💿 Split Enz史 第14章 『Time and Tide』(1982)

    アルバム: Time and Tide(1982年4月13日発売)
    アーティスト: Split Enz
    収録曲: 全12曲
    Producer: Hugh Padgham、Split Enz
    Label: Mushroom / A&M(地域によりPolydor)
    録音: オーストラリア・シドニー

    参加メンバー

    • Tim Finn — Vocal, Piano

    • Neil Finn — Vocal, Guitar

    • Eddie Rayner — Keyboards, Percussion

    • Nigel Griggs — Bass

    • Noel Crombie — Drums, Percussion


    成功したはずなのに、何かがおかしい

    長く音楽を続けていると、目標を達成したあとに、
    かえって自分が何をしたかったのか分からなくなることがある。

    もちろん、私などはそんな大きな成功を経験したわけではない。

    ただ、苦労して仕上げた仕事が無事に終わった時、
    嬉しいはずなのに、妙に気が抜けてしまうことはある。

    あれほど必死だったのに、終わってみると案外静かだ。

    Split Enzにとって、1981年から1982年にかけては、そんな時間だったのかもしれない。

    『True Colours』(1980年)の大成功。

    『Waiata / Corroboree』(1981年)も、オーストラリアとニュージーランドでアルバムチャート1位を獲得した。

    かつて奇妙な衣装と難解な音楽で、なかなか理解してもらえなかったバンドが、今ではヒット曲を持つ人気グループになっている。

    それなのに、Tim Finnの心は穏やかではなかった。

    1982年6月の音楽誌『Rip It Up』で、Timはかなり率直に当時の自分を語っている。

    長年追い求めていた成功を手にしても、それが自分の幸福や自信を大きく変えてくれるわけではなかった。

    自分が本当に追い求めていたのは、仕事における自分なりの完成形だったのだと気づいたという。

    さらに、四、五年続いた恋愛関係が、アルバム制作の直前に終わっていた。

    Timにとって、私生活でも大きな変化が重なった時期だった。

    ちなみに、この時の恋愛相手は、後に交際する女優のグレタ・スカッキ(Greta Scacchi)ではない。

    二人が交際するようになるのは、1983年頃のこと。

    グレタといえば、映画『コカ・コーラ・キッド』(1985年)にも出演していた女優だ。

    実はこの映画、Tim自身も出演していて、劇中で使われる楽曲の制作にも関わっている。

    そして、ここでちょっと笑ってしまう偶然がある。

    Timが演じた役の名前は、なんとPhillip(フィリップ)。

    かつてSplit Enzを一緒に立ち上げた、
    あのPhil Judd(Philip Raymond Judd)を思い出させる名前ではないか。笑

    いや、これはもう、意図的に付けたとしか思えない役名である。

    もちろん、本当にそうだったのかは分からない。

    それにしても、こんなところでPhilという名前に出会うとは。

    Split Enzの歴史を追いかけていると、妙なところでつながりを見つけてしまう。

    そして、もう一つ。

    実はこの映画、レコーディングスタジオの場面でドラムを叩いているのが、後にCrowded HouseのドラマーとなるPaul Hesterなのだ。

    Tim Finnが出演し、その後ろではPaul Hesterがドラムを叩いている。

    Split EnzからCrowded Houseへと続く歴史を知っていると、
    これはなかなか見逃せない顔合わせである。

    しかも、まだCrowded Houseが世に出る前の話だ。

    まさか『コカ・コーラ・キッド』という映画の中で、こんなところまでつながってくるとは。笑

    もっとも、それはまだ少し先の話。

    Dirty Creature
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    1981年のTimは、長く続いた恋愛関係を失い、自分自身と向き合っているところだった。

