Phil Juddが現れた
二人で書いた夜と、”Split Ends”の誕生
Split Enzの歴史には、何度か「この人がここにいなかったら」という場所がある。
Neil Finnが入らなかったら。
Eddie Raynerがいなかったら。
Noel Crombieがあの服を作らなかったら。
そして、もっと前。
Phil JuddがTim Finnと出会わなかったら。
たぶん、何も始まっていない。
少なくとも、私たちが知っているSplit Enzにはならなかった。
第1章で書いたTim Finn、Mike Chunn、Geoff Chunnたちの学生時代には、すでに音楽があった。
学校のコンテストに出て、練習して、優勝して。
卒業後にはStillwaterというバンドまで作った。
でもMike Chunn自身、後になってかなりあっさり認めている。
あの頃の自分たちは、あまり上手くなかった、と。
Neil YoungやElton Johnを演奏していたけれど、オリジナル曲をどんどん作るようなバンドでもなかった。
そこへPhil Juddが現れる。
Mikeの言葉を借りれば、
「everything completely turned」
すべてが、完全に変わった。
Phil Juddという、少し違う人
Phil Juddは1953年、Hastings生まれ。
1971年頃、Aucklandで美術を学んでいた時期にTim Finnと出会う。AudioCultureによれば、PhilはElam School of Fine Artsで学んでおり、そこでTim、そして後にSplit Enzの視覚面で重要な存在になるNoel Crombieともつながっていく。
ここから、Split Enzの話が少し変になる。
もちろん、いい意味で。
Mike ChunnはPhilについて、まるで「別の惑星から来たような人」だったと振り返っている。
ギターを手にしても、普通の人が考えるような弾き方をしない。
変わったチューニングを使う。
妙なコードを見つける。
ギターの指板の上に、最初から曲が埋まっていて、それを掘り出しているような人だったらしい。
ギターを長く弾いていると、こういう人にたまに出会う。
こちらが、
「それ、何のコード?」
と聞いても、
本人もよく分かっていなかったりする。
理論を知らないという意味ではない。
耳が先に行ってしまうのだ。
普通ならそこへ置かない音を置く。
指がたまたまそこへ行ったから鳴らしてみる。
「あ、これ面白いな」
で、そのまま曲になってしまう。
こういう人は少々厄介である。
コピーしようと思うと、もっと厄介だ。
でも、Phil JuddにはTim Finnがいた。
Philが持ってきて、Timが歌にする
この二人の関係について、Mike Chunnの説明がとても面白い。
Philが変わったコードやギターの響きを持ってくる。
そこにはすでに、ぼんやりと曲が入っている。
Timはそこからメロディーを引き出していく。
Philの言葉にTimが歌としての生命を与え、Timが好きだった3分ほどのポップソングの形へ持っていく。
Mikeは二人を互いを補い合うソングライターだったと振り返っている。
これは後のSplit Enzを聴くと、なんとなく分かる。
変なのに、歌える。
妙なのに、覚えてしまう。
コードだけ追っていると少し気持ち悪いのに、メロディーが乗ると急に親しみやすくなる。
あの不思議なバランス。
Philだけでもなかった。
Timだけでもなかった。
二人の間に置かれた音だった。
そして、その最初の瞬間について、Tim自身がかなり具体的な記憶を残している。
Mission Bayの小さな部屋
2005年、TimはNZ On Screenのインタビューで、PhilとMission Bayで一緒に暮らしていた頃のことを振り返っている。
ある夜。
二人は曲を書き始めた。
その夜に出来たのが、
「For You」
そして、
「Split Ends」
だったという。
さらに2026年、Timはこの夜をもう一度振り返っている。
二人とも20歳くらい。
シャイな若者だった。
Aucklandの小さなフラットでギターを抱え、一晩で二曲を書いた。
Timは、その二曲について、
自分たちには「gold」だったと話している。
もちろん世界はまだ知らない。
レコード会社も知らない。
観客もほとんどいない。
Split Enzという名前さえ、まだ存在していない。
でも本人たちには分かった。
何かが始まった。
Timは2026年になって、
