.」
(分かってるって。すまん。とにかく録ろう)
結局テープは無事に戻り、レコーディングは始まった。だが、その日の雰囲気は最後まで張りつめたままだった。こういう“人災”がLAでは本当に起きる。以前の話で散々やられた“狂気の現場”の延長線上にある種の慣れを感じながら、私はギターを構えた。
◆ 「ギタリストが初めて“通訳扱い”された日」
その数日後、あるロックバンドのプリプロに呼ばれた。ギターのフレーズはすぐ決まったが、問題はミーティングだった。
ケヴィン(Drums)
「You! You speak Japanese, right? Tell the label guy what we want.」
(お前!日本語話せるんだろ?レーベルの日本人担当にウチらの希望を伝えてくれ。)
私
「Nah… I’m a guitarist…」
(いや、オレはギタリストで…)
Vocal
「Come on, man. You’re bilingual. That’s your superpower.」
(頼むって。バイリンガルはお前の超能力だろ。)
超能力じゃねぇ。
レーベル担当の日本人スタッフが気まずそうに笑う。
Japanese Staff
「あの……通訳してくれなくても大丈夫ですよ……」
私はケヴィンにそう伝えると…
ケヴィン
「No no! We need him! He’s the bridge!」
(いやいや!必要なんだよ!彼は架け橋なんだ!)
おい、変な役割を決めるな。
気付けばミーティングの中心は私。楽曲の説明から、アーティストの要望まで全部「通訳扱い」。
私
(オレはいつから“LAのギタリスト兼通訳”になったんだ…?)
終わった後、ケヴィンが肩を叩いた。
ケヴィン
「Thanks, bro. Today you saved our asses.」
(助かったよ兄弟。お前のおかげで俺たちは生き延びたよ。)
私
「…Well, better add translator fees to my pay, huh?」
(……まあ、ギャラに通訳料上乗せな?)
ケヴィン
「Hahaha! No way!」
(ハハハ!それは無理!)
…無理なのかよ。
◆ 「LAでギタリストが“役者もどき”になった瞬間」
秋口、突然マネージャーから電話が来た。
Manager
「JP, they need a guitarist who can also act a little. Interested?」
(JP、少し演技もできるギタリストを探してるんだ。興味あるか?)
役者? 俺が?
しかしギャラを聞いて即答した。
私
「Yes.」
(やります)
現場に着くと、それはインディーズ映画の“バンドシーン”だった。ギターを弾く役者が弾けなさすぎて、監督が本物のギタリストを後ろに立たせて「手元だけ本物」にしたかったらしい。
つまり“手タレ”ならぬ“ギタレ”である。
Director
「Just play like you’re in pain, okay?」
(痛みと闘ってる感じで弾いてくれ)
私
「Pain…? what kind of pain?」
(痛み? どんな痛みですか?)
Director
「Existential.」
(存在の痛みだ)
――そんな抽象的な痛みに合わせてギター弾いたことない。
しかしカメラが回ると、変なスイッチが入り、“謎の苦悩を抱えたギタリスト”としてなぜか監督に気に入られてしまう。
Director
“That was perfect! So much agony!”
(完璧だ! その苦悩がたまらない!)
ギターを弾いているだけで「演技」と言われる奇妙な体験だった。
撮影の帰り、ふと思った。
…こうしてLAでは、ギタリストが勝手に別の職業にさせられていくんだな。
◆ 帰国の決断 : J-1ビザ満期と親父の一言
秋も深まる頃、私のポケットベルに通知が入った。父からだ。
父
「おい、一旦帰ってこい」
その一言で、胸の奥に冷たいものが落ちた。理由は単純だ。私が渡米したときに使ったJ-1ビザは2年の期間が決められており、満期が近づいていたのだ。滞在延長の手続きや別ビザへの切り替えは選択肢としてあったが、現実的に考えると負担が大きく、家族の声も重かった。
その夜、チャド(旧友のエンジニア)と飲みながら話した。
チャド
“So… you’re gonna go back?”
(で…戻るのか?)
私
「For now. The J-1 is expiring, and my dad told me to come back.」
(一旦な。J-1が満期になるし、親父から“帰れ”って電話が来た)
チャド
“Man… LA’s gonna miss your weird tone.”
(お前の変なトーン、L.A.は惜しむぜ)
私(笑い混じりに)
「My weirdness is universal, apparently.」
(オレの“変”は世界共通だな)
帰国の決断は、寂しさと安堵が同居する不思議な感覚だった。1998年にここへ来てから積み上げてきたものは、確かに私の中で育っている。だが、ビザの期限と父の声が重なり、私は一旦日本に戻る道を選んだ。
1999年の私と、これから
1998年の晩春から1999年の秋にかけて、私はいくつもの現場を渡り歩き、私の時間感覚は少しずつずれていった。
あの到着の衝撃、二足三足のわらじで働いた日々、毎日違うスタジオを渡り歩いた“スタジオ難民”の季節、狂気の現場の数々、深夜のスタジオで“部屋の音”と対話し、テープ紛失の騒動に巻き込まれ、通訳として言葉を繋ぎ、ギタレとなり、荒くれたライブハウスで肝を鍛えた。そして、ビザ満期と父の一言に背中を押されて日本へ帰る決断をした。
飛行機の窓から見下ろすロサンゼルスの夜景は、小さな星屑が散らばったように美しかった。ここでの時間はすべて私の血肉になっている。帰国は“終了”ではない。いつかまた戻るための一時停止だ。
いつ戻れるかはわからないけど…🎸✨