    これは後年、誰かが作った美談ではない。

    アルバム発売から間もない1982年に、Tim本人が話していることだ。

    そして彼は、制作に入る前、Neilに対して、今回は自分があまり力になれないかもしれないと伝えていた。

    ところが、結果は逆だった。

    Timはこれまで以上に歌詞を書き、自分の内側にあった孤独や恐れを曲の中へ出していった。

    少し意外に感じる。

    Split Enzの中心にいた、あの明るくてエネルギッシュなTimが、そんな状態だったとは。

    でも、アルバムを最初から聴き直すと、確かにいつもと空気が違う。

    曲はよく動く。

    リズムも軽快だ。

    なのに、歌詞の中には不安や孤独がずいぶん多い。

    『Time and Tide』は、成功したバンドが余裕を持って作ったアルバムというより、成功しても解決しなかったものを、音楽にしてしまった作品なのだと思う。


    兄を支える弟になった

    もう一つ、見逃せない話がある。

    Neilは2003年の『Enzology』で、この時期のTimが個人的に大きな苦しみを抱えていたと振り返っている。

    それまでの兄弟関係では、兄のTimが弟のNeilを育て、支える立場だった。

    ところが、このアルバムの頃には、その関係が変わった。

    今度はNeilがTimを支える必要があったという。

    私は、この話に少し立ち止まってしまった。

    第13.5章では、二人の間に作曲家としての健全なライバル意識があったことを書いた。

    兄のバンドに入った弟が、次々とヒット曲を書くようになった。

    そんな二人の関係を、どうしても競争という方向から見てしまいがちだ。

    でも、現実の兄弟はそんなに単純ではなかった。

    互いに刺激し合う作曲家でありながら、片方が弱っている時には、もう片方が支える。

    しかもNeilは、その経験を通して、二人がそれぞれ独立した一人の人間として向き合うようになったと振り返っている。

    私は、ここに『Time and Tide』の大切な背景があると思う。

    バンドの音が変わったのは、ドラマーがMalcolmからNoelへ交代したからだけではない。

    曲を書いている人たちの内側でも、何かが変わっていた。


    SIDE A: 不安を抱えたまま、音楽は走り出す

    1. Dirty Creature — 自分の中にいる怪物

    作詞・作曲:Tim Finn / Nigel Griggs / Neil Finn

    アルバムは、妙に落ち着かないリズムから始まる。

    Nigelのベースがうねり、Neilのギターが短く切り込む。

    Noelのドラムも、単に拍子を取るのではなく、曲をぐいぐい前へ押していく。

    Split Enzの中でも、かなりファンキーな演奏だと思う。

    ところが歌詞は、ちっとも陽気ではない。

    湖の底から怪物が現れ、眠ることもできず、頭の中まで支配されてしまう。

    歌詞には、マオリの伝承に登場する存在、Taniwha も出てくる。

    Taniwha is waiting for me
    タニファが、私を待ち構えている

    これは単なる怪物の物語ではない。

    Timが当時抱えていた恐怖や不安が、姿を持ったものとして歌われている。

    興味深いのは、この曲の作り方だ。

    1982年のインタビューでTimは、「Dirty Creature」が三つの異なる時期に作られた部分を組み合わせた曲だと説明している。

    一つは約一年半前。

    一つはスタジオで。

    そしてもう一つは、Nigelが約三年前に書いていた部分だった。

    つまり、最初から完成した一曲として生まれたわけではない。

    ずっと前に作った断片が、ある時突然、別の意味を持ち始めた。

    アレンジをしていると、こういうことがある。

