クレジット
作詞・作曲:Liam Sternberg
収録アルバム:Different Light(1986)
プロデュース:David Kahne
レーベル:Columbia Records
深夜、翻訳の作業がひと段落したところで、なんとなくYouTubeを開いた。 作業用に流していたプレイリストが、勝手に次の曲へ進んでいく。
あの曲がかかった。
「Walk Like an Egyptian」。
肩が勝手に動いた。 別に動かそうと思っていない。指も、頭も、まだ仕事の続きにいる。 なのに肩だけが先に反応する。
これは困った。
いや、困ったというほどでもない。 でも、こういう曲のほうが、結局ちゃんと残るんだよなと思った。
若い頃は、この曲をただのノリのいい曲だと思っていた。 変なポーズの曲。よく分からないけど楽しい曲。 それ以上のことは考えなかったし、考える必要もなかった。
五十を過ぎてから聴くと、少し違って聞こえる。 別に深い意味を見つけたわけではない。 むしろ、意味がないことのほうが、なんだかありがたく感じる。
まず、あの曲がどこから来たのかという話をしたい。
書いたのはLiam Sternbergという人だ。The Banglesのメンバーではない。 オハイオ州アクロンの人で、その街の音楽シーンから出てきた作家兼プロデューサーだった。
彼は歌詞だけを書き溜めたノートを持ち歩いていたらしい。 メロディーもコード進行もなく、言葉だけ。 その状態で置いておく感覚、なんとなく分かる。 私も、頭の中で鳴っているフレーズだけをスマホにメモして、そのまま半年放置していることがある。
そのノートを持って、イギリス海峡を渡るフェリーに乗った。 海が荒れて、船が揺れる。 乗客たちが必死にバランスを取ろうとして、腕を妙な角度に曲げながら歩いている。
その姿が、古代エジプトの壁画の人たちに見えた。
それだけだ。 本人も少し酔っていたらしい。
酔ったおじさんが船の上で思いついたことが、ビルボードの年間1位になる。 音楽は、たまにこういう理不尽なことをする。 真剣に何ヶ月も練り上げた曲が誰にも届かないこともあるのに、こういう思いつきが世界中で鳴る。
理不尽なんだけど、少し救われる話でもある。
歌詞の中身は、順番に景色が切り替わっていく作りになっている。
最初に出てくるのは、墓の壁画だ。 横向きで、肘と膝を直角に曲げた、あの独特のポーズ。 それが踊っているように見える、という発想から始まる。
ここでもう、この曲の全部が出ている。
止まっているものが、動いているように見える。 描かれた人たちが、実は今も歩き続けている気がしてくる。
これ、ギターを弾いていても似た瞬間がある。 録音した自分の音を後から聴くと、あの日の身体の状態がそのまま入っている。 音は止まっているのに、その中では、まだあの日の私が呼吸している。
壁画も、たぶんそういうものなんだと思う。
次に、ナイル川沿いの市場が出てくる。 男たちが賭けをして、金を動かしている。
異国の風景として描かれているけど、やっていることは現代とまったく変わらない。 遠い時代の話のはずなのに、全然遠くない。
そして視点が、いきなり現代の街へ移る。
ウェイトレスがトレイを持って店内を回っている。 その動きが、なぜか振り付けのように見えてくる。
ここで気づく。 この曲のテーマは、エジプトでも異文化でもない。 「人の動き」そのものだ。
場所も時代も関係なく、人はだいたい同じように動いている。 そういう話をしている。
さらに、教科書に飽きた子供たちが出てくる。 パンクやメタルのバンドに夢中になっている。
1986年のリアルな風景だ。 そして彼らもまた、同じように歩いている。
私が十代の頃も、周りは似たようなものだった。 授業中に机の下でギターの指の形を作っていた友人がいた。 今どうしているか分からないけど、たぶん今もどこかで、何かのリズムに合わせて肩を動かしていると思う。
後半には、日本人と円、ソ連、中国と、世界の断片が並ぶ。 かなり雑だ。正直、ざっくりしすぎている。
