― 日常の折り合いと、二度目の渡米の顛末 ―
◆ 2000年、そして“静かな継続”
1999年に成田へ降りてからの日々は、想像以上に早く“慣れ”へ変わっていった。翻訳と通訳の仕事は相変わらずハードだったが、生活のリズムさえ掴めば、音楽との折り合いも自然とついていく。セッションは月に数回、仲間の顔を見るための大切な時間として残し、仕事は生活の基盤として淡々と回し続けた。
2000年に母が亡くなった。その年だけは風景の色が静かに変わった。葬儀も手続きも、家族の表情も、ひとつひとつが確かに私を次の段階へ押し出していった。悲しみの細部は言葉にしないほうがいい。ただ、ギターを弾く指先に、ごく軽くその影が乗ることがあり、それで十分だった。
◆ 仕事と音楽の“ほどよい共存”
2001年、2002年と年が進むにつれ、仕事の回し方が見えてきた。翻訳・通訳のペース配分、クライアントとの距離感、突発案件のさばき方。その要領が掴めてくると、音楽に回す余白がすっと増える。
私はもともとガンガン前に出るタイプではない。仲間のレコーディングに呼ばれれば喜んで参加し、必要なときはそっと“音の背骨”を差し込む。そんな“支える側のギタリスト”という立ち位置が、気づけば自然と自分の居場所になっていた。
そして、そのゆるい集まりが、いつの間にか“3ピースバンド”として動き出していった。
若い頃のような無謀な勢いは薄れたが、その代わりに“続けていくことの楽しさや美しさ”が分かり始めた。夜のセッションで交わす何気ない笑いが、妙に沁みるようになった。
◆ 日常の細かな喜びと、時折やってくる不安
給料日後にちょっと贅沢して買うコーヒー。
古いギターの弦を張り替えたときの“ちょっとした引っかかり”。
そういう些細なことが、誇らしい時期だった。
一方で、音楽一本に賭けなかった自分への迷いも、ふと影のように出てくる。でも、仕事と音楽のバランスが絶妙に保たれる“今の感じ”を手放す気にはどうしてもなれなかった。
◆ 2008年、再びLAへ――期待と現実の再会
気づけば2008年。仕事もある程度落ち着き、心のどこかで小さなざわめきが起きた。
「もう一度、あの乾いた風を吸ってみたい」
若い頃のような無茶な上昇志向ではなく、“確かめに行く”という気持ちで私は再び飛行機に乗った。
しかしLAは、同じ景色をそのまま返してくれるほど優しくなかった。
街は洗練されたようで、どこか窮屈になっていた。
ベニスの“自由のカオス”は少し湿度を失い、ハリウッドの看板は以前より商業主義の匂いが濃い。
流れる音も、街を歩く若者のムードも変わっていた。
私が感じたのは、“場の温度差”だった。
若い頃にまとっていた、あの“置き場のない緊張感”は、いつの間にか“即戦力主義の空気”に変わっていた。
音楽の作り方も、プロモーションも、働き方も変わり、
「昔のやり方で勝負できる場所は減っている」
そんな実感が静かに胸の奥へ沈んだ。
◆ 出会いと失望の両方を味わう日々
滞在中、私はあちこちのセッションに顔を出した。
面白いミュージシャンにも出会ったし、刺激をもらう瞬間も確かにあった。
ただし、手応えは以前とは違う。
即席バンドのテンポ感はとにかく速く、求められるのは“効率”と“個性”の二択で、余白は少ない。
私がそこに入ると、
良い意味では“渋み”、悪い意味では“古い付箋”
そう見られる場面もあった。
あるオーディションで、突然こう聞かれた。
「You played in LA before? Cool. So—what’s your social reach? How many FB followers?」
(へぇ、前にもLAでやってたんだ? いいね。それで──君のFacebookの影響力はどれくらい? フォロワー数は?)
私は思わず笑った。
SNSのフォロワー数で勝負が決まる時代になっていた。
昔なら、夜通し弾いて手応えを掴んだものを、
今は数字で即効判定される。
別に悪いとは思わない。
ただ、私が背負ってきた“経験の重さ”が、そのまま価値になる世界ではなくなっていた。
◆ それでも学んだことがある――慣用と差分の認識
2008年のLAは、私にもうひとつの教訓をくれた。
「懐かしさだけでは、もう同じ場所には立てない」
若いプレイヤーたちと音を合わせてみると、彼らの新しい視点に刺激されると同時に、私の話を面白がってくれることもあった。
その時間は素直に心地よかった。
ただし、好感触は得られなかった。
街の回転速度と、私自身の回転速度が微妙にズレていたからだ。
帰国便の窓から見た雲は、やけに整然としていて、私はそこでようやく思った。
――あの時のLAは、確かに何かをくれた。
でも今、私が求めるものは別の場所にある。
◆ 帰国後のささやかな決意と、音の居場所
帰国した私は、再び“ほどよい共存”へ戻っていった。
2000年代前半に積み上げた生活のバランスが、今回の経験でより自分らしい形に落ち着いた。
派手な復活も、大きな転機もない。
ただ、仲間の演奏を支え、時々自分も音を出し、
小さな飲み屋でギター談義をして、朝のコーヒーを飲む。
そのリズムが、今の私にはやけにフィットしていた。
時々、LAで出会った若いプレイヤーからメッセージが届く。
彼らはSNSで音を広げ、次々と新しい世界へ走っていく。
私はというと、今日も夜のセッションで指を温めている。
◆ 終わりに――静かに、しかししぶとく
人生は、同じ場所に戻ったからといって同じ結果が待っているほど単純じゃない。
それでも私はギターを持ち、仲間と音を重ねる。
その音の中には、1998年の砂埃も、
2008年の違和感も、全部まとめて溶けているような気がする。
そして今の私は、若い頃よりもっと自分を好きでいられる。
暴走は減ったけれど、選び取る力は増えた。
これからも細く長く、
ときどき誰かの背中をそっと押し、
ときどき自分の音で前に出ながら、
私はしぶとくギターを鳴らしていこうと思う。🎸✨
海外編はこれで一旦一区切りになります。
長い旅路のような文章に、ここまで付き合っていただき本当にありがとうございました。次回からは、またいつもの“おじさんギタリストシリーズ”に戻ってまいります。
これからも、静かにしぶとく続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。🎸✨