    以前は使い道が分からなかったフレーズが、別の曲に入れると妙にしっくりくる。

    本人たちがいつ、どの部分をどうつないだのかまでは分からない。

    でも、三人のアイデアが別々の時間から集まって、この落ち着かない曲になったというのは面白い。

    そして、もう一つ。

    Timはこの曲を書いたあと、心理学者Rollo Mayの著書『Love and Will』を読んだという。

    そこに書かれていた、自分の内側にある恐れから逃げ続けるのではなく、それと向き合うという考え方に強く納得したそうだ。

    歌詞を書くことが、Timにとって自分の恐れを見つめる方法にもなっていた。

    あの踊りたくなるようなリズムの裏側に、そんな事情があったとは。

    2. Giant Heartbeat — 消えかける大きな鼓動

    作詞・作曲:Neil Finn / Nigel Griggs

    続く「Giant Heartbeat」は、NeilとNigelの共作。

    こちらは、一曲目とは違う意味で不穏だ。

    大きな鼓動。

    それは一人の人間の心臓というより、もっと大きな世界そのものの鼓動のように聞こえる。

    歌詞には、燃える火や水、憎しみ、愛といった言葉が現れる。

    そして、巨大な鼓動が弱まっていく。

    この曲の面白さは、歌詞の重さに対して、演奏が必要以上に悲壮にならないところだ。

    ベースが曲を引っ張り、ギターと鍵盤がその周りに少し冷たい空気を作る。

    音の隙間が、どこか広い。

    Nigelはこのアルバムで、単なるベーシスト以上の存在感を見せている。

    「Dirty Creature」に続いて、この曲でも作曲に加わっているからだ。

    Neilの曲というと、どうしてもメロディーや歌声に耳が向く。

    でも、この頃のSplit Enzは、ベースの動きから生まれている曲もある。

    そう考えて聴くと、Nigelの音がずいぶん近くに感じられる。

    3. Hello Sandy Allen — 世界一背の高い女性に贈った歌

    作詞・作曲:Neil Finn

    この曲には、ちょっと驚くような実話がある。

    Sandy Allenは架空の女性ではない。

    かつて世界一背の高い女性として知られていた、アメリカ人のSandra Elaine Allenのことだ。

    Neilはニューヨークで彼女と出会い、その経験を歌にした。

    歌詞の中でも、初めて会った時には戸惑いを感じたことや、握手した時の手の大きさに驚いたことを率直に書いている。

    しかし、曲が進むにつれて、外見とは別のところに話が移っていく。

    人は誰でも鏡の前で自分の見た目を気にする。

    でも、Sandyはそのことで自分の人生を諦めているようには見えなかった。

    Neilは彼女の話し方や人柄に心を動かされたのだろう。

    「元気でいてほしい」

    そんな素朴な願いが、曲の中心にある。

    これがいい。

    世界一背の高い女性を珍しい存在として面白がるだけなら、こんな曲にはならなかったと思う。

    演奏はとても軽快で、Neilのギターもよく動く。

    それにしても、この映像を見ていると、何とも懐かしい気持ちになる。

    ギターを弾きながら、身体を揺らしてリズムを取るNeilの、あの独特な動き。

    実は私も若い頃、あれをよく真似してライブで演奏していたのだ。笑

    今になって映像を見返すと、当時のステージの空気まで思い出してしまう。

    あの頃は、ただ格好いいと思って真似していた。

    それが今では、演奏そのものだけでなく、若かった自分まで懐かしく感じるのだから、歳を取ったものだなぁと、少ししみじみしてしまった。

    でも、ギターを抱えると、今でも身体があのリズムを覚えているような気がする。

    ただ、歌詞を知ってから聴くと、その明るさが少し違って感じられる。