これが自分たちの人生になると分かった
という意味のことまで話している。
私はこの話が好きだ。
売れた後なら、何とでも言える。
「あの曲には手応えがあった」
「成功すると思っていた」
そういう話はいくらでも作れる。
でも、この二人の場合、その後があまりにも長く、面倒で、売れなくて、人が辞めて、Phil自身まで何度も辞める。
だからMission Bayの小さな部屋で、
「これ、いいんじゃないか」
と思った二人の感覚が、妙に生々しく感じる。
まだ何の保証もない。
ただ二人だけが、自分たちの曲を信じている。
バンドをやったことがある人なら、少し分かると思う。
初めてオリジナル曲が形になった夜というのは、録音が酷くても忘れない。
あとで聴けばテンポも怪しい。
歌も若い。
ギターも妙に力が入っている。
それでも、
「俺たち、何か作ったぞ」
という感じだけは残る。
あれは、案外消えない。
「Split Ends」という名前
その二曲のうち、一曲にはすでに「Split Ends」という名前がついていた。
そして、その言葉はやがてバンド名になる。
この時点では、まだ現在知られている綴りのSplit Enzではない。
Split Ends。
1972年10月、バンドとしてのSplit Endsが形になる。
当時の『Rip It Up』が1979年にまとめたバンド史にも、結成は1972年10月と記録されている。
最初のメンバーは、
Phil Judd――ヴォーカル、アコースティックギター。
Tim Finn――ヴォーカル、ピアノ、タンバリン。
Mike Chunn――ベース。
Miles Golding――ヴァイオリン。
Mike Howard――フルート。
今の感覚でメンバー表を見ると、ちょっと待ってくれと思う。
ドラムがいない。
しかもギターは基本的にアコースティック。
そこへヴァイオリンとフルート。
ロックバンドを作ろうとして、この編成になる人たちはあまりいない。
Mike Chunnは初期のSplit Endsを、
サイケデリックな匂いのするフォークの五重奏、とでもいうような存在として振り返っている。
三分程度のポップソング。
だけど、中身がおかしい。
後のSplit Enzを知っていると、すでにここに種がある。
普通のロックバンドと同じ場所へ行こうとしていない。
というより、
最初から行き方を知らなかったのかもしれない。
それが良かった。
1972年12月10日
最初の公演は1972年12月10日。
Auckland UniversityのそばにあったWynyard Tavern。
当時の『Rip It Up』にも、Split Ends最初の公演が1972年12月のWynyard Tavernだったことが記録されている。
そして、この日の話にはもう一つ続きがある。
彼らはその後、Levi’s Saloonでも演奏した。
そこにいたのが、プロモーターのBarry Coburnだった。
Coburnは彼らを気に入った。
AudioCultureによれば、このときの短いセットを見たCoburnは、翌1973年1月に開催される大規模なGreat Ngāruawāhia Music FestivalへSplit Endsを出演させることになる。
まだ結成から数か月。
そこから、いきなり話が大きくなる。
18,000人の前に、フルートとヴァイオリン
1973年1月6日。
Great Ngāruawāhia Music Festival。
Black Sabbathなどが出演する大規模な野外フェスティバルだった。
そこへSplit Endsも出る。
写真も残っている。
Mike Howard。
Phil Judd。
Brian――まだTimではなくBrianと呼ばれていたFinn。
そしてMike Chunn。
若い。
そして、まだ全然Split Enzっぽくない。
だが、演奏はうまくいかなかった。
AudioCultureは、そのときの観客の反応をほとんど無関心だったと伝えている。
まあ、それはそうかもしれない。
大勢の観客が大きなロックバンドを待っている。
そこへ、
フルート。
ヴァイオリン。
アコースティックギター。
妙な歌。
今なら私はかなり見たい。
でも、当時その場所にいたらどうだったかは分からない。
「何だこれは」
だったかもしれない。
そしてPhilにとって、これはかなりきつい経験だったようだ。
後のPhilを知っていると、ここは軽く扱えない。
彼はステージに立つことそのものに、ずっと強い苦痛を抱えることになる。
1974年にはすでに、ライヴ演奏が自分を乱す、嫌いだという趣旨の発言まで残している。