でも、正確さを目指した曲ではない。 世界中の破片を並べて、全部つながっているように見せる遊びだ。
そしてサビは、あの一言に戻る。
エジプト人みたいに歩け。
それだけ。
意味は、ほとんどない。 でも身体は反応してしまう。
この曲の面白さは、理解ではなく、真似したくなるところにある。
翻訳の仕事をしていると、この手の言葉によく出会う。
辞書を引いても、大した答えは出てこない。 文法的に説明しようとすると、途端につまらなくなる。 なのに、なぜか通じてしまう言葉。
「エジプト人みたいに歩け」なんて、日本語に置き換えた瞬間に、ちょっと間抜けになる。 でも原語だと、妙な説得力がある。
たぶん、意味より先に、リズムのほうが届いているんだと思う。
言葉には、意味とは別に、体温と歩幅がある。 訳すときに移すべきなのは、その歩幅のほうだったりする。 これがなかなか難しくて、いまだにうまくいかない。
もうひとつ、この曲には少し引っかかる話がある。
The Banglesは4人組で、全員が歌えるバンドだった。 この曲では3人が交代でボーカルを取っている。
なぜ3人なのか。
プロデューサーが全員に同じパートを歌わせて、合う人に振り分けたからだ。 その結果、ドラムのDebbi Petersonだけが、リードを取れなかった。 おまけにリズムもドラムマシンに差し替えられて、演奏の出番もほとんどなかったという。
この話を読んだとき、少し胸のあたりがざわついた。
アレンジをやっていると、たまにこの感覚が分かる。 自分が入れたパートが、丸ごと差し替えられる瞬間。 別に誰も悪くない。そのほうが曲として効くという判断だっただけだ。 悪意がないぶん、余計に静かに効いてくる。
でも、少し寂しい。
そういう日もある。
ただ、彼女はその後もステージであの曲を演奏し続けた。 ドラムを離れてタンバリンを持って、他の3人の横に立っていた。
その姿を想像すると、なんだか勝手に応援したくなる。 納得はしていないけど、続けている人の立ち方だ。
続けるというのは、たぶんそういうことなんだと思う。 全部が思い通りになった人だけが続けているわけではない。
そしてリズムの話をもう少しだけ。
この曲のビートは、生ドラムではなくドラムマシンだ。 機械なのに、妙に色気がある。 狂わない代わりに、こちらの都合を一切待ってくれない。
若い頃は、こういうリズムにもすっと身体が乗った。 今は、まず温めないと追いつかない。
朝、エンジンのかかりが悪い車みたいなものだ。 アクセルを踏んでも、しばらく変な音がする。 でも、走り出せば走る。
先日、資料が届くのを待つあいだ、暇つぶしにあのポーズを真似してみた。 肘を直角に曲げて、横向きに歩く、あれだ。
三歩で腰に来た。
エジプトの人たち、あの体勢で日常生活を送っていたわけではないと思うけど、 壁画の中の彼らも、実はけっこう無理していたんじゃないだろうか。
なぜこの曲がこんなに残ったのか。
たぶん、難しくないからだ。 でも、浅いわけではない。
考えなくても楽しめる。 なのに、よく見ると、けっこう変なことをしている。
この軽さと違和感のバランスが、80年代のポップの強さだったと思う。
若い頃は、ただのノリのいい曲だった。 今聴くと、妙に面白い。
意味がなくても、人は同じように動いて、同じように笑う。 文化も時代も違うのに、なぜか似てしまう。
この曲は、深いことを何も言わない。 言わないまま、世界ってそんなに違わないんじゃないか、という感覚だけを残していく。
それで十分なんだと思う。
肩の力を抜いて、ちょっとだけ変な動きをしてみる。 音楽って、本当はそれくらい自由なものだったはずだ。
今日も、肩は少し動いた。 腰は三歩でやられたけど。
まあ、それでいい気もする。

The Bangles
Susanna Hoffs — Vocals, Guitar
Vicki Peterson — Vocals, Lead Guitar
Michael Steele — Vocals, Bass
Debbi Peterson — Vocals, Drums