    誰かとほんの短い時間出会っただけでも、何年も残ることがある。

    この曲は、そんな出会いの記録でもある。

    ちなみに、Neilの公式サイトにも、この曲の題材となったSandy Allenの実話を紹介する記事が残されている。

    4. Never Ceases to Amaze Me — 人間って、よく分からない

    作詞・作曲:Tim Finn

    今度はTimの曲。

    タイトルは「驚かされることが尽きない」といった意味。

    この曲では、Timが人間の奇妙な振る舞いを眺めているように聞こえる。

    歌詞には動物や自然、さまざまな風景が現れる。

    それを、少し芝居がかった歌い方で次々と見せていく。

    ここには、初期Split Enzの少し変わった面白さも残っている。

    『Time and Tide』は内省的なアルバムだけれど、ずっと暗い顔をしているわけではない。

    Timは、こういう曲になると急に元気になる。

    いや、元気に歌っているからといって、本人が本当に元気だったとは限らないのだけれど。

    それでも、あの独特な声の張り方を聴くと、Split EnzにはやはりTimが必要だったのだと思う。

    この曲はシングルにもなった。

    そしてミュージックビデオでは、動物園を舞台に、いかにもSplit Enzらしい少々奇妙な世界が広がっている。

    Tim以外のメンバーは、動物園に舞い降りた地球外生命体として登場する。

    動物たちを観察するはずの動物園で、今度は人間の方が妙な生き物に見えてくる。

    真面目なことを考えながら、映像では宇宙人になってしまうのだから、何とも彼ららしい。笑

    音楽ではずいぶん洗練されてきたのに、こういう遊び心だけは初期の頃から少しも変わっていない。

    そういうところも、このバンドらしい。

    5. Lost for Words — 言葉が見つからない

    作詞・作曲:Nigel Griggs / Tim Finn / Neil Finn

    この曲も三人の共作。

    タイトルどおり、言いたいことがあるのに言葉が出てこない。

    相手に説明しようとしても、伝わらない。

    情報はある。

    考えてもいる。

    それなのに、肝心な言葉が見つからない。

    翻訳の仕事をしていると、少し耳が痛い。笑

    ただ、これは語彙が足りないという話ではないのだと思う。

    言葉を知っていても、自分の気持ちをうまく説明できないことはある。

    むしろ、大切な話ほどそうなる。

    演奏も落ち着かない。

    リズムが細かく動き、メロディーも素直に進んでくれない。

    言葉が見つからず、頭の中をぐるぐる回っているような感じがする。

    ここにもNigelの貢献がある。

    1983年のテレビインタビューで、Neilはこの曲について、Nigelの素晴らしいベースリフを褒めている。

    後年のCrowded Houseを知っていると、Neilが最初から何でも一人で完成させていたように思いがちだ。

    でも、当時のSplit Enzには、こういう共同作業があった。

    誰かが持ってきたリフから、曲が動き始める。

    バンドというのは、やはり面白い。

    6. Small World — 小さな世界を壊しているのは誰か

    作詞・作曲:Tim Finn

    SIDE Aの最後は、Timの「Small World」。

    タイトルだけなら、どこか親しみやすい曲を想像する。

    けれど、歌われているのは、人間が自分たちの住む世界を傷つけていることへの不安だ。

    1982年当時の『Rip It Up』のアルバム評でも、この曲は環境を壊していく人間の姿を描いたものとして受け止められていた。

    このアルバムには、個人的な恐れと、もっと大きな世界への不安が一緒に入っている。