Split Enzの歴史では、このPhilとステージとの関係が何度も戻ってくる。
だからここでは、まだ結論を出さないでおきたい。
ただ、
曲を書くことが好きな人間と、人前でそれを演奏することが好きな人間は、必ずしも同じではない。
これは音楽を仕事にしていると、本当によく分かる。
「For You」をレコードにする
それでもBarry Coburnは彼らを見捨てなかった。
1973年初頭、Split EndsをAucklandのStebbing Recording Centreへ入れる。
録音するのは、
「For You」
そして、
「Split Ends」。
Mission Bayの小さな部屋でTimとPhilが作った、あの二曲だ。
Mike Chunn自身の回想によれば、この二曲をTimとPhilが書き、それを五人編成へ持ち込んだことが、Split Endsというバンドの形成につながっていった。
録音時にはDiv Vercoeがドラムで参加。
AudioCultureのStebbing史によれば、「For You」の録音自体はわずか30分ほどで終わり、Mikeは後に、プレイバックを聴いたとき非常にいい感触だったと回想している。シングルは「Split Ends」をB面にして1973年にVertigoから発売された。
そして、あの写真がある。
スタジオにいる、
Tim Finn。
Mike Chunn。
Phil Judd。
この連載の第1章で見た、学校の音楽コンテストのTimとMikeから、ほんの数年。
今度は隣にPhilがいる。
レコードを作っている。
Mikeが寄宿学校時代に夢見ていた、
「自分たちが演奏したレコード」
が、本当に出来た。
こういうところで、歴史は急に近くなる。
でも、まだ完成しない
ここからSplit Endsは、ものすごい速度で形を変えていく。
1973年3月にはMiles Goldingが離れる。
4月にはWally Wilkinsonがエレクトリックギターで加入し、Mikeの弟Geoff Chunnがドラムに入る。
初期のフルートとヴァイオリンを含んだ不思議な五人組から、少しずつ電気を帯びたロックバンドへ変わっていく。
そして同じ年、彼らはテレビのタレント番組『New Faces』へ出場する。
そこで演奏するために録音されたのが、
「129」。
さらに決勝へ進むために、
「Sweet Talking Spoon Song」
を書く。
この辺りから、私たちが後に知るSplit Enzの「妙なものを本気で作る」という感じが、かなり濃くなってくる。
でも、その話は次へ回したい。
なぜなら、この章で大切なのは成功ではないからだ。
二人で書いた夜
Split Enzには、この先いろいろな人が入ってくる。
Eddie Raynerが来る。
Noel Crombieが来る。
そしてずっと後にはNeil Finnが来る。
音はもっと大きくなる。
衣装はもっと変になる。
コードももっと変になる。
人間関係も、かなり面倒になる。
Philは去る。
戻る。
また去る。
Timは、そのたびに傷ついた。
2026年になってTimは、Philが最終的には三度離れ、そのたびに自分には辛かったが、Philがツアーやステージを難しく感じていたことも理解していた、と話している。
その未来を知ってから、Mission Bayの小さな部屋の話へ戻ると、少し違って見える。
まだ二人とも20歳くらいだった。
成功もない。
Split Enzという名前もない。
Mental Notesもない。
「I Got You」「Six Months Leaky Boat」なんて、もちろん影も形もない。
ただPhilがギターを弾いて、
Timがそこにメロディーを見つけた。
そして一晩で二曲出来た。
「For You」。
「Split Ends」。
それだけだった。
でも、Mike Chunnの言葉を借りるなら、Phil JuddがAucklandへ来てTim Finnと出会ったことで、彼ら全員の人生が変わった。
バンドというものは、結成日だけでは始まらないのかもしれない。
誰かと誰かが同じ部屋にいて、
片方が妙なコードを鳴らす。
もう片方が、
「それ、もう一回弾いて」
と言う。
たぶん、そういうところから始まる。
1972年、Auckland。
まだSplit Enzではない。
Split Endsですら、形になりきっていない。
小さな部屋に、二人の若者がいる。
そして、変な音が鳴り始めた。
まだ世界は、何も知らない。