    「Dirty Creature」では自分の頭の中に怪物がいる。

    「Giant Heartbeat」では世界の鼓動が弱まっている。

    そして「Small World」では、人間が暮らす場所そのものが危うくなっている。

    Timの私生活が大変だったことばかりに目を向けると、こういう曲を見落としてしまう。

    Split Enzは、個人の悩みだけを歌っていたわけではなかった。


    SIDE B — 海を渡り、昔の自分に会いに行く

    7. Take a Walk — 少年の頃の気持ちを探して

    作詞・作曲:Neil Finn

    SIDE Bは、Neilの「Take a Walk」から始まる。

    私はこの曲を聴くと、急に外へ出たくなる。

    少し歩いて、いつもと違う景色を見たくなる。

    歌詞には、山や小川、海を見渡す場所が登場する。

    でも、これは単なる散歩の歌ではない。

    Neil自身が1982年に、この曲は過去の出来事そのものではなく、若かった頃に持っていた気持ちを思い出す歌だと説明している。

    そこがいい。

    昔の場所へ戻りたいのではない。

    昔の自分が持っていた、何かを取り戻したい。

    年齢を重ねると、そういうことがある。

    昔の写真を見ても、そこに写っている場所へ戻りたいわけではない。

    ただ、あの頃の自分が何を楽しみにしていたのか、少し思い出したくなる。

    曲の後半に出てくる、短い言葉も好きだ。

    You gotta be kind
    人には、優しくしなきゃな

    英語としては、ごく普通の言い方だ。

    でも、You must be kind と言い切るのとは、少し温度が違う。

    誰かに説教しているというより、昔聞いた言葉を自分に言い聞かせているように感じる。

    ギターと鍵盤は軽快に動き、曲には勢いがある。

    なのに、歌詞の奥には、失ってしまったものを探すような寂しさがある。

    Neilはこの頃から、こういう歌を書く人だったんだなと思う。

    そして、この「Take a Walk」には、後年ちょっと嬉しい再演がある。

    2001年、Neil FinnがオークランドのSt James Theatreで開催した

    『7 Worlds Collide』

    Neil Finn & Friendsとして、
    The SmithsのJohnny Marr、
    RadioheadのEd O'BrienとPhil Selway、
    そしてPearl JamのEddie Vedderらが集まった、何とも豪華なライブだ。

    そこで「Take a Walk」を歌ったのが、なんとEddie Vedderだった。

    あの低く、少しざらついた声でNeilの曲を歌うのだから、これがまた面白い。

    しかも、このライブにはNeilの息子Liam Finnが率いるBetchadupaも参加していた。

    Eddieは彼らをバックに、Split Enzの「I See Red」なども披露している。

    ちなみに「Take a Walk」の演奏を支えたのはBetchadupaではなく、NeilやJohnny Marr、Radioheadのメンバーたち。

    それにしても、1982年にNeilが書いた曲を、19年後にEddie Vedderが歌い、同じステージにはNeilの息子の世代まで参加している。

    こういうつながりを知ると、昔の曲が単なる懐メロではなく、ずっと誰かの中で生きていたのだと感じる。

    それに、EddieがSplit Enzの曲を歌っている姿を見ると、どうにも嬉しくなってしまう。

    あの頃、彼もきっと、この音楽を聴いていたんだろうな。

    8. Pioneer — Eddie Raynerが開いた海

    作曲:Eddie Rayner(インストゥルメンタル)

    ここでEddie Raynerの短いインストゥルメンタルが入る。

    「Pioneer」。

    一分半ほどの曲だが、これを単なる間奏として聴き流すのは惜しい。

    鍵盤が広がり、目の前に大きな景色が現れる。

    私は、ここでアルバムの空気が一度入れ替わるように感じる。

    SIDE Bの中ほどに、こんな曲を置く。

    そして、そのまま次の「Six Months in a Leaky Boat」へつなげる。

    これはアレンジの仕事として、かなり好きな作り方だ。

    曲を一曲ずつ完成させるだけではなく、アルバム全体でどんな景色を見せるか。

    Eddieの「Pioneer」は、そのための大切な入口になっている。

    実際、1982年の「Six Months in a Leaky Boat」のミュージックビデオも、この「Pioneer」から始まっている。

    つまり、二曲のつながりはレコードの上だけではなかった。

    映像でも、一つの流れとして扱われていたわけだ。

    9. Six Months in a Leaky Boat — 穴の開いた船で、それでも進む

    作詞・作曲:Tim Finn / Split Enz

    そして、このアルバムを代表する一曲。

    「Six Months in a Leaky Boat」。

    ちなみに、日本では「エアテロアの風」という邦題が付けられていた。

    エアテロアというのは、ニュージーランドを指すマオリ語「アオテアロア(Aotearoa)」のことだろう。

    この曲のミュージックビデオには、私が昔から好きな場面がある。

    TimとNeilが声を重ねて「Aotearoa(アオテアロア)」と歌うところだ。

    二人の声が気持ちよく重なって、曲の景色がぱっと広がる。

    ただ、私は昔から、この場面を見るたびに、邦題の「エアテロアの風」が気になっていた。

    「いや、二人ともちゃんとアオテアローアって歌ってるんだけどなぁ」と。笑

    もちろん、当時の邦題にはそれなりの事情があったのだろう。

    でも、あの兄弟のハーモニーを聴くたびに、どうしてもそこが引っかかってしまう。

    そんな細かいことを何十年も気にしている自分も、我ながらどうかと思うのだけれど。笑

    ちなみに、原題を直訳すれば「穴の開いた船で六か月」。

    ずいぶん頼りない船だ。

    しかも、その船で海を渡ろうというのだから、なかなか無茶な話である。

    けれど、曲は驚くほど明るい。

    Timの声は大きく広がり、演奏にも勢いがある。

    海を渡る冒険の歌として聴けば、実に気持ちがいい。

    でも、この曲にはもう一つの意味がある。

    Tim自身が経験していた、苦しい時間だ。

    恋愛関係が終わり、自信を失い、自分の進む方向も分からなくなっていた。

    そんな時期に書かれた歌だからこそ、穴の開いた船という言葉が、単なる冒険の道具には聞こえなくなる。

    沈みそうになりながら、それでも何とか浮かんでいる。

    あまり格好のいい姿ではない。

    でも、ちゃんと進んでいる。

    この曲については、面白い制作秘話も残っている。

    Neilは2003年の『Enzology』で、「Six Months in a Leaky Boat」は以前から存在していた曲だったと話している。

    そして、Nigelがテープの中からその曲を見つけ、Timに完成させるよう勧めたという。

    もしNigelがそのテープを取り出していなかったら、どうなっていたのだろう。

    もちろん、別の機会に完成していた可能性もある。

    でも、バンドの代表曲が、誰かの「これ、いい曲だから仕上げたら?」という一言で前へ進んだというのは、なんともいい話だ。

    作曲家本人よりも、周りの人間の方が曲の良さに気づくことがある。

    自分で作ったものは、案外客観的に見られないものだから。

    さらに、歌詞に登場する the tyranny of distance という言葉。

    これは、オーストラリアの歴史家Geoffrey Blaineyが1966年に出版した著書『The Tyranny of Distance』を思わせる表現でもある。

    遠く離れた土地で生きること。

    海を渡って新しい場所へ向かった人々。

    そして、自分自身の人生を前へ進めること。

    いくつもの意味が、この曲の中で重なっている。

    英国では、時代が曲を別の意味にしてしまった

    ところが、この曲にはもう一つ、有名な出来事がある。

    1982年4月、イギリスとアルゼンチンの間でフォークランド紛争が始まった。

    「Six Months in a Leaky Boat」は、それより前に録音されていた曲だ。

    戦争を皮肉って書かれたものではない。

    それなのに、英国では、海軍や船を連想させる内容が問題視され、ラジオの放送リストから外された。

    ニュージーランド政府の歴史資料でも、この出来事が紹介されている。

    歌が完成した時には存在しなかった戦争が、その歌の受け取られ方を変えてしまった。

    音楽というのは、ときどき作り手の手を離れたところで、思いもしない意味を背負わされる。

    それにしても、穴の開いた船で必死に進もうとする歌が、海を越えた先で放送を避けられることになるとは。

    皮肉な話だ。

    ちなみに、この曲は2001年に発表されたAPRAのニュージーランド楽曲ランキングで、歴代5位に選ばれている。

    英国での騒動とは別に、故郷では長く大切にされてきた曲でもある。

    10. Haul Away — Tim Finn、自分の人生を歌う

    作詞・作曲:Tim Finn

    「Six Months in a Leaky Boat」のあとに続く「Haul Away」。

    これがまた、すごい曲だと思う。

    海の仕事歌を思わせるリズムに乗せて、Timが自分の人生を振り返っていく。

    生まれ故郷のTe Awamutu。

    子ども時代。

    学校生活。

    そして、Aucklandで始まったSplit Enzの物語。

    自分がどこから来て、何をしてきたのか。

    それを一曲の中に詰め込んでしまう。

    まるで、本人による短い回想録だ。

    1982年5月の『Rip It Up』では、Chris Knoxがこの曲を取り上げ、Timの人生と、その中にあった不安が率直に表れていることを指摘している。

    そして翌6月、Tim自身もインタビューで、この曲を自分の内側をさらけ出した代表的な例として挙げている。

    ここは重要だと思う。

    私たちが後から歌詞を深読みしているだけではない。

    当時のTim自身が、これまで以上に個人的なことを歌ったと認めているのだから。

    『Time and Tide』の中で、私はこの曲を一つの中心だと感じる。

    「Six Months in a Leaky Boat」では、まだ海を渡っている。

    「Haul Away」では、少し振り返って、自分がどこから来たのかを確かめている。

    若い頃なら、そんなことを考える時間があれば次の曲を作りたいと思ったかもしれない。

    でも、50代になると、たまに昔のことを振り返りたくなる。

    あの時、なぜあんなに必死だったのだろう。

    どうして、あの人とは離れてしまったのだろう。

    もう少しうまくできたこともあったのではないか。

    そんなことを考えたところで、過去が変わるわけではない。

    それでも、振り返る時間が必要な時はある。

    Timはまだ若かったけれど、この曲ではすでに、自分の歩いてきた道を見つめている。

    11. Log Cabin Fever — 誰にも見せられない孤独

    作詞・作曲:Neil Finn

    続くNeilの「Log Cabin Fever」。

    これは、ずいぶん息苦しい曲だ。

    タイトルは、丸太小屋のような閉ざされた場所に長くいることで生まれる、閉塞感や苛立ちを思わせる。

    歌詞には、寒さや孤立、人に助けを求めたい気持ちが出てくる。

    外へ出たい。

    人のいる場所へ戻りたい。

    でも、それが簡単にできない。

    この曲には、もう一つ面白い証言がある。

    Eddie Raynerは2003年の『Enzology』で、Neilがこの曲を普通のポップソングにはしたがらなかったと振り返っている。

    ポップソングにすることもできたはずなのに、Neilはあえてその定型から外そうとしていたという。

    これには少し笑ってしまった。

    Neilといえば、あれほど美しいメロディーを書く人だ。

    なのに、わざわざ素直なポップソングにならないようにしていた時期もあったわけだ。

    でも、聴くと分かる気がする。

    この曲は、簡単に気持ちよく終わってくれない。

    同じ場所を行ったり来たりしているような感じがある。

    孤独を歌っているのだから、曲まで気持ちよく整理されてしまっては、少し違うのかもしれない。

    アレンジャーとしては、つい曲の流れを整えたくなる。

    でも、整えない方がいい音楽もある。

    そのことを、この曲は思い出させてくれる。

    12. Make Sense of It — 分からないまま、誰かと生きる

    作詞・作曲:Split Enz

    最後は「Make Sense of It」。

    この曲は、五人全員による共作としてクレジットされている。

    アルバムの始まりは、Tim、Neil、Nigelの三人が作った「Dirty Creature」だった。

    そして最後は、バンド全員の曲で終わる。

    この並びが、私は好きだ。

    タイトルは「それを理解する」「意味を見つける」といった感じ。

    ただ、歌詞は何でも分かるようになるとは言っていない。

    人間の世界には、説明のつかないことがたくさんある。

    怖いこともある。

    傷つくこともある。

    それでも、頼れる友人がいたり、愛する人がそばにいたりする。

    そんな小さなことが、何とか生きていく助けになる。

    このアルバムには、恐れや孤独が何度も登場した。

    でも、最後に置かれたのは、誰かとつながることを諦めない歌だった。

    曲は決して大げさな感動へ向かわない。

    どこか不思議なリズムと、少しとぼけたような響きが残る。

    いかにもSplit Enzらしい。

    深刻なことを歌っていても、最後まで少し変わっている。

    それでいいのだと思う。


    Timは、このアルバムを作って何を得たのか

    1982年6月のインタビューで、Timは『Time and Tide』を作ったことについて、自分にとって大きな勝利だったと話している。

    制作前には、あまり貢献できないかもしれないと思っていた。

    ところが、実際には自分でも驚くほど多くのものを曲にすることができた。

    悲しみや孤独、恐れを歌詞に出すことで、少し前へ進めた。

    ただし、すっかり立ち直ったとは言っていない。

    まだ途中だった。

    私は、その部分がいいと思う。

    一枚のアルバムを作ったからといって、人間の問題が全部解決するわけではない。

    音楽は便利な薬ではないし、いい曲が書けた翌日に、急にすべてが明るくなるわけでもない。

    それでも、曲を作ることで、少しだけ自分の気持ちが分かることはある。

    ギターを弾いていても、そういう瞬間がある。

    今日は何となく気持ちが乗らない。

    でも、しばらく弾いていると、さっきまで気になっていたことが少し遠くなる。

    問題そのものは何も変わっていないのに、不思議なものだ。

    Hugh Padghamという、もう一人の重要人物

    そして、このアルバムを語るなら、プロデューサーのHugh Padghamも外せない。

    当時のPadghamは、Peter GabrielやGenesisなどの録音に関わり、音作りの面でも注目されていたエンジニアだった。

    『Time and Tide』ではSplit Enzと共同でプロデュースを担当し、録音とミックスにも携わっている。

    Timは1982年のインタビューで、Padghamとの仕事を非常に高く評価している。

    彼はメンバーの力を限界まで引き出そうとした。

    それでいて、強引に押しつけられているような感覚はなかったという。

    この話は、アレンジャーとして少し分かる気がする。

    相手の良さを引き出すには、ただ自由にやってもらえばいいわけではない。

    時には、もう一歩先までやってみようと促す必要がある。

    でも、押しつけすぎると、今度はその人らしさが消えてしまう。

    その加減は難しい。

    『Time and Tide』の音には、曲の複雑さを残しながら、それぞれの楽器がちゃんと聞こえる良さがある。

    『True Colours』や『Waiata』よりも、少し奥行きのある音に感じる。

    Noelのドラムも、ここでは新しいリズムの中心になっている。

    前章で、Malcolmが去ったあとにNoelがドラムを引き受けたことを書いた。

    実際にこのアルバムを聴くと、彼がただ代わりに座っただけではなかったことが分かる。

    バンドは、ちゃんと新しい音を鳴らしている。

    あのTimが、あと十年続けたいと言っていた

    最後に、少しだけ時間を戻したい。

    1982年6月のインタビューで、TimはSplit Enzを少なくともあと十年は続けたいという気持ちを語っている。

    これを読んだ時、私は少し意外だった。

    後の歴史を知っているからだろう。

    でも、1982年のTimには、まだその先があった。

    Split Enzを続けたいと思っていた。

    音楽を作り続けたいと思っていた。

    そして、自分が理想とするところには、まだ到達していないとも感じていた。

    成功しても、まだ満足できない。

    その気持ちは、少し分かる。

    長くギターを弾いていても、もう十分だと思える日は、なかなか来ない。

    今日はうまく弾けたと思っても、翌日には別のところが気になる。

    昔より体力は落ちたし、指の動きも変わってきた。

    それでも、もう少しこう弾きたいという気持ちは残っている。

    厄介な仕事を選んだものだ。笑

    『Time and Tide』は、Split Enzが最も個人的なものを音楽にしたアルバムの一つだと思う。

    Timは自分の恐れを歌った。

    Neilは少年時代の気持ちや孤独を書いた。

    Nigelは曲作りにも深く関わり、Eddieは海へ向かう大きな入口を作った。

    そしてNoelは、初めてドラマーとしてアルバム全体を支えた。

    五人になったSplit Enz。

    前作までとは違う顔ぶれで、これほど豊かな音楽を作った。

    ただ、1982年の彼らは、まだこの先に何が待っているのか知らない。

    Timは、あと十年続けたいと言っていた。

    その言葉を頭の片隅に置いて、次の章へ進もうと思う。

    画像
    Time and Tide(1982)


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